それは、シュニトケ(Aifred Schnittke 1934-98)の「コンチェルト・グロッソ第4番」=「交響曲第5番」である。
作曲されたのは1988年。
コンチェルト・グロッソ(concerto grosso)の日本語訳は「合奏協奏曲」だが、これは「大協奏曲」の意味である。この合奏曲形式はバロック時代の重要な形式で、独奏楽器による小合奏部(コンチェルティーノ)とオーケストラ全体による大合奏部(リピエーノ)が対比される形の協奏曲である。
現代の作曲家がバロックの形式を用いているのは奇異な感じがするが、それがシュニトケの特徴でもある。「多様式主義」……シュニトケの音楽はしばしばバロック的である。一方で、しばしばひどく現代的―いろいろな意味で―である。彼の音楽では、多くの場合に、オーケストラの編成に入れられたチェンバロの響きが、聴き手をバロック音楽の世界へとタイムスリップさせる。
先日、マーラーのピアノ四重奏曲の断片について書いた。この曲は、第1楽章はきちんと残されているが、ほかに30小節ほどのスケルツォの断片も残っている。
シュニトケはそのスケルツォの断片もとに、「ピアノ四重奏曲」を書いた(1988年)。さらに同じ年に作曲した「コンチェルト・グロッソ第4番/交響曲第5番」の第2楽章でも、マーラーのスケルツォ断片を用いた。
アレクサンドル・イヴァシキン著の「シュニトケとの対話」(秋元里予 訳。春秋社:2002年)のなかに、マーラーの断片を用いた「ピアノ四重奏曲」と「コンチェルト・グロッソ第4番/交響曲第5番」について語っている箇所がある。ここでは「コンチェルト・グロッソ第4番」と「交響曲第5番」という、この曲が2つの名を持つに至ったことも語られている(ような、いないような)。
Sがシュニトケ、Iがイヴァシキンである(298p- )。
[E:notes]
I シュニトケさんには、若き日のマーラーが書いた「ピアノ四重奏曲」の習作を基にして書いた作品がありますね。
S ええ。マーラーと同じ編成の作品ですが、マーラーの主題は最後に現われます。現われたかと思うと、止まります。その主題はマーラーが書いたとおりのままで、未完なのです。その主題は進んでいくうちに、だんだん晴れやかになっていきます。
I マーラーは第1楽章だけを書いたのですか?
S マーラーは第1楽章だけは全部書きましたが、第2楽章から先は数小節しか書いていません。しかし主題は実に天才的です。「これはマーラーだ」と、第1小節からわかります。16歳で書いたのにですよ!他に類がありません。ト短調からイ長調への転調、その後、ト短調へ。なんとも非標準的です!僕はマーラーが書いた第1楽章にはそもそも手を触れませんでした。それほど好きではないものですから。
I これとは別に、この作品の管弦楽曲版が「コンチェルト・グロッソ第4番/交響曲第5番」の第2楽章になりました。これを交響曲の緩徐楽章と考えていますか?
S いいえ、これはむしろスケルツォであり、子守唄です。
I ところで、なぜ突然「コンチェルト・グロッソ/交響曲」という二重の名前がついた作品を書こうというアイデアが浮かんだのですか?
S 僕は常になぜかこの2つの形式に戻ってきてしまいます。この2つは僕にとって図式的でもあり、他方、鉄則のようなものの現れでもあります。これはそのつどの気まぐれなのではなく、僕の内側にある世界の現実の状況なのです。
I コンチェルト・グロッソというジャンルを用いることには、音楽の中に2つの異なる面。つまり、個人という前景と群衆という背景を設定しようとするシュニトケさんの意志が現れているのではありませんか?
S ある意味で、君の言うとおりです。僕はむしろ人工的な文化の領域を想定しています。……
シュニトケは、交響曲とコンチェルト・グロッソという形式に常に戻ってくると述べているが、彼の作品リストをみると、この2つは次のような順に生まれている(ただ、CG4番とSym5番が二重の名を持ったことについては、質問者をはぐらかすように明言を避けている)。
Sym1(1969-72)-CG1(1976-77)-Sym2(1979)-Sym3(1981)-CG2(1982)-CG3(1983-85)-Sym4(1984)-CG4/Sym5(1988)-CG5(1991)-Sym6(1992)-Sym7(1993)-Sym8(1994)
「コンチェルト・グロッソ第4番/交響曲第5番」は、アムステルダム市制100年記念委嘱作品で、4つの楽章から成る。第1楽章アレグロ、第2楽章アレグレット、第3楽章レント~アレグロ、第4楽章レント。
お叫びのように開始される第1楽章は比較的明るめの表情ではあるものの、作品全体としてはシリアス。その第1楽章の旋律は、安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」(1997)によく似ている。小室哲哉がシュニトケのこの曲からヒントを得た、とは考えにくいが……。いずれにしろ音痴の酔っ払いがこの歌をがなりたてているような曲である。
第2楽章以降はシリアス度を増す。特にマーラーの断片を用いた第2楽章は、その開始からして緊張感が高い。チェンバロなどが刻むリズムと雰囲気は、何か不吉な予感がしながらも夫の帰りを暗い部屋で1人でじっと待っている、サスペンスドラマの中の妻のシチュエーションっぽい(リズムは時計の針の音です[E:coldsweats01]) 。
CDはネーメ・ヤルヴィ指揮のBIS盤を(1988年録音)。他に「ピアニッシモ(Pianissimo)」(1967/68)が収録されている。
§
今朝の新聞に、来年釧路と札幌で開かれる「くしろサッポロ氷雪国体」のマスコットキャラクターの発表記事が載っていた。北海道内だけに生息するエゾクロテンをイメージした、その名も「クロ助」に「テン子」。
やれやれ……こんなんばっかりだ。
なんだかこっちが恥ずかしくなる……
新館入口(2014.6.22~)
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