もしあなたが、恋い焦がれた女性に結婚をほのめかすラブレターを送り、彼女からの返事が冷徹極まりなかったらどうするだろうか?
私は泣くね。鉄道自殺も考えるね。
でも、世の中変な奴も増えている。相手を殺してしまえと思うどーしようもないオスもいるかも知れない。それはとってもいけないこと…… ブラームスやマーラーに認められ、各地の歌劇場の指揮者として活躍したツェムリンスキー(Alexander von Zemlinsky 1871-1942)。
彼はシェーンベルク(Arnold Schoenberg 1874-1951)の師(そして義兄)でもあった。ただ、彼はシェーンベルクの支持者ではあったが、その音楽には当惑していたという。
そのツェムリンスキーの作曲の弟子にアルマ・マリア・シンドラーがいた。
アルマ……そう、マーラーの妻となったあのアルマである。
村井翔の「マーラー」(音楽之友社)によると、《1901年の時点では、彼女の結婚相手がツェムリンスキーになっても、少しもおかしくなかった》(13p)のだった。
ツェムリンスキーは1901年の5月頃にアルマに宛てて手紙を書いている。
《繰り返し繰り返し、僕は君から聞かされたよ、人々が僕について言っていることを。いわく、僕は恐ろしく醜い、金がない、おそらく才能もない、さらにとんでもない馬鹿だとね! 僕の誇りもいいかげん、我慢できなくなりはじめている! 怒らないでくれたまえ―僕は全部打ち明けて、心の重荷を取り去る必要があるのだ。君はいつも、何か与えるものを持っている人だった! いいだろう―いずれにせよ、ここ四週間、僕は自分らしく振る舞ってこなかった! だが、僕だって何かを与えるべきもを持っている人間だったんだ、いつでも、いつでも!! 僕は何も持っていないし、美男でもない、君の―わずかな―愛にでも感謝を捧げる乞食のように自分が思えるよ。僕が君のものになりうると考えるのは、ひどく不自然な、実際、まったく自然に反すること―そして思いあがったことなのだろう。でも、なぜそうなのか? 僕にはどうしてもその理由が見えないのだ》(同121p)。
自分なんか崇高なあなたの相手にはなれっこないと自らは貶めておいて、けどそんなことがあるだろうかと、反語的に自分を肯定する、ありがちな同情誘導技法である。
ツェムリンスキーはさんざん自分を卑下している。やりすぎの感もある。
でも、「そんなことないわ、センセっ」という返事がアルマから来るはずである。
ところが来た手紙は、《涙なしには読めないアルマの冷たい返答》と、村井がいうものであった。
《あなたの主な望みは輝きたいということでしょう。そのために必要なのは、何にも増してお金ですし、そうなれば「もう少しハンサムな」男になれるでしょう! そのために愛はほとんど必要ないのでは。でも、私が持っているのは愛だけです。だから、私はあなたにふさわしくないのです。それが、あなたの最近二通の手紙の内容です。単刀直入に言いましょう。私はあなたの出世の邪魔はしたくありません。それとも、私が真剣に結婚を考えるならば―あなたは私が女として望むものを与えてくれますか? 美しさはすぐにあせます、それに結局、人は美になれてしますものです。それにまた、美しい女は恋愛の対象であって、結婚相手ではありません。そうじゃありませんか? 私が求めるものは多くの愛、多くの盲目的信頼と献身です。……私はこれまであなたに示すことができた以上に、はるかに情熱的にあなたを愛しています。でも、私は奴隷でなく、主人でなければなりません!! 私は主人であることしかできないのです! 恋人の前で謙虚に振る舞うことはできますが、それが私に対する要求であってはならないのです。とりわけ私は、自分のほうがより多く与えているというあなたの考えには耐えられません! 実際、それは間違いです!! 常に私の方が多く与えています、私の方が内面的に豊かなのですから!》(同122p)
ひどいっ、ひどすぎるっ!
