69e14847.jpg  村上春樹の作品集に「パン屋再襲撃」というのがある(文春文庫)。
 これに収められている作品と、その初出年月(雑誌等に掲載された)は次のとおりである。

 「パン屋再襲撃」  1985.8
 「象の消滅」  1985.8
 「ファミリー・アフェア」  1985.11~12
 「双子と沈んだ大陸」  1985(冬)
 「ローマ帝国の崩壊・1881年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界」  1986.1
 「ねじまき鳥と火曜日の女たち」  1986.1


 ここに収められている小説のいくつかには“渡辺昇”が登場する。


 「象の消滅」では象の飼育係が渡辺昇であり、「ファミリー・フェア」に出てくるコンピューター技師の名が渡辺昇であり、「双子と沈んだ大陸」の主人公である“僕”の共同経営者が渡辺昇。そして「ねじまき鳥と火曜日の女たち」に出てくる主人公が買っている猫がワタナベ・ノボルである。
 おぉ、渡辺三昧。
 「ねじまき鳥と火曜日の女たち」はその後、「ねじまき鳥クロニクル」第1部の最初、「火曜日のねじまき鳥、六本の指と四つの乳房について」になるものだが、「クロニクル」ではワタナベ・ノボルではなくワタヤ・ノボルとなる。
 まっ、村上春樹は“渡辺”という姓に執着しているのは確かである。
 私は、ただそれを言いたかった、のではない。

 今日 「双子と沈んだ大陸」について。
 この小説は、ただでさえ喪失感が溢れかえっている村上春樹作品の中でも、私が特に喪失感を強く感じる作品である。

 ここに出てくる双子は、「1973年のピンボール」(講談社文庫)にでてくる双子のその後である。
 ある日突然僕のところにやって来て、同じように突然「もとのところに帰る」と言って去ってしまった双子。「双子と沈んだ大陸」で、“僕”はその双子の姿を写真雑誌のなかに見かけるのだった。
dcaa3372.jpg  清水良典は、この双子を「一種の妖精のような、非現実的な存在でないかと思える」とし、その後の村上春樹の小説に現れる超現実的な力を持ち合わせた不思議な女性(「羊をめぐる冒険」の耳のきれいなモデルなど)の第1号であるとしている(「MURAKAMI」幻冬舎新書)。


 それは確かにそうだが、しかし私には、この双子は妖精というよりは得体の知れない「不思議ちゃん」といったイメージの方が強い。
 この双子は清水の言うとおり「“僕”の過去を葬る手伝いに来た」のだった。
 配電盤の“お葬式”を終えた後も双子は“僕”のもとを去らなかった。それは、まだ“僕”が過去を本当には葬ることができないでいたからである。だから、やっと過去、つまりピンボール・マシン(=“直子”)のことにふっきれたとき、双子はバスに乗って「もとのところに」帰ったのであった。

 写真雑誌には双子と一緒に1人の男性も写っていたが、“僕”はその男も何かを葬れないでいるのだと思う。つまり“僕”はここでは双子の役割を知っている。“僕”は思う。「彼女たちは既に僕を通過してしまったのだ」と。

 “僕”がオフィスで聴くのがバッハのリュート曲であった。共同経営者の渡辺昇が家から持ってきたものだ。

 《悪くない、と僕は今度は口に出さずに言った。四月の暑くもなく寒くもない曇った夕暮にバッハのリュート曲はよくあっていた》

 ふ~ん、そうかなあ。
 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)には、私が知る限り6曲のリュート作品がある。

 組曲ト短調BWV.995
 組曲ホ短調BWV.996
 パルティータ ハ短調BWV.997
 前奏曲とフーガとアレグロ変ホ長調BWV.998
 前奏曲ハ短調BWV.999
 フーガ ト短調BWV.1000

29713427.jpg  組曲ト短調は無伴奏チェロ組曲第5番の、フーガ ト短調は無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の編曲。残り4曲のうち、前奏曲ハ短調を除く3曲は偽作とされている。
 偽作かどうかはともかく、私はバッハのリュート作品が苦手である。とってもかしこまって聴く根性がない。どうしたもんでしょ?
 この小説のように、BGMで使うにはいいのかも知れない。
 私はイエペスがリュートを弾いたCDを持っているが、考えてみればずいぶんと長い間耳にしていない(1972-73年録音。アルヒーフ)。

 ところで、「双子と沈んだ大陸」の“僕”のオフィスの隣は歯科である。
 そこの受付のアルバイトの子の名前は、「ねじまき鳥クロニクル」に登場する不思議少女と同じ“笠原メイ”である。
 意外と、村上作品は登場人物の使い回しが多いのだ。まるでアニメのサザエさんで声優がいくつも掛け持ちしているかのようだ。目を閉じてTVのサザエさんを観たことがあるだろうか?アナゴ君が何人も出てくることがある。大漁だいっ。

 でも、なぜ双子なんだろう?
 実はたいした深遠な理由ではないのかも知れない。
 「村上朝日堂はいほー!」(新潮文庫)で、氏はこう書いている。

 《僕の夢は双子のガール・フレンドを持つことです。双子の女の子が両方とも等価に僕のガール・フレンドであるということ―これが僕のこの十年来の夢です》

 やれやれ……