“村上春樹研究会”による『村上春樹の「1Q84」を読み解く』(株式会社データハウス)。

f53d0c01.jpg  先日本屋で時間を潰していたら、「1Q84」解読本を2冊見かけた。解読本のたぐいがけっこう好きな私は2冊とも買ってしまった。
 「1Q84」が出版されて2カ月。そろそろこういう解読本あるいは解説本が出てきてもおかしくない時間が経ったわけだ。でも、2か月で出版されるのもちょいと早い気がする。その小説を読みくだき、研究するには時間が短すぎるんとちゃうやろうか?。

 で、まずは1冊目として読んだこの本。「読み解く」と標題で明言しているくせに、内容はかなりやれやれなものであった。
 これは解読ではなく、感想に毛が生えたものだ。実際に感想に毛が生えた物体を見たことがないから何とも言えないが……

 村上春樹研究会とあるが、第1部は平井謙、第2部は綾野まさる、第3部は藤枝光夫が執筆している。

 個人的には特に第1部が、おいおいこれで本代とるのかよ、と思えた(第2部、第3部も大差ないが。ただし、第3部はこの本の救済部分。第3部はまあそこそこ研究された内容で、これがなかったら、もー大変)。
 村上春樹の熱烈ファンが、「『1Q84』がおもしろくないなんて言う奴がこの世にいるわけぇ?」といった思い入れで書いている。だから、読んでいて熱い想いは伝わってくるが、勝手に熱くなっててね、とこちらは白んでくる。
 私だって村上春樹のファンだ。「だからそんなのわかってるって。そういう褒め言葉を読みたいわけじゃないの!」と、ページをめくるのが面倒になってくる。
 一方、アンチ村上春樹が読んだら、宗教のありがたみを説きに玄関にやってくる“○○○の証人”信者と同じ臭いを感じ、かえって敬遠してしまうかもしれない。
 日曜日の朝の、某青汁メーカー提供の健康番組を連想させるような本だ。
 他よりも早く出版して、売れるだけ売っちゃいたい、というやっつけ仕事の臭いもする。

 第1部では、《おそらく村上春樹を読む読者層というのは、父や母の庇護の元にある者よりも自分自身で独立した歩みを進もうとする人々ではないか》とか、《村上春樹を読む人々というのは溢れる自分自身の性欲に理論を与えたい人間である》といった、執筆者の激しく強引な一般化、普遍化願望がみられる。「あんただけだよ」とまでは言わないが、「滑落」と言ってあげたくなる。

754889d9.jpg  また、「村上春樹をもっと知るための7冊」っていう、解説本の紹介ページもご丁寧にあるのだが、そのなかの加納典洋編「イエローページ 村上春樹 Part2」についての文章。
 《「研究本」というコンセプトは読者にとってこれ以上ありがたいものはない。『アフターダーク』と『1Q84』がカバーされていないことを覗けば完璧である》って、「あなたが今、その『1Q84』について書いているんでしょ?それとも、完璧なものが出版されるのを待ってんの?じゃあ、あなたの本を買った私はどうしたらいいの?」と言いたくなる。また、こういうコーナーで紙数を稼いでいるようにも思える。
 加納の本は私も読んだが、間違いなく言えることが1つある。村上春樹 イエローページ2の方は、この村上春樹研究会の本よりもはるかによく調べられている、ということ。そういう意味では、ここの記述はある程度正しい。もっと納得性のある研究本、解読本はほかにいくつかあるけれど。私自身は、黒古一夫『村上春樹 「喪失」の物語から「転換」の物語へ』とか、石原千秋の「謎とき 村上春樹」を過去にブログで取り上げている。

 第2部では、青豆は血液型がBである可能性が高い、なんて書いてある。
 《B型の女性は、セックスについては愛情とは別ものと快楽的にドライに考えている場合が多い》からだそうだ。だから、セックスライフから考察して、青豆の血液型はB型である可能性が高いんだそうだ。
 考察かい?これが……
 なんでまた血液型なんだか……やれやれ。青豆の話を読みながら血液型を考えるのかい?それよりも先に、ほかに考えることはないの?
 ちなみに私は過去、B型女性を好きになる確率が高かったが、そうかい、ドライに考えられていたのね、考察するに。

7044fa7b.jpg  《青豆とヤナーチェックの関係》という文もある。
 さあ、私の突っ込みどころ。
 
 でも、書いてあることはおおむね間違ってはいない。
 とりわけ第3部では詳しく書かれており、この部分の執筆者である藤枝氏には敬意を表したい。書籍担当編集者だというが、いちばんまともなことを書いている。
 けど、私はこれを補足する意味で、付け加えておく(なお、私は「“シンフォニエッタ” in 1Q84」という記事を6月2日書いているのを申し添えておく)。

 ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)の「シンフォニエッタ」(Symfonietta 1926)は、《大きな体育大会のファンファーレとして作曲を依頼されたもの》、と書かれているが、正確には5つある楽章のうち、第1楽章だけがソコル(体育協会)の第8回全国大会の開会ファンファーレとして委嘱されたものである。
 開会ファンファーレだから、全5楽章が奏されたわけではない(全曲の演奏時間は25分ほど)。そんなことしてたら、開会式中に選手が熱射病で倒れてしまうかもしれないではないか[E:sign03]
 つまりは、最初にファンファーレが書きあげられ、これをもとに交響曲風の管弦楽曲が作り上げられたというのが事実なのである。
 もともとのファンファーレがどういう編成だったかしらないが、おそらくはオケなしの、通常のファンファーレのように金管だけだったのではないだろうか?(第1楽章は金管別働隊でのみ演奏される。オーケストラ内で加わるのはティンパニだけである。もともとのファンファーレがこの第1楽章と同じものだったのか、もっと短かったものなのか、あるいはオーケストラの中に位置しているティンパニは加わっていなかったのか、など私にはわからない)。

2a6a3980.jpg  写真を載せたフィルルハーモニア版スコアには、作曲者の写真も載っているので、あわせてここでご紹介しておく。ちょっとびっくりしたキタキツネ、みたいな感じの人である。
 また、《12本のトランペットを駆使し》とあるが、まあそれはそうなのだが、「シンフォニエッタ」においては3本のトランペット(F管)がオーケストラの通常編成に入っており、9本(C管)はオーケストラとは別の金管部隊として編成される。その別部隊にはテノール・テューバ2本、バス・トランペット2本も加わるのである。この別部隊は第1楽章と終楽章(第5楽章)にのみ加わる。

 掲載した楽譜はこの曲の最後の部分だが、上から6段目のCor(ホルン)、7段目のF管のTr(トランペット)、8~9段目のトロンボーンがオーケストラ内である。その下の5段は別働隊で、10~12段目が9本のトランペット(C管)、13段目がテノール・テューバ、14段目がバス・トランペットである。
 「シンフォニエッタ」は当初、「軍隊シンフォニエッタ」とか「ソd607ccb0.jpg コル祭典シンフォニエッタ」と呼ばれた。また、シンフォニー(交響曲)に由来するシンフォニエッタという名がついているが、シンフォニエッタというのは「小規模の交響曲」という意味である。しかし、ヤナーチェクの作品はまったく小規模ではない。
 さらに、この(自称)解読本では《異様な楽器の組み合わせは、……》とあるが、べつに“異様”とまでは言えない。

 この“解き明かし本”、雑誌ならこういう内容でも許せるけど、きちんとした本になって売られているのがちょっぴり腹立たしい。

 「か、か」
 天吾はそれが「金返せ」と言ってるのだとわかった……