361102fc.jpg  シュニトケ(Alfred Schnittke 1934-98)の「コンチェルト・グロッソ(Concerto grosso(合奏協奏曲))第1番」(1976-77)。2台のヴァイオリン、ハープシコード(チェンバロ)、プリペアードピアノ、弦楽器(21)のための作品である。

 プレリュード、トッカータ、レチタティーヴォ、カデンツァ、ロンド、ポストルーディオの6つの楽章から成るが、レチタティーヴィとカデンツァ、ロンドとポストルーディオは続けて演奏される。

 シュニトケによれば、この曲の冒頭は全部作曲した後にくっつけたという。
 つまり、プリペアード・ピアノ(細工したピアノのことを言うが、この作品ではピアノ線にコインをはさんでいる)による冒頭の俗っぽい、しかしとても印象に残る冒頭のメロディーは最初はなかったのだという(A.イヴァシキン著「シュニトケとの対話」秋元里予訳:春秋社)。

 第2楽章は全体にヒステリックだが、ふと切ないメロディーが挿入される。第3楽章は祈りのような音楽。第4楽章は独奏のヴァイオリンが力強く掛け合う。
 第5楽章はバロック的スタイルの、実に魅力あふれる楽章。シュニトケならではの蚊の大群のは音のような響きと絡み合いながら進む。突然現れるワルツとタンゴのパロディー(このタンゴは死と結びついていると、シュニトケは語っている)。そして、冒頭の旋律が再び鳴り響き、音楽はクライマックスを築く(上述のように、この冒頭旋律はこちらが先に書かれ、あとで冒頭にも加えられた)。この楽章は曲中でもっとも感動的である。
 終楽章は「何かを伝えたいが、うまく言葉が見つからない」といった感じで、途切れ途切れになるように終わる。

 シュニトケの音楽は現代作品とは思えないほど耳に心地よく響くメロディーがあるかと思えば、前衛バリバリの顔も持っている。むしろ、バリバリの表情の方が多い。
 しかしながら、そのとっつきにくい表情も、何度か繰り返し聴くと、今度は忘れられないものとなる。

 ここでは、オレグ・クリサとリアナ・イサカーゼのヴァイオリン、シュニトケのピアノ、サウリュス・ソンデツキス指揮グルジア室内管弦楽団の演奏によるCDをご紹介。1983年録音。トリトーンのDMCC26025。ただし現在は廃盤のよう。シュニトケ自身が演奏に加わった、貴重な演奏なんだろうけどね……

 シュニトケについてはこれまで、交響曲第1番第5番(これは合奏協奏曲第4番でもある)、「イン・メモリアム」、「真夏の夜の夢、ではなくて」、ピアノ五重奏曲などを取り上げてきたが、最近の私にとって集中的に聴きたくなっている作曲家である。
 また、あらためて取り上げてみたいと思っている。

 連休3日目の朝を迎えたわけだが、今日もまた誰からも要求されていないのに、まったく不必要なほど早くに目が覚めてしまった。起きてからややしばらく時が経過したというのに、いまやっと6:00である。あぁ、oclock……
 ずっと疲れ気味で、連休中はせめて1日でも朝寝坊してやろうと夢に胸を膨らませていたのに、ハト胸のハトの胸板が内藤の胸板になってしまったかのような感じだ(理解できない人は細かなことを考えなくてよい)。どうしてこんな体質になってしまったのだろう。単に加齢とは言えないような気がする。無呼吸症候群もしくは更年期障害も疑ってみなくてはならない。

 おまけに、起きて来るとリビングが臭い。
 実は昨日の夜、ジンギスカンを食べたのだが、その臭いが残っている。
 勘弁してくれ……ここはサッポロビール園かっ!
 そういう臭いが漂っている。鼻だけじゃなく、体全体を脂っこくするような……
 シャブ、いや、ファブリーズしなきゃ。
 それにしても、昔はジンギスカンといえばごちそうだったのに(しかも昨日は、高級品の“カネヒロのロース・ジンギスカンであった)、いま食べるとあんまりおいしく感じない。いや、口に入れたときに広がる羊肉独特のクセが、むしろ苦手になってしまった。村上春樹の“羊物”の読みすぎのせで、羊を食することに抵抗を感じるようになったのだろうか?
 更年期障害も疑ってみる必要があるかもしれないけど……

 メェ~