9b33097e.jpg  村上春樹の「1Q84」に出てくる2人の主人公、青豆と天吾はともに子どものときに親と事実上の縁を切っている。
 青豆の場合は、親と一緒に“証人会”の布教に歩くのを拒否することによって(“証人会”が“エホバの証人”のことであるのは明らかである)、天吾は父の仕事であるNHK受信料の取り立てに連れて行かれるのを拒否することによって、親と決定的な溝を作るのである(NHKが日本放送協会のことであるのは疑いようがない)。
 また、「1Q84」の“ふかえり”についても、宗教(これがオウム真理教をモデルにしているのは明きっと間違いない)の教祖である父からは離れた世界―日常の世の中。とはいえ、天には月が2つある世界―に“退避”している。

 村上春樹の小説では、親からの子の独立とか、妻が夫の前から姿を消すなど、つねに根底には“別れ”というか“拒絶”がテーマにあるように思う。「1Q84」では天吾の人妻の彼女も突然姿を現さなくなった(これまた、どういう経緯があったのか読者にとっては気にかかる)。

699cb801.jpg  1999年に書かれた「神の子どもたちはみな踊る」(新潮文庫。現在出版されている文庫のカバーデザインは掲載した写真と異なる)。
 この本は阪神大震災をテーマにした短編小説集だが、本のタイトルにもなっている「神の子どもたちはみな踊る」には、次のような文章がある。

 《……13歳になって、自分が信仰を捨てると宣言したとき、母親がどれほど深い悲嘆にくれ、取り乱したか、善也は今でもよく覚えていた。半年間ほとんど何も食べず、口をきかず、風呂に入らず、髪もとかさず、下着も替えなかった。生理の手当てさえろくにしなかった。そんなに汚く臭くなった母親を目にしたのは初めてのことだった。……》

 《小学校を卒業するまで。善也は週に一度は母親と一緒に布教活動に出かけた。母親は教団でいちばん布教の成績がよかった。美人で若々しく、いかにも育ちがよさそうで(事実よかった)、人好きがした。おまけに小さなな男の子の手を引いている。……》

 社会人となった今も、善也は母親と同居しており、親子の別れあるいは独立、拒絶ということにまで至ってはなっていないが、「1Q84」の10年前に、宗教が子供に及ぼす影響を同じような形ですでに表現されている。さらにいうと、善也の勤めている会社は神谷町にある。通勤には中央線に乗り、そのあと地下鉄丸の内線と日比谷線に乗る。そして神谷町。このあたりはオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件を思い起こさずにはいられない。
 布教のために母親に連れ歩かされる善也の姿は、同じく布教活動に連れまわされた青豆を、また受信料を集めるために父親にだしにされた天吾を思わせる。ただ、善也の場合はこれを苦痛とは感じていなかったが……

ea630f4e.jpg  「神の子どもたちはみな踊る」の内容については、未読の方もいらっしゃるだろうからここではあまり書かないが、もう1つ触れておきたおきたいことがある。それは“耳”についてである。
 村上春樹は、この小説でも“耳”に意味づけをしている。
 ただし、「羊をめぐる冒険」などとは違って、ここでの“耳[E:ear]”は目印は目印でも「きれいな」ものではない。
 「右側の耳たぶが欠けている」男が出てくるのである。それは善也にとって重要な目印なのである……。
 偶然見かけたその男を尾行する善也。男は袋小路へと入っていく……。このあたりは「ねじまき鳥クロニクル」の、塀で囲まれた目的を果たしていない路地を思わせる。

 なお、この本に収められている「かえるくん、東京を救う」では、《かえるくんは大きく口をあけて笑った。かえるくんにはきんたまだけではなく、歯もなかった》という記述がある。あの牛河はきんたまはあるだろうけど……

91b0a6d0.jpg  1999年という世紀末。
 その前の世紀末といえば、マーラーがあれやこれやと思い悩んでいたときだ。
 あるいは新しい世紀がやってきて、ホルストは占星術といった神秘的なものに傾倒し「組曲『惑星』」を書いた。
 “世紀末”とまでとはまだ切羽詰まった騒ぎ方をされていなかった(であろう)1984年に、どんな音楽が書かれていたのだろう。
 たくさんの曲が生まれている。もちろん私はその一部しかしらない。
 その一部しか知らないなかで、私が気に入っている曲もいくつかある。
 ハラルト・ヴァイスの「冬の歌」と「箱舟」。
 シュニトケの「真夏の夜の夢、ではなくて」。
 林光の「山河燃ゆ」(これはNHK大河ドラマのテーマ曲だ)。

 でも、アンドリュー・ロイド=ウェッバーの「レクイエム」がいちばん印象的だ。
 このすばらしい現代のレクイエムについては2007年8月27日に書いているので、詳しくはそちらをご覧願えればと思う。第7曲の「ピエ・イエス(Pie Jeus)」はすっかり有名になってしまったが(掲載したヴォーカル・スコアはHAL LEONARD社のもの)、全編にわたってスリリングで美しく、なにより敬虔な音楽だ。
 CDは初演時メンバーによる録音しか未だに出ていないが(マゼール指揮。これも現在では入手困難なよう)、ぜひ別な演奏のものも聴いてみたい曲である。

 今日は土曜日。
 またまた、朝から雨だ。
 でも、アジサイには雨が似合う。
 花色が青い。
 土が賛成に偏りすぎているようだ。
 さぁ、石灰、石灰……