このクソアマ、犯したろかっ、と言いたくなる(犯せるぐらいならこんなこと言われずに済んだんだろうけど)。
それにしても、超ドS級女である。相手が下手に出ると、とことん攻撃してくる。
自分を美しいと断言するこの自信!私の妻も、自分は美しくないと断言できるくらいの意思を持ってほしいものだ(フォローするなら、少なくとも妻は、美しいとは言えない側に属するということはそれ相応に自覚している)。 それでも、憐れなツェムリンスキー先生は「私はこれまであなたに示すことができた以上に、はるかに情熱的にあなたを愛しています」という1行に、望みを託したんだろうか?「こう書いてあるから、まだ絶望的じゃないぞ」って……
ところで、ツェムリンスキーはそんなにブ男だったのか?ウィキペディアに載っている写真を紹介しておく。どう思います?
アルマは1902年3月、マーラーと結婚した。
ツェムリンスキーのような「僕なんて……」みたいな男を、アルマが好きになるわけがなかった。というのも、アルマを診察したフロイトによれば、彼女は男性に亡き父を重ねていた。マーラーは「私の父を除けば、男性として私に強さを感じさせる最初のユダヤ人」だったのである。
アルマはマーラーの強さに惹かれた。
しかし、というよりもそのため、のちにマーラーがアルマに対し禁止していた作曲を許可し、さらにはアルマの浮気を容認したとき(1910年の夏、マーラーはグロピウスからアルマに送られていたラブレターを発見する)、アルマは「強くなくなった」マーラーに見切りをつけ、浮気相手だった建築家ヴァルター・グロピウスとの仲をますます深めた。2人はマーラーの死後結婚する。
しかし、このとんでもない女・アルマは、1918年、同じように「強くなくなった」グロピウスに見切りをつけ、フランツ・ヴェルフェルと新たな恋に落ちる。すごい女である。強いんだか、男好きなんだか、弱いんだか、わからなくなってしまう。
さて、かわいそうなツェムリンスキーの話に戻ろう(“ふかえり”の「かわいそうなギリヤークじん」というセリフを思い出してしまった)。
1923年という年は、マーラーが亡くなってからすでに12年経っており、アルマはすでに書いたような“やれやれな女”だったことがわかっていたし、音楽界では新ウィーン楽派(シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン)が活躍していた。ツェムリンスキーは過去の人となりつつあったわけである。そんな環境のこの年に書いた「抒情交響曲」(「叙情交響曲」と書くこともある)が、彼の代表作になったというのは何となく皮肉である。
7つの楽章から成るこの曲では、ソプラノ(偶数楽章)とバリトン(奇数楽章)によってインドの詩人ラビンドラナート・ダゴールによるテキストが歌われる。
各楽章にはタイトルがつけられてはいないが、便宜上、歌詞の歌い出しを表記することが多い。
ここでは、下に紹介するCDのライナー・ノーツに“大意”として書かれているものを記しておく。
1. 私は不安だ、私ははるかなるものを渇望している。
2. お母様、若き王子様はきっと家の門扉を通られるはず。
3. お前は私の夢の空に広がる夕やけの雲。
4. 話してちょうだい、愛しい人、あなたが歌(い)ったことを歌(ことば)で告げて。
5. 恋人よ、私をお前の甘美なる呪縛から解き放ってくれ。
6. 最後の歌をうたい終えたらお別れしましょう。
7. 穏やかに、わが心よ、別れの時を甘美にしておくれ。
まあ一言で言ってしまえば、すれ違う男と女の話である。
アルマのことをまだ引きずっていたのだろうな……
ツェムリンスキー自身、出版社に対しこの曲とマーラーの「大地の歌」とを比較して書いているということだが、う~ん、マーラーの音楽とは格が違う。アルマがマーラーを選んだのは、曲を聴く限りは、無理もないか……
でも、とっても悲しさが伝わってくる曲ではある。
なお、この曲の第3楽章の旋律の一部をベルク(Alban Berg 1885-1935)は「抒情組曲(Lyrische Suite)」(1925-26)の第4楽章で用いている。
私が持っているCDは、ミヒャエル・ギーレン指揮南西ドイツ放送響のもの。ソプラノはヴラトゥカ・オルザニック、バリトンはジェームズ・ジョンソン。1994年の録音。ALTENOVA CLASSICSレーベルのBVCC6096。ベルクの作品2曲がカップリングされている。ただし、現在は入手困難なよう。
美しくモテる女って、果たして本当に幸せなのだろうか?
幸せなんだろうな、やっぱり……
新館入口(2014.6.22~)
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