2週間前にマーラーの第2交響曲の素晴らしい演奏―一生の間にこういう体験が果たして何度できるだろう?―を聴かせてくれたPMFオーケストラ。
そのPMFOの演奏会が昨日7月25日19時からKitaraで行なわれた。指揮はマイケル・ティルソン・トーマス。私がM.T.トーマスの演奏を生で聴くのは、20年前、第1回目のPMF以来である。年とったなぁ、トーマスは。私もだけど……
プログラムはM.T.トーマスが作曲した「シンフォニック・ブラスのためのストリート・ソング」と、マーラーの交響曲第5番。
当然のごとく、この日の演奏会ではマーラーの5番に大いなる期待をしていたわけだが、さすがにあの第2番を聴いてしまったあとだけに、ちょっと私の心の中ではハンディがあるかなと思いながら、雨の中、ホールに向かった。
どうでもいい話かもしれないが、昨日は中島公園近くの“ゼップ”で何かのライヴ・コンサートがあったらしく、Kitaraに車で行ったときにいつも使っている駐車場の周りは、前時代的とも近未来的とも、なんとも言い難い格好をした若者たちで混雑。車が近づいても、耳が聞こえない野良猫のように、道路の端のほうによけてくれないから、というよりも逆に横切ったりするものだから危かしいったらありゃしない。おまけにその駐車場は、そのせいで満車。駐車場探しで余計な時間を費やし、やれやれであった。
1曲目のM.T.トーマスの「シンフォニック・ブラスのためのストリート・ソング」は現代的な様相を見せもするが、聴いていて「よくわからん」というところがない曲だった。その名の通り金管のみの編成だが、あるときにはステージ上の空間に各楽器の音が豆まき合戦のように飛び交いぶつかりあう。かと思うと、各楽器の音が層を作って色合いの美しい菱餅のように重なり合う。また聴いてみたい作品である。各奏者もとても上手だった。
休憩後のマーラーの第5番。
おじさんがあれだけお願いしたにもかかわらず、休憩時間中からオーケストラ・メンバーがステージに勢ぞろいし、各人、思い思いに(勝手気ままにのようにも見える)最後のおさらいをしている。この響きを聴いて「新作の前衛音楽」と勘違いした人もいるかもしれない。でもたぶんそんな人はいるわけないかもしれない。
これはやってほしくない。大きな騒音の直後に、音楽を聴くというのは避けたい。でも、だんだん「どうでもいっか!」って気分になってきた。無気力になってきた私。
マーラーの第5番は、まず出だしのトランペットで「技あり」のポイント・ゲット。どれだけ緊張するか聴き手にも想像がつくソロ・ファンファーレの開始。すばらしいファンファーレだった。いや、全曲を通じてアッパレ。Karin Bliznik、ただ者ではない。ひじょうに上手かった! 第1楽章の始まり、弦が悲しげなメロディーを奏でる部分(楽譜の矢印から始まるところ)。なお、掲載した楽譜は音楽之友社のもの)で、M.T.トーマスはゆっくりとしたテンポで、「先に進みたくないよ」というように弾かせた(誤解を恐れずに言えば、運動会での入場行進の練習をダラダラとしている中学生のように)。そう、これは葬列の歩みなのだ。先に進みたくないのだ。いやいやながら歩みを進めなくてはならないのだ。感服。
なお、この日の演奏では、これをはじめ、これまで聴いたことのないような(遅い)テンポや“待ち”が何か所もあったが、若いオーケストラはよくこらえて指揮者の指示に反応していた。これまた見事である。
トランペットのことを書いたが、ホルンのElizabeth Schellhaseも実に上手かった。これまた「技あり」。ほんのわずかながら温かみに乏しい音色のような気もしたが、特に第3楽章での活躍は完璧。エリザベス、惚れたぜ……。こんなに安定感のあるホルン、アタシ初めて……
終楽章が始まったときに、「おや、ちょっとオーケストラが疲れたかな?」と思ったが、どうやらそうではないらしく、M.T.トーマスの計算によるもののようだ(前の楽章で休んでいた管の方が疲れて聴こえ、弦の方は元気で艶やかだったし)。最後はオケ全体が自信と幸福に酔っているかのような音色で曲は閉じられ、会場の中は私がこれまで経験したことのないような熱狂と賞賛の叫び声と拍手であふれた。 トランペットとホルンの2奏者のことを書いたが、この曲は2人が活躍するので目が行きがちなのは当然。でも、とにかく全員のレベルが高い。すごいオーケストラだ。音楽を作り上げていくんだ、自分たちですばらしい音楽を演奏したいんだ。そういうオーラが伝わってくる。
