7804d335.jpg  村上春樹の「螢・納屋を焼く・その他の短編」(新潮文庫)。
 短編集である。タイトルにあるからわかってるってか?……
 そして、私にとっては久しぶりの「in」シリーズである。そんなシリーズのことなど知らないだろうけど……

 このなかの「踊る小人」。
 《小人は地面にポータブル・プレイヤーを置いて、レコードをかけながら踊った。レコードはプレイヤーのまわりにいっぱいちらばっていた。小人はいったんかけたレコードをジャケットにしまわずにそのままに放り出しておいたので、最後にはどのレコードがどのジャケットに入っていたかわからなくなり、結局でたらめにつっこんでしまうことになった。おかげでグレン・ミラー・オーケストラのジャケットにローリング・ストーンズのレコードが入っていたり、ラヴェルの「ダフニスとクロエ組曲」のジャケットにミッチ・ミラー合唱団のレコードが入っていたりした》

 この話で私が思い出すのは、中学時代の塾仲間のことである。
 私が通っていた学習塾は、うなぎの寝床のように間口が狭くて奥行きのある書店が入っている同じビルにあった。ビルといっても2階建てである。はっきり言うと、そのビルの名は西○ビルといい、本屋の名前は○野文化教室といった。塾で乱暴に歩くと1階の本屋から文句が来た。なぜ塾で乱暴に歩く必要があったのか、今では思い出せない。

 塾なのに「文化教室」……。 夕方、中学生がドアが開くのを待ってあたりでたむろしている様子を見て、事情を知らない人は「なぜ、中学生が着付け教室に?」などと思ったことだろう。
 塾が始まるまでの時間、私たちは本屋で過ごすことが多かった。それに次いで多かったのは、気が変わってそのまま帰宅するというパターンであった。
 狭い本屋だから立ち読みしていても息苦しい。しかも店番のお姉さんが万引き防止のために、あるいはいかがわしい本を健全な中学生が立ち読みしないように、ソヴィエト国境警備隊のような視線を店内に向けていた。
 私の塾仲間の1人であったG君は、いつも「趣味・実用」の棚の前で本を立ち読みしていた。
 しかもいつも同じ本、「上手な愛犬のしつけ方」という本だった。
 よっぽど犬が好きだったのだろうか?そうは思えない。

 ある日、立ち読みしている彼のところに寄って行ってみた。
 彼はすばやく本を閉じ、書棚に戻した。
 その不自然な動きは、愛犬家にはふさわしくないように思えた。
 「いつも同じ本を読んでいるみたいだけど、そんなに犬が好きだったっけ?」
 「いや、全然」
 じゃあ、犬は好きではないけど、たまたま家で犬を飼っていて、そいつがひどく行儀がわるいやつで、躾けようと思い立っているのだろうか?

 「実はさ」と彼は言って、本を手にした。
 自分のものでもないのに、慣れた手つきで本を開いて見せてくれた。
 それは犬の本ではなく「HOW TO SEX」という本であった。けっこうきれいなお姉さんが男の人といろんな格好で絡み合う写真がたくさん載っていた。
 「こうすれば、堂々と読める」。彼は“象印賞”を授与されてもおかしくないといった自信に満ちた表情で言った(クイズ「ヒントでピント」をご存知だと嬉しいのだが……)。
 そう、彼はこっそりとカバーをすり替えたのだ。「HOW TO SEX」の本に犬の本のカバーをかけ、「上手な愛犬のしつけ方」にはSEX本のカバーをかけたのだ。確かに頭脳犯である。
 「同じサイズの本を見つけるのにちょっと時間がかかったけど、しばらくは売れないままでラッキーだ」。彼は天井を眩しそうに見上げながら、そう言った。

 でも、もし意を決してやって来た青年が、緊張しながら「HOW TO SEX」を購入したらどうするんだろう。気の毒だ。
 ワクワクしながら家に帰り、不意に誰かが部屋に入って来ないことを入念に確認し、ティッシュを用意し、うなぎの寝床で買ってきた本を開いたら、そこには耳に赤いリボンをつけたスピッツのアップ写真が……。想像するだけで胸が痛む(注:書名をクリックして表示されるのは当時のものとはもちろん違う。でも、著者は同じだと思う)。

