作曲家たちがおくった人生を伝記などで読むと(伝記って言葉自体すっごく懐かしい響きがする)、それぞれけっこう波乱に満ちている。
やばっちい性格の人もいる(たいていがそのようだ)。
梅毒で死んだり、毒キノコを食べて死んだり、人の妻を奪ったり、ある未亡人が好きでたまらなかったのにプラトニックで終わったり、ホモだったり、誤射されて死んだり、恐妻家だったり、精神に異常をきたして死んだり、人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ咲き乱れるの、である。
そんななかでもなかなか怖い部類に入るのがスクリャービンである。
なんせ神秘主義に溺れたのである。
神秘主義って書くと神秘的だが、はっきり言って狂気である。
スクリャービンの作曲スタイルは1898年を境として変わると、H.C.ショーンバーグは「大作曲家の生涯」(共同通信社)のなかで書いているが、まず重要なことは、ショーンバーグはスクリャービンを“大作曲家”として位置づけていることである。ショーンバーグ様が言うのだからそうなのだろう。 1897年から98年にかけて作曲されたピアノ・ソナタ第3番嬰ヘ短調Op.23は、《音構成よりも色彩の点描に重点を置く傾向を示している。輪郭はあいまいで、内容も秘密めいた響きを持ち始める》(「大作曲家の生涯」。以下《 》の引用は同書からによる。スクリャービンの写真も同書から)作品となっている。
《スクリャービンはこの作品を Etats d'Ame (霊魂の状態)と呼んだ。これは彼の音楽における、と言うよりも、あらゆる音楽における決定的断絶であった》のである。
彼が神秘主義にたどり着いたのは、ニーチェを読み始めてからであった。さらに、ヘレナ・ブラヴァツキーの神智学的著作にも影響を受けた。
《音と恍惚、神秘的儀式としての音楽、といったものを彼は考え始める。パルジファルが東洋にやって来たような感じだった。神智学の術語がスクリャービンの会話に目立ち始めた。―「これらの古代の秘儀のなかに、真の変容、真の秘密、聖なる感情が存した」》
いやぁ~ん、怖いぃぃぃっ!
その後、交響曲第3番ハ長調Op.43「神聖な詩(Le divin poeme)」(1902-04)において(そして、ピアノ・ソナタ第4番において)、スクリャービンは作曲上の決まりを無視しだした。「神秘の和音」なるものを創り出し、これをもとにその後の作曲が行なわれた。「神秘の和音」というのは、ハ、嬰へ、変ロ、ホ、イ、ニからなる和音である。
交響曲第3番は、《「人の姿をした神」、官能の喜び、神々の遊び、霊魂、聖霊、創造的意志、などを表現している》。
3つから成るこの交響曲の各楽章には、愛人タチャーナが与えたという題がついている。
第1楽章 闘争(Lutte)
第2楽章 快楽(Volupte)
第3楽章 神聖な遊び(Jeu divin)
やれやれなカップルである。
まっ、だいぶノリピっているが、神との闘争、人間の欲望、神と合一した人間の浄化された快楽、を表すのだそうだ。神聖な遊びって、合一し浄化したものなのか……
《スクリャービンは「神聖な詩」を自己の作曲活動における転機と考えた。―「この曲によって初めて私は音楽のなかに光明を見出し、陶酔と高揚、息がつまるような幸福感とを味わった」。総譜には「輝かしく、徐々にきらめきを増すように」よいった指示が随所にちりばめられた。スクリャービンは、音が直接色彩に翻訳されるという稀有な遺伝的体質「共感覚」の持ち主だったのかもしれない。共感覚の持ち主は、音楽を聴くと必ず眼前に色彩を見るのである》
音楽は力強い低い金管による“叫び”で開始される。
そのあとは、まさに音の饗宴。神秘的としか形容のしようがないオーケストラの響きが左右の耳を通じて脳天までを支配する。
私はスクリャービンが「おかしくなる前」の第1番、第2番の交響曲がとても好きで、実は3番以降の交響曲は長い間敬遠していた。しかし、あるとき第3番の魔力を知ってしまった。
来ました、来ました、神秘様が来ましたって感じである。
心配は不要。間違っても怪しげなスピリチュアルのセミナーなんか受けないから。
「スクリャービンに対するときのポーズ」というブログ・タイトルで、私が第1、第2交響曲を取り上げたのは、昨年'08年3月20日のことだ。
その記事の中で私は、「正直なところ、私もこの「神秘時代」に突入した彼の作品は、あまり恋心を抱けない」と書いている。
ところがそれから1年半弱経った今、私は「神秘主義」傾向のスクリャービンの作品に淡い
恋心を抱いてしまっている。
何があったんだ、MUUSAN?
そのあと、いろいろあったのよ。
いや、心配は要らない。うさんくさいスピリチュアルの世界に入り込んだりはしないから。
この記事のときに、村上春樹が「羊をめぐる冒険」の中で、以下のように書いてある部分を紹介している[E:aries]。
《列車は二両編成で、全部で十五人ばかりの乗客が乗っていた。そしてその全員が無関心と倦怠という太い絆でしっかりと結びつけられていた。(中略)太った中年の女はスクリャービンのピアノ・ソナタに聴き入っている音楽評論家のような顔つきでじっと空間の一点を睨んでいた。僕はそっと彼女の視線を追ってみたが空間には何もなかった》(講談社文庫・下巻100ページ) そうなのだ。スクリャービンってそんな感じを思わせる音楽を書いたのだ。
ただ、あまり構えないで聴くと、そこには甘美で官能的で性欲を満たしてくれるような世界が広がる。もっとも、スクリャービンを聴いていて思わず勃起してしまっていた、なんて話は聞いたことがないから過度の心配はしなくてよろしい。
交響曲第2番の緩徐楽章では、鳥[E:chick]のさえずりのようなフルートの音が美しかったが、第3番においても第1楽章からさえずりが聴こえてくる。これがまた、自然の偉大さを訴えかけてくるかのよう。吉松隆の第1交響曲は「神聖な詩」の影響を受けているんじゃないかな、とも思ったりもする。
私が現在持っているCDはインバル/フランクフルト放送響の全集ものだが(フィリップス)、現在は廃盤。きれいな音響で、とろとろした官能美とは違うが、きらきらした美の空間が広がる[E:shine]。
この曲を私が知ったのはスヴェトラーノフがおそらく1960年代に録音した演奏だった。そのLP(メロディアの廉価盤)を持っていたのだが、う~ん、冒頭の金管の音しか記憶にない。肝心のエロス的世界はどうだったんだろう?その後耳にする機会がないが、今度買ってみよう。記憶違いで、案外、ウッフン、アッハンですごかったりするかもしれない。
新館入口(2014.6.22~)
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