ad2aa219.jpg  私はおにぎりが好きである。しかも“おむすび”と呼ぶのは嫌いである。

 おにぎりの中身でいちばん好きなのは鮭であるが、塩加減がやや強いものでないとだめだ。
 ビン詰めの鮭フレークではなく、紅鮭の切り身をちゃんと焼いたものでなくては困る。困っちゃうのである。
 かつお節のも好きである。チーズおかかのおにぎりを初めて見たときは、「そんなものが美味いのだろうか」と思ったが、かなりいける。チーズは時と状況によってはご飯に合うのだ。
 昆布の佃煮(おかかこんぶ、しそこんぶなど)も好きだし、何より昆布は体に良い。でも摂り過ぎは甲状腺機能に支障を来たす。でも体に良い。
 苦手なのは、梅だ。私は梅干が苦手である。すっぱさのあまり、口がおちょぼ口になってしまうからだ。梅干を70才未満の人が摂取することを禁止する法律ができるか、70才未満の人が摂取すると体に重大な危害を与えるという学説が発表されることを切望している。
 ひじきも苦手だ。いや許せない。ひじきの混ぜご飯のおにぎりを食べるくらいならガマンした方がマシだ。なぜ黒くて舌触りの悪いひじきをご飯と混ぜようと企むのか、私にはその発想自体が信じられない。
 だいたいにして、ひじきには猛毒のヒ素が多く含有されているというではないか?なぜ人間がひじきを食べてもヒ素中毒にならないのか解明されているのだろうか?いつ、ひじきが突然変異を起こし、ヒ素が悪さをするかも解らない。林真須美が研究結果を発表するまではひじきを販売することを禁じて欲しいものだ。 シーチキンマヨネーズもイヤだ。悪くなっていそうだからだ。
 ゴマおにぎりというのも苦手だ。やはり海苔を着せられていないと、おにぎりと言うにはふさわしくない。海苔で巻かれていないのは、ただのご飯玉だ。だいたい、ゴマおにぎりの貧乏臭さが耐えられない!ゴマをまぶすぐらいなら、砂利をまぶしたほうがまだましだ(鑑賞する場合には)。
 おにぎりをアルミホイルで包むかラップで包むかは、人類の永遠の課題である(日本人以外を除く)。私はアルミホイル派である。アルミホイルを剥いでいくときの快感がたまらないし、万が一間違ってアルミホイル片まで噛んでしまったときの形容しがたい刺激は10年に一度は経験したくなるものだ。さらにアルミホイルの場合、開けたときにもしかするとおにぎりがハムサンドに変化しているかも知れないという未知の期待感がある(サンドイッチはラップで包むべきだが)。さらに、アルミホイルがおにぎりの熱でかすかに化学変化を起こし、おにぎりを食べることでアルミニウムを摂取できる可能性だってあるかもしれない。アルミニウムは微量元素として非常に大切なのである(植物にとって)。
 その点、ラップならばスケスケだから、明らかにそれはおにぎり以外の何物でもないという、実につまらない結果となる。おにぎりに露出狂のような役割を与えていることも罪深い。私は不透明のラップが新発売とならない限り、アルミホイルを支持する(透明なアルミホイルが新発売となったときには、とても困る)。

 ということで、タラコや明太子、濃いめに味付けた玉子焼きなどの具については言及できなかったが、このように「交響詩『十月革命』を鑑賞しながらおにぎりを食べることは似つかわしい行為ではない」という私の主張を終わりたいと思う。

[E:note]

 交響詩「十月革命(October)」Op.131(1967)はショスタコーヴィチ(D.shostakovich 1906-1975)の作品である。この年の十月革命50周年を記念して書かれた。
 “十月革命”に関する作品として、ショスタコーヴィチはほかに交響曲第2番(1927)と交響曲第12番(1961)を書いている。

 ところで、歴史における十月革命とはどのようなものだったのか?
 1917年2月、首都ペトログラードで労働者・兵士代表のソヴィエト(政治的組織)が成立し、皇帝による専制政府が打倒された。ニコライ2世は退位させられ、臨時政府が成立した。これを「二月革命」という。
 次いで10月25日、レーニンが指導する党の武装蜂起が成功し、首都にソヴィエト政権が樹立された。つまり社会主義革命が成功したのだが、これを「十月革命」という。「二月革命」と「十月革命」の2つを合わせて「ロシア革命」と呼ぶ。
なお、国家権力が確立したのは、それよりあとの1921年の内戦終了時となる。
 「ロシア革命」の第1弾であった「二月革命」が起きる発端になったのは12年ほど前の1905年1月に起きた事件だった。ペテルブルクで皇帝に労働条件改善の請願書を渡そうと集まった労働者たちに、軍隊が一斉射撃を浴びせ、数百人の死者が出る騒ぎとなった。首都は恐慌状態に陥り、「血の日曜日」と呼ばれた。この事件を契機に皇帝の道義的正当性が失われ、「二月革命」へとつながったのであった。

 交響詩「十月革命」は“暗”から“明”へと音楽が展開される。典型的な社会主義リアリズムの作風で書かれている。
 この作風と、そして政治的要請で書かれた作品であるということが、今日ではこの曲がほとんど聴かれなくなってきている原因だろう(その点ではショスタコのほかの作品も危ういものがけっこうある)。
 音楽は序奏のあと速度を速める。その後はロシアの革命歌「パルチザンの歌」の旋律も用いられる(こういうところがいかにも“社会主義リアリズム”的)。最後は大きな盛り上がりをみせ曲は閉じられる。

 めったに演奏会で取り上げられないこの交響詩が、札響の12月の定期演奏会で演奏される。
 聴けるのをちょっぴり楽しみにしている私であるが、もちろんこの曲とおにぎりとは何の関係もない。
 CDは交響曲第2番のときにご紹介した、アシュケナージ盤を。あんまり良い演奏には思えないが、そう贅沢は言ってられない。選択肢がほとんどないから。