116e87d3.jpg  ところで、ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)の「ダフニスとクロエ(Daphnis et Chloe)」(1909-12)は3部から成るバレエ音楽である(本作品については'09年1月20日にも記事を書いている)。ギリシアの田園小説に基づき、ロシア・バレエ団のディアギレフから依頼されて書かれた。
 だから、この曲を使って小人が踊ることは全然不思議ではないが、村上春樹はなぜここで敢えて「組曲」と書いたのだろう?ちょっと気になる。まっ、実際問題としては全曲が聴かれることはないし(2曲ある組曲は1911年と13年に作られ、第2組曲が有名)、もしかすると全曲だとレコード(LP)1枚に収まりきらないということを計算して書いたのかもしれない。2枚組ジャケットの話まで持ち出すと面倒なことになるだろうから……。でも、そうだとしたらなかなかである。な、な、なまいきなこと言ってすいません。
 「ダフニスとクロエ」第2組曲の演奏では、私としてはデュトワ/モントリオール響のものがお気に入りである(デッカ。1980年録音)。

5c506fff.jpg  「納屋を焼く」は、私にフォークナー(William Faulkner 1897-1962)の「納屋は燃える」を思い起こさせる。
 私がフォークナーのこの短編を読んだのは1982年のこと。1Q84年に青豆が必殺仕事人を務め、天吾が結局は優柔不断だったときよりも昔だ。
 正直言って、私は小説の内容をよく覚えていないが、ちょっとあと味が苦い感じのストーリーじゃなかったかなと記憶している(読み返せばすぐに解決する話なのだが……。なお、私が持っている、写真の新潮文庫のものは現在在庫切れの様子)。
 村上春樹が「納屋を焼く」で「納屋は燃える」を頭に置いたのは間違いない。実際、「納屋を焼く」のなかで、主人公の“僕”は《コーヒー・ルームでフォークナーの短編集を読んでいた》から。
 この小説ではチャイコフスキー(Pytr Il'ich Tchaikovsky 1840-93)の「弦楽セレナードOp.48」(1880)が出てくるが、村上春樹はこの曲を「ねじまき鳥クロニクル」で、“僕”がクミコからの浮気を告白した手紙を読む場面でも使っている。実はたいへんな状況なのに主人公がそれをあるべき形のように受け入れる。村上春樹作品では、そんな場面で「弦楽セレナード」がBGMとして流れる、と考えるのはちょっと考えすぎだろうか?うん、きっと考えすぎなのだろう。

§

 「螢」はのちに手を加えられ、「>ノルウェイの森」の最初の部分となった作品。
 学生寮のなかの描写。
 「螢」では《しっくいの壁には『プレイボーイ』の大版のピンナップが貼ってある》と書かれている部分が、「ノルウェイの森」では《しっくいの壁には「平凡パンチ」のピンナップか、どこからかはがしてきたポルノ映画のポスターが貼ってある》(上巻30p)に書き換えられている。
 「螢」を書いてから「ノルウェイの森」を書くまでの間に、集英社と何かあったのだろうか?それとも、平凡社に気を遣うべきことが起こったのだろうか?
 どっちにしろ私は、青年期はこの両方の雑誌を買っていた。平凡パンチの方がときおり「おっ」というような人のヌードが載ったりしたような気がする。売れる前の小林幸子とか……別に小林幸子は好きじゃないけど……。でもプレイボーイの方がグラビア写真の質が高かったような……。まっ、どうせエロいことしか考えないんだから、写真の質はどーでもいいんだけどさ……

 この短編集には他に「めくらやなぎと眠る女」「三つのドイツ幻想」が収録されている。
 「めくらやなぎと眠る女」に漂う雰囲気が私はとても好きだ。心にレモン汁をかけたような思いにとらわれる。

 本書に収められた作品を読むと、今の村上春樹のようなとにかく読み進まずにはいられないというドライヴ力はまだ強くないものの、SFチック、あるいは「本気かいな?」というような突飛な印象を与えるものは出てこない。小説としては、私はこっちの方が読んでいて落ち着く気がする。