おとといのブログでこの5月の父の死と初盆について書いたが、その投稿時刻は4:44であった。まるで霊柩車のナンバーのようだ。でも、私はそれを狙ったわけではない。単なる偶然である。
なんでそんなに朝早くに起きているんだ?という疑問を持たれるかもしれない。朝刊配達のバイトをしていると誤解している人もいるかもしれない。早起きして朝ごはんのおかず、山菜やきのこなどを探しに行っていると涙してくれる人がいないとも限らない。
でも違う。そうではない。昨日の朝は出勤前に仕事上のことで早くに立ち寄らなければならない場所があったのだ。それだけの話。
そして、稀なことに、また私はハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)の曲を聴いた。乗客たちの無気力感が充満した早朝の電車のなかで。そんななかでも、必ず1両に1人か2人、意味もなく終始ニヤニヤとしている男性が生息しているのは不思議である(女性はまずいない)。 「十字架上のキリストの7つの言葉(Die sieben letzten Worte unseres Erlosers am Kreuze) 」(1785)。序奏と7つのソナタ、そして終曲「地震(Il terremoto)」からなる管弦楽作品である。
ハイドンは、四旬節にスペインのカディス大聖堂で演奏するために注文を受けてこの曲を作曲した。本来はバリトンのレチタティーヴォで歌詞が歌われたそうだが、その部分は紛失してしまっている。
この典礼では、キリストの7つの言葉が語られ、それぞれが読まれたのちに瞑想の時間が持たれる。その瞑想のときに演奏されるために書かれた音楽である。
また、ハイドンはこの曲をその後、同名の弦楽四重奏曲とオラトリオに編曲している。弦楽四重奏曲のほうは第50番から第56番の7曲からなるもので、1787年刊。作品番号は51である。この曲については以前、「ハイドン in ねじまき鳥」のタイトルで記事を書いた('08年5月2日付け)。
オラトリオの方は1794年作曲で、台本はJ.フリーベルト。'96年に歌詞のみを作曲者とG.ヴァン=スヴィーテンが改訂している。
このようにもとのオーケストラ作品を2回転用している。
よほど気に入っていたのか、使い回ししやすかったのか……(前者です、ほぼきっと)
曲(管弦楽版)は、次の曲から成っている。
1. 序奏 二短調
2. 第1ソナタ変ロ長調
「父よ、彼らをお赦し下さい」(ルカ 23章34節)
3. 第2ソナタ ハ短調
「あなたは今日、私と共に楽園にいる」(ルカ 23章43節)
4. 第3ソナタ ホ長調
「女性よ、これがあなたの息子です」(ヨハネ 19章26節)
5. 第4ソナタ ヘ短調
「わが神よ!なぜ私を見捨てたのですか」)(マルコ 15章34節)
6. 第5ソナタ イ長調
「わたしは渇く」(ヨハネ 19章28節)
7. 第6ソナタ ト短調
「すべてが終わった」(ヨハネ 19章30節)
8. 第7ソナタ変ホ長調
「父よ!あなたの手に私の霊をゆだねます」(ルカ 23章46節)
9. 終曲「地震」ハ短調
深刻な序奏で始まるが、全体を通じて「温かく見守る」ような優しい音楽。十字架上でのイエスの最後の言葉に関わる音楽なのだから、重い雰囲気に支配されていそうなものだが、そういうところはない。
《彼の作品ほど、ノイローゼ的要素のない音楽を考えるのはむずかしい(おそらく、この点で匹敵する唯一の音楽作品は、ドヴォルザークの音楽であろう)。ハイドンの音楽は常に正気で健康である》(H.C.ショーンバーグ「大作曲家の生涯」:共同通信社)ということが、この作品にも当てはまる。
すべてが緩徐楽章であるが、案外と「退屈」はしない。
ハイドン自身もこの音楽には満足していたようだ(だから転用したのだろう)。 この「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」を題材にして、ルジツカ(Peter Ruzicka 1948- )は「ヨーゼフ・ハイドンの音響領域による変容(Metamorphosen uber ein Klangfeld von Joseph Haydn)」(1990)を書いている。この作品については'07年10月19日のブログで取り上げているが、ひじょうに緊迫感のある曲である(私はとても好きだ)。
私が聴いているCDは、ムーティ指揮ベルリン・フィルの演奏による1991年録音のもの。フィリップスの434 994-2(輸入盤。現在は国内盤が出ている)。
この輸入盤のCDジャケットを見ても、すっげえ恨みの言葉をイエスは最後に叫んだように思えちゃうのだが……。でも、この曲を聴く限りは平安である。もっとも、激しい曲だったなら瞑想はできなくなっちゃうだろうけど。
ちなみに、マタイによる福音書第27章の46節には次のように書かれている。
《そして3時ころに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である》
生前ハイドンは、「神は私に朗らかな心を与えてくれたから、神に朗らかに奉仕しても神は私を許されるであろう」と書いたことがあるそうだが、その精神はこの作品にも表れているように思える。
新館入口(2014.6.22~)
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