スクリャービン(Aleksandar Scriabin 1872-1915)が、「神秘主義」へ突っ走り、はっきり言えば“おかしく”なりつつあったことは先日書いた

 で、今日はそのあとの作品である、交響曲第4番「法悦の詩(Le Poeme de l'extase)」Op.54(1904-07/08)と交響曲第5番「プロメテウス―火の詩(Promethee - Le poeme du feu)」Op.60(1908-10)。
 この2曲の「交響曲」というのは通称であって、もはやそういう形式ではなく、スクリャービン独自の“詩曲”の概念で作曲されている。その概念の意味がよくわかんない気がしないでもないけど、どちらも単一楽章の曲である。
 「法悦」なんて言葉はわれわれはふだん使わない。少なくとも私は使わない。けど、原題を見ておわかりのように、エクスタシーのことである。
 あぁ、法悦!
 また、「火の詩」では、合唱とピアノ、そして投光(色彩)オルガンなるものが使われることになっている。色彩と音楽の融合である。

 交響曲第4番「法悦の詩」は、おそらくスクリャービンの作品の中では最も知られているもの。良いか悪いか、気持ちいいか気持ち良くないかは別として、スクリャービンの個性というものがこの曲で完全に発揮できた(とされる)。
 スクリャービンは、聴衆を従来の音楽の枠組みから解放し、エクスタシーを通じて至高の世界に導こうとしたのである。
 「神秘の和音」がたっぷりと使われているという。私には「あっ、ここだ。おっ、こんなとこにも」とわかりはしないのだが、独特の響きは「神秘の和音」のせいなのだろう。同じモティーフがこれでもかこれでもかと、しつこく繰り返される。
 何度もいっちゃった……って感じか?

 「法悦の詩」からさらにエスカレートしたのが交響曲第5番「プロメテウス―火の詩」だが、この曲についてH.C.ショーンバーグは「大作曲家の生涯」(共同通信社)で以下のように書いている。

64cddad7.jpg  《この作品には、世界の始まりと宇宙における原子の踊りで終わる、精巧な標題が付されている。「プロメテウス」では、フル・オーケストラのほかに、ピアノ、合唱、投光オルガンが用いられた。それは音楽と色彩の合成を目指すスクリャービンの、最初の試みであった。
 彼が「プロメテウス」のために作成した設計図は、下記の通りだった(注:掲載した表)》

 ただし、この曲が初演されたときには、投光オルガンは使用不能として用いられなかった。

 交響曲第5番と並行して、スクリャービンは「神秘(ミステリウム)」の構想を練っていた(「プロメテウス」の初演を指揮したクーセヴィツキーは「神秘」の完成に必要な向こう5年間、スクリャービンに毎年5,000ルーブルを支払うことに同意していた)。
 しかし、作曲はまったく進まなかった。音楽以外の仕掛けのことばかり考えていたのだ。
 なんでも、「神秘」のクライマックスでは、宇宙の壁が崩壊するというのだ。スクリャービンは、「神秘」の成功のあとは法悦の境地で息がつけなくなるだけだ、と言っている。
 しかし、計画はスクリャービンの頭の中にとどまったまま終わりとなった。唇にできた悪性腫瘍に起因する敗血症のために、死んでしまったのだった。

 ところで、「神秘主義」に傾倒しだしたあたりから、スクリャービンにはおかしな兆候がでていた。

 《幾つかの奇癖が生じた。ひんぱんに手を洗うようになったし、金銭に触れるときには必ず手袋をはめた。化粧室で女優並みの時間を過ごし、シワがふえていないか、禿げが進行していないかを気にした。極度の心気症(ヒポコンドリア)を患い、不道徳ぶりはワーグナーの域に達した。そしてワーグナー同様、自己の行動の合理化、正当化が容易であることに気づいた。―「したいことすべてをする方が、したいことをしないよりもはるかに困難なのだから、好きなことを行なう方がより高尚である」》(同書)

 こうして、教え子を誘惑し、モスクワで大スキャンダルとなった。
 その教え子というのが、「神聖な詩」の各楽章の標題を考えたタチャーナ・シュレーザーである。
 それにしても、「したいことすべてをする方が、したいことをしないよりもはるかに困難なのだから、好きなことを行なう方がより高尚である」って、使えそうである。周囲が自分をまともに見てくれなくなる危険性を大いにはらんでいるが……

93670b4a.jpg  さてCDだが、私はLP時代からマゼールの演奏を聴いている(と言っても、「神聖な詩」のときに書いたように、「神秘主義」時代のスクリャービンを「あぁっ、気持ちいいっ!」って聴けるようになったのはここ1年ほどの話である)。
 オーケストラは、「法悦の詩」がクリーヴランド管弦楽団(1978年録音)、「プロメテウス」がロンドン・フィル。「プロメテウス」のピアノはアシュケナージ、合唱はアンブロジアン合唱団である(1971年録音)。
 このCDには、美しいピアノ協奏曲嬰ヘ短調Op.20(1896)も収められているが、「法悦の詩」「プロメテウス」のあとにこのコンチェルトを聴くと、なんてノーマルなのだろう、と改めて「神秘主義」音楽のぶっとび度を認識させられる。
 なお、現在販売されているCDは掲載したデザインではなく、LPのときと同じジャケット・デザインとなっている(こっちの方が断然良い)。