私がOCNを使ってブログを書くようになって2年とちょっとになる。
最初は“はじめの一歩”という無料プランで始めたが、やがて容量不足になってしまった。そこで“ホップ”という、有料プランのなかではいちばん安い月額315円のコースに替えた。
315円といえども、月々の電話料金に上積みされる。当たり前のことだ。
「なんで今月から基本料金が上がったのか」と、めざとい家族のなかに疑念と不安が渦巻く。
「まずい。これでは実は私がブロガーであることがばれてしまう。しかも不人気の」。
私は、実はM78星雲からやって来たウルトラセブンだという秘密を隠している諸星ダンのような心境になり、「家族の皆さまの体に危険なウィルスが感染しないよう、ウィルス・セキュリティの強化ならびに迷惑メールの自動判別、ひいてはスパム対策を目的とするところのファイヤー・ウォールの機能を充実させ、テラコッタがパンナコッタにならないようアクセス制限を考慮するオプション契約をつけたからだ」と、知っている通信関連の単語を並べてまくしたて、事なきを得た。煙たい奴らに最も効果的なのは、煙(けむ)にまくことなのだ。
個人的には、調子に乗ってテラコッタとパンナコッタと言ってしまったことが(そのとき肩がこっていたのだ)、けっこう墓穴を掘る的なフリーズの原因になりそうだったが、幸い敵が先にフリーズ、というよりは私をブロックした。
私はブログを書いていることを家族にひた隠しにしている。親戚もしらない(そもそも親戚と付き合いがない)。隣の家も知らなければ(隣は空き地)、町内会長も知らない(町内会長が誰かも私は知らない)。その昔、東京時代、当時の上司には教えたが読んでくれていない。
私のブログは、私とあなたとの「ヒ・ミ・ツ!」なわけだ。厄介な秘密に関わらせてすまんと思っている。知らないまま人生を過ごせなかったことを心から気の毒に思う。
無料プランを利用中の末期は、なんとか容量を確保しようと過去のいくつかの投稿文を削除した。あまり面白くない記事やためにならない記事、出来が悪い記事だ。その結果、危なく容量が使用前のまっさらな空き状態に戻るところだった。そこで自分で合格ラインをずっと低くし、やはり大半の過去記事を残すことにしたが、それでも抹消されてしまった貴重な“習作”は、はかなく霊魂となった。
いくつかの記事が消されてしまったことを気づいた読者は、驚いたことに1人もいなかったと推測される。
それにしてもブログを始めた頃の文章は拙かった。自分でつくづくそう思う。
最近の記事と2年前の記事を読み比べてみて欲しい。レベルが向上していることが明らかに感じらると、まったく言い切れない。一貫して拙いままだ。困ったものだ。しかし、たった2年とも言える。例えば78歳の老人と80歳の老人で、そんなに進歩の差がでるだろうか?何についての進歩か書いている本人も理解していないが、2年程度で劇的な変化を遂げることは案外難しいのである。それに、場合によっては後退することだってありうる。
また、言い訳もある。たっぷりある。
そのうちの代表的なものを述べさせていただくならば、私には文をじっくりと考え、それを書く時間が足りないのだ。3度の食事をし、夜は毎晩酒を飲み(飲み始めた直後からあらゆる思考が停止してしまう)、シャワーを浴び、音楽も聴き、本も読み、生きるために仕事もし、妻の小言を強制的に聞かされ、周囲の人たちに説教され、エッチな動画を検索し、バラの手入れをする。このように私は多忙なのだ。
それに加えて私は生まれつきの落ち着きがない。そんな私がブログの文を熟考することはなかなか難しい。
「じゃあ、毎日は投稿しなければいいじゃないか。1ヵ月に1回くらいにしたら?」と思われるかもしれない。
すっごく一理ある。でも、私には友だちが少ない。いないと言ってもよい。だから休みたくないのだ。ブログを通じて知り合いになった人が私にどれだけいるとおわかりだろうか?1人もいない……
つまりだ、継続は力なり、じゃあないが、何となく毎日書きたいだけだ。
それでも、乱発のなかでも週に1~2本はそれなりに時間をかけて書き、さらに推敲を重ねて(2回くらいだが)から出稿している。
私の文を1週間分続けて読んでみてほしい。そのうちの1~2本は明らかにレベルが違うのがわかるだろう。少なくとも誤字脱字は少ないはずだ。“。”が“。。”のように重なっている頻度もかなり少ないはずだ。時間をかけた賜物である。ただし、目に見えた効果がない場合もありうる。
ところで、私は土屋賢二氏(1944- )のエッセーが好きだ。話の展開の転換は、さすが哲学者である。ほかの哲学者がどんな文を書くのか知らないが……。氏は週刊文春にエッセーを連載しているが、最初はたいして面白くないと思っていた。ところがだんだん私は彼の魅力に引き込まれてしまい、氏のエッセー集はすべて購入するまでに洗脳されてしまった。
私の文が土屋氏の影響を受けているというのは誤解である。たぶん。
私はあそこまでに機転がきいたことは書けない。氏の発想や文体を真似るのはかなり難しいはずだ。私の文に劇的な機転や転換や矛盾の要素があったとしたら、それは日本語が達者でないという理由だけだ。ただ、私が土屋氏のエッセーの面白みがわかるのに時間がかかったのと同じように、私のブログ記事の、書き手すら気づいていない秘めた面白さが理解されるのにはもう少し時間がかかる可能性も、ごくわずかながらある。問題は「もう少し」という時間が宇宙単位である恐れが高確率であることだ。あるいは可能性はやっぱりなかったと証明されることだ。
氏の初期のエッセー集に「人間は笑う葦である」(文春文庫)というのがある。その“あとがき"としてミステリィ作家の森博嗣氏が寄稿しているが、それは土屋氏のスタイルを真似ているような文だ。ただ、土屋氏の文のあとにこれを読むと、森氏に対して痛々しい感じが残る。
もし森氏の文が本人のオリジナルなスタイルだとすると、それを土屋氏のエッセーのあとに載せるのはかなり意地悪で気の毒である。切り口は似ているがビールと発泡酒ぐらい違う。
いずれにしろ、私は土屋氏に影響は受けていない、と思う。でも、同じような思考の著名人がいることに、私は人類である喜びを感じる。
そういえば、夏前に起こった怪奇現象の「オタマジャクシが空から降ってきた事件」はまったく話題にならなくなったが、オタマジャクシがすでにカエルに育ってしまったせいだろうか?それとも「1Q84」が出版されてしまったからだろうか?
新館入口(2014.6.22~)
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