84f11a0a.jpg  今年の北海道の夏は、本当に気温が上がらない。
 こりゃあ、農産物が冷害でダメになっちゃう恐れもある。
 ウチのミニトマトだって、ようやっとこの程度に赤く色づいてきた状態だ。
 それにしても、こんな形のミニトマトの苗を買った記憶はないのだが、こういう形に実っているということは、こういう形の実がなる品種なのだろう。弁当箱に入れるには高さ制限に引っ掛かりそうだ。そんなこと、弁当を持参して仕事に行っていない私個人にはまったく関係のない話だが……

 このところ、壊れたジュークボックスのようにマーラーの「復活」を集中的に聴いていたら、ショスタコーヴィチも聴きたくなってきた。こういう自分が、なんだか救いようもなくしちめんどくさい奴のように思えてならない。困ったものだ。
 まっ、ショスタコーヴィチはマーラーを好んでいたというから、私の思いつきも突拍子のないことではないのだけど(注:この記事は7月25日のM.T.トーマス指揮によるPMFオーケストラのすっさまじく素晴らしかったマーラーの交響曲第5番の演奏の前(その日の朝)に書き終えておりました。つまり、その、またマーラー・リピート作戦(今度は第5)を決行しそうな予感、気配、決意)。

 で、ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-75)が映画のために書いた音楽である「馬あぶ(The Gadfly,独:Die Hornisse)」Op.97(1955)。
 この映画はE.ヴォイニチの小説を映画化したものだそうで、監督はA.ファインツィンメルという人。
 ストーリーは19世紀のイタリアが舞台。“馬あぶ”というあだ名がついている活動家の主人公の純愛を描いたもの。これだけじゃよくわからないが、まっそういうことだそうだ。なんでも、権力に対していろいろと警告を発している人を“馬あぶ”というらしい。ぶぅんブン。うるせえ奴ってことだ。

 この映画音楽からアドヴミヤンが12曲を組曲化したものが、作品番号97aをもつ「馬あぶ」である。なお、この曲は「馬あぶ」ではなく「馬ばえ」と呼ばれることもある。

 実際にそのような昆虫がいるのかというと、どうやらウマアブという虫はいないようだ。ウシアブというのはいるが、ウマアブというのは検索しても出てこない。
 私は高校3年生の夏休みに、受験勉強もせず、サロマ湖の方に旅行に出かけた。今は廃線となっている湧網線の計呂地(けろち)というサロマ湖畔の駅でディーゼルカーを降り、この上なく暇そうにしている駅長に道を教えてもらって、駅裏から林を抜けて湖に出る道を歩いた。何匹ものウシアブがまとわりついてきた。大群だった。怖かった。そして刺されて血を吸われた。痛かった。もし私がウシだったなら、尾でぴしゃりと叩きつけることができたのに、と単に丑年でしかないことを恨んだ。あの駅長さん、善人そうに見えて、実はアブどもからバック・リベートをもらっていたのかもしれない。
 あの日は暑かった。夏らしい日だった。あぁ、今年の夏はどこに行ったのかしら?
 何の話だったかというと、和名でウマアブという名がついた昆虫はいないようだということ。  
 以上。

 組曲「馬あぶ」の12曲は、
 1. 序曲(Ouverture)
 2. コントラダンス(Kontratanz)
 3. 祝祭(Volksfest)
 4. 挿話(Interludium)
 5. 手回しオルガンのワルツ(Drehorgel-Walzer)
 6. ギャロップ(Galopp)
 7. 導入曲(Introduktion)
 8. ロマンス(Romanze)
 9. 間奏曲(Intermezzo)
 10. 夜想曲(Nocturne)
 11. 情景(Szene)
 12. フィナーレ(Finale)
である。

 このなかでは第8曲の「ロマンス」が突出して有名。というよりも、曲中で唯一有名。
 「ロマンス」が有名になったのは美しいということもさることながら、かつてこの曲がメイン曲の余白に収録されたLPが売られたことがあり、曲中唯一聴く機会がもてた曲だったというせいもあるだろう。漢文みたいになってすまぬ。

 フィギュアの中野友加里選手が(中野友加里の人形ではない。それはフィギアか?)この「ロマンス」を演技に使っていたことがある。それにしても“選手”って「選ばれた手」である。変な言葉である。ましてや、フィギュアは“手”でなく“足”じゃないのか?
 すまん、偏屈じじいで……

 しかしである。私が「馬あぶ」の中でいちばんに推薦する曲は、第3曲の「祝祭」である(直訳すると「民族の祭り」ということになる)。チョーお薦めである。
 この曲の生き生きとした生命力、躍動感、幸福感はショスタコーヴィチのあらゆる作品中でも最高峰に位置すると言っても過言ではない(ような気がしないでもない)。音楽は颯爽と快走する。湧網線を走っていた汽動車とはえらい違いだ。
 ぜひ聴いてみていただきたい。こんなに素直に楽しんでいるショスタコーヴィチを!
 そうね、なんて言ったらいいのかなぁ、そうそう、前年の1954年に作曲された「祝典序曲(Festive Overture)」Op.96と同じ傾向の音楽っていうかぁ~。

eca0d48f.jpg  1936年の党からの批判によって、ショスタコーヴィチは「おまえはもう死んでいる」状態になり、音楽も当然のごとく変わった。H.C.ショーンバーグに言わせれば、《どの点から見ても、彼の作曲家としての経歴は破滅した》(「大作曲家の生涯」:共同通信社1978。絶版)のであった。
 ただ、批判後の“仮面の下はどんな表情かわかったもんじゃない”というような作品群も、ひじょうに魅力があることは、あらためて言う必要もないだろう。だって、そっちの方がむしろ傑作とされていることが多いのだし……
 こんなことを言っては不謹慎だが、彼が致命的な批判を受けたことで、私たちはハツラツとしたやんちゃな天才の音楽と、さまざまな想いを内に秘めた天才のネクラな音楽の両方を聴くことができるのだ。聴く側としてはありがたいとも言えるわけだ。

 私が聴いているCDはレオニード・グリン指揮ベルリン放送響の演奏によるもの。Capriccioの10 298(輸入盤)。1988年録音である。カップリングは同じく映画音楽の「ハムレット(Hamlet)」Op.116(1964)。「ハムレット」も「馬あぶ」も、最初の音楽はTV時代劇のような感じの音楽である。まぁ、何か良いことがあったのかしら?黄門様が峠の茶屋でアッハッハ!
 なお、ショスタコーヴィチにはもう1曲「ハムレット」という作品があるが、それは劇付随音楽で1931-32年に作曲(1954年改訂)。作品番号は32である。

 グリンのCDは国内盤でも出ていたが、現在は入手困難なよう。「馬あぶ」を試しに聴いてみたいという人は、ナクソス盤が手に入りやすい。