終楽章の最後。楽譜を載せた箇所(矢印からの部分)はトロンボーンの音がトランペットにかき消されがちである。トロンボーンはfff、トランペットはf なのに、不思議なほどトロンボーンが聴こえてこない演奏が多い(私が知っている限り、CDでトロンボーンの音がいちばんはっきり聴こえてくるのは、ショルティ/シカゴ響(1970年録音)である)。しかし、当夜の演奏ではトロンボーンとトランペットのバランスがきちんととられ、トロンボーンのメロディーがはっきりと響き渡った。最後の最後であり、興奮も極みで気がついていない人もいたかもしれないが、このトロンボーンの頑張りは絶賛されるべきものである。「効果」。
私はこれまで何度かマーラーの5番を生で聴いている。
最初に聴いたのは1987年6月、札響がこの曲を初めてとりあげた第282回定期だった。指揮は今は亡きデヴィット・シャローン。興奮した。会場も熱狂した。何かよくわからないが、初体験に自我は自我でなくなっていた。言ってることがわからんが……
そのあと聴いたこの曲の演奏は、どれもいまひとつ、あるいはかなり物足りなかった。
そして昨夜の演奏。これがこの曲の本当の姿なんだと思った。
ステージから目を離せなかった。余計なことを考えるなんてこともなく、耳を神経を演奏に集中した。いや、吸いつけられた。
これまで聴いた生演奏は、昨夜の演奏と比較すると、すべて平板に思えた。昨夜の演奏は立体的、三次元的世界であった。オケが巨大な建造物のように思えた。
同じコーヒー豆を使っても、アメリカンにするか、ストロングにするか、淹れ方によって味も風味も変わる。マーラーの第5交響曲がすばらしいコーヒー豆だとすれば、私はこれまでアメリカンでしか味わっていなかった。そのアメリカンのなかでも、今日のはおいしい、この間のはちょっと……と言っていたのだ。きちんと淹れたコーヒーを味わってしまったいま、それはとても幸せなことだが、今後これを生で聴くときにはあらかじめ覚悟が必要になるのだろう。今日はたぶんアメリカンだろうな、と。
マーラーの交響曲は、大編成のために聴こえてこない音がある、というのはよく言われることだ。しかし、昨夜の演奏では各楽器が実に良く聴こえた。座席のせいもあるのかもしれないが、フルートもオーボエもクラリネットのファゴットもきちんと聴こえた。埋没せずに前に押し出てきた。
マーラーはすぐれた指揮者であり、オーケストラのことを、各楽器のことを熟知していた。そういう人が書いた曲なのだから、「きちんと」演奏されれば「きちんと」聴こえるはずだ。そして、昨日はそれがなされた。マーラー自身が指揮をしたら、こういうふうに鳴り響いたのかもしれないと思った。優れた指揮者、そして前向きに取り組んで練習を積んできた若きメンバーの、良い意味で訓練されたオーケストラが、それを2009年7月25日の札幌で実現させた。「イッポン」。
昨日の演奏会に札響のメンバーあるいは関係者は聴きに来ていたのだろうか?
札響とPMFOとを単純に比較することは酷なのだろうが、もし聴きに来ていたとしたらあの演奏を聴いてどう感じたのだろう?
この演奏会で私の今年のPMF、私の今年の夏は終わった……って高校球児かいな……
大阪と東京のみなさん、この素晴らしい演奏の再演を期待して待っていてください!
2週間前の「復活」と昨日の第5。マーラーの交響曲を1カ月の間に2曲、それもともに自分にとっては過去最高という演奏で聴くことができた。こんな幸せがあるだろうか!
この2つの演奏のどちらがより素晴らしかったかということは比較できない。しかし、敢えて言うなら、私は第5番の方により震えさせられた。←だったら「比較できない」なんて言うな、ですよね[E:sign02]
なお、マーラーの第5交響曲のCDについては、過去に[こちら]に書いてあるので、よろしかったら読んでいただきたいと思う。
新館入口(2014.6.22~)
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