「
1Q84」のBook 1(上巻)を昨日読み終えた。
この小説に出てくる“ふかえり”という少女が好きな音楽はバッハのBWV.846から893。「他には?」と天吾に聞かれた彼女は、ドイツ語の歌を歌う。天吾はそれが「マタイ受難曲(Matthaus-Passion)BWV.244」(1728-29。最終稿は1736)であることを知っていた。
彼女が歌ったのは、
Buss und Reu
Knirscht das Sundenherz entzwei,
Dass die Tropfen meiner Zahren
Angenehme Spezerei,
Treuer Jesu,dir gebaren. この歌詞の邦訳は、
改悛と悔恨が
罪深い心をふたつに裂く。
私の涙のしずくが、
かぐわしい香水となって、
イエスよ、あなたに注ぎますように。
といったものである(秋岡陽氏の訳による)。
第1部の第6曲のアリア。
「マタイ受難曲」のなかでも、特に主要な曲とは言い難いこのアリア。
少女はなぜこのアリアを歌ったのか?
ちなみに、これ続く第7曲はユダがイエスを裏切る部分である。
J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)は2部78曲から成る作品で、台本は新約聖書の「マタイによる福音書」の第26~27章と、C.F.ピカンダーによる。
中心主題となっているのは、ハスラー(Hans Leo Hassler 1564-1612)の受難のコラール「血潮したたる主の御頭」であるという。
ハスラーはルネサンス期のドイツにおける大作曲家の一人。
「血潮したたる主の御頭(O Haupt voll Blut und Wunden)」は、「新ドイツ歌曲の楽しい園(Lustgarten neuer teutscher Gesang)」(1601刊)の中の1曲。もともとは「私の心は乱れ騒ぎ(Mein Gemut ist mir verwirret)」(5声)という名の曲だったものが、のちに歌詞を変えてコラール「わが心の切なる願い(Herzlich tut mich verlangen)」となり、さらに「血潮したたる主の御頭」としても知られた。
演奏としては、私はリヒター盤しか聴いたことがない(1958年録音)。
リヒターの「マタイ受難曲」については、許光俊氏の「生きていくためのクラシック」(光文社新書)に詳しく書かれてあるので、興味のある方は読んでみたらどうかな~、と思ったりなんかする。
そして私は、今日から「1Q84」のBook 2を開く。
写真はオオデマリとコデマリ。ただ“大”と“小”なのではない。
オオデマリはスイカズラ科、コデマリはバラ科である。
オオデマリはわが庭のシンボルツリーの一つなのだが、それにしても花を着けすぎじゃないかって気もする。なんだか枝が折れそうで、毎年心配になる。