とても楽しくて、聴いていてウキウキしないわけがない。チェンバロも加わって響きだって新鮮。この音楽がずっとずっと続いてくれたなら、どんなに幸せなことか[E:sign03]
脳内ホルモンの分泌が促され、嫌なことは忘れ去られ、サーカスでの愉快な象の芸を想ふ。お肌はツルツルになり、若さが甦る。
しかし、それは4分半ほどで中断する……
シュニトケ(Alfred Garrievich Schnittke 1934-98)の交響曲第1番(1969-72)。
この曲については以前にも書いているが、再度取り上げておきたい。 タイトルの言葉は実際に作曲者が述べたもので(もちろん“んだとさ”を除く)、ショスタコーヴィチが交響曲第15番でワーグナーの「ニーベルングの指輪」の“運命の主題”を引用したことに関連して、自作について答えた。
取りようによっては、偉大なる開き直りにも聞こえる。
だいたいにして、全てが引用と言われても、「えっ[E:sign02] わかんなぁ~い」である。
とにかく、騒音のような響きがあるかと思えば静寂があり、無