フランクの交響曲ニ短調。
 いやいや、なかなか渋くて地味な曲である。
 でも、名曲なのである。

 私がこの曲を知ったときはまだ中学生であった。身長だって150cmなかった(今は175cmである。その後ずいぶん年月が経ったというのにたった25cm強しか伸びていないのは不思議である)。でも、すでにジジ臭くサボテン栽培に興味を持っていた。どうでもいいけど……

ea857885.jpg  この曲でまず違和感を覚えたのは、その曲名である。
 「交響曲ニ短調」。第1番でも第5番でも第104番でもない、ただの「交響曲ニ短調」。作品番号もない。
 これから大人に成長していこうという男の子にとって、この曲名が与える不可思議な語感は、すでに自分の不安定な老後を暗示しているかのような先行きの不透明を感じた。

 もっとも、番号がついていない交響曲はほかにもある。ソナタにだってある。
 けど、そのときには妙に不思議に感じたものだ。そして、今でもその余韻を引きずっているニ短調系の私である。

 フランク(Cesar Franck 1822-1890)はベルギー生まれだが、1835年に家族とともにフランスへ移り、以後パリを中心に活躍したので、フランスの作曲家(と同時に優れたオルガニスト)として位置づけられる。
 彼はバッハをはじめとするドイツ音楽の影響を受け、深い精神性のあるフランス音楽を創造したと言われているが、この交響曲を聴くと、ドイツ音楽の重厚さとフランス音楽の流麗さが共存していることがわかる。これは、よくよく考えてみると、なかなかありそうでないことである。

 ところで「ドイツ的」っていったいどういうことなのだろうか?

 その昔、音楽之友社が出している老舗的月刊音楽誌「レコード芸術」で、音楽評論家(この雑誌の月評担当者)にアンケートをとったことがある。「『ドイツ的』とは何か?」って。
 その答えの一部をピックアップしてみると、

 ・ 実際は私たちの常識的な観念で適当に使っているのが実情でしょう(小石忠男)
 ・ バスの強いのは何といってもドイツ音楽の特徴だし、内声をたっぷりひびかせるのもドイツ・ロマン派的といえるだろう(宇野功芳)
 ・ 結局は書き手が思考をを停止させる紋切キメ文句、又は問答無用と屈服させる珍種の専門用語のような気がします(石原立教)
 ・ まず何事にしろ容易に揺らぐことのない磐石の基盤を持つということだ。そして事に当たってまじめで厳しく、少しの曖昧さも残さず徹底的に考え抜いて結果を出すということである(中村孝義)
 ・幽霊の屁みたいに実体のないものになってしまうかもしれませんが、個々の具体的な場合についてそれを実感できれば充分なのです(高崎保男)
 ・ この偉大なるテーマについて語るには、余りにも紙面が足りない(國土潤一)
 ・ ドイツ人が好み、真にドイツ的なのは、スカッとした和声よりも陰影をはらむ和声で、その背後にはゲルマン的な深い森の原体験、あるいは感覚的でありながらその感覚的なものを超越した宗教的心情の原風景のようなものが横たわっている(服部幸三)
 ・ 批評の言葉として多用するのは、じつにきわめて曖昧な概念であるだけに危険だと思う(岩下眞好)
 ・ オケと合唱に高音の艶やかさなどよりもハーモニーの厚みや奥行きが感じられて、座りがいいドイツの伝統的な響きを最もよく感じさせる演奏(佐川吉男)

 ってことである。かえってわけがわからなくさせてしまいましたでしょうか?
 なお、この回答者のなかには「自分は『ドイツ的』という言葉は使わない」という人も含まれている。
 石原氏なんか、痛快だ。痛快うきうきロマンティック街道だ。

 私の場合はもっと単純。「ベートーヴェンやブラームスのオーケストラ作品のような響き」が「ドイツ的(な響き)」である。それだけ。そういう基準を持っている。
 そういう意味では佐川氏の考えが私の考えに近い。ただ、「じゃあ、『ドイツの伝統的な響き』って何?」ってなると、再びなんだかよくわからないけど……

471eb763.jpg  さて、フランクの交響曲ニ短調(1886-88)であるが、この曲は循環形式(Forme cyclique)を用いており、各楽章が有機的に関連付けられているのは有名な話。
 また冒頭の動機(掲載スコアの最初のヴィオラ、チェロ、コントラバスによる動機。このスコアは全音楽譜出版社刊のもの。現在は音楽之友社からスコアが出ている)は、フランク以前にもいくつかの作品に用いられているそうで、有名な例はベートーヴェン(1770-1827)の弦楽四重奏曲第16番ヘ長調Op.135(1826)の終楽章。
 ベートーヴェンは、この動機に“Muss es sein?(いかにあるべきか?)”と書いている。
 なお、この動機は、リスト(Franz Liszt 1811-86)の交響詩「レ・プレリュード(Les preludes)」(1848,'52/'53改訂)の最初にも用いられている。
 それはそうとして、激情という感じの第1楽章、宗教的な平安を感じさせる第2楽章、喜びを歌いあげるような最終楽章、その3つのすべての楽章にドイツ的なもの、フランス的なものが現れる。それは単純に(ドイツ+フランス)÷2という感じではない。もちろん平方根でもない。まあ、ご自分で確かめるのが良いと言えるだろう(Uno風)。
 さらにこの曲が持つ響きには、フランクがオルガニストであったということも大きく作用しているに違いない。

7bb8b379.jpg  余計なことを言うと、曲の最後の終わり方。これも最初聴いたとき、「これで終わりなの?こういうのなの?えっ、どうして?いやだぁ~、どうして、どうして?」と私は思ったものだ。
 そんな「どうして」とは関係ないが、フランクは交響曲ニ短調の初演の1年半後、交通事故がもとで亡くなった。つまり、この曲はフランクの最後の大作ということになる。
 もっと長生きしていれば次の交響曲を書き、番号がついていないからと、多感な私がうろたえるようなこともなかったかも知れない。

 私が聴いているCDはカルロ・マリア・ジュリーニ指揮ベルリン・フィルの演奏のもの(1986年録音。グラモフォン)。良くも悪くも実にオーソドックスな演奏だが(これまた意味不明瞭)、現在廃盤のよう。ジュリーニはウィーン・フィルともこの曲を録音している。

 相変わらず、あまり気温が上がらない日々が続いているが、“ボサ・ノヴァ”は次々と開花してくれている(上の写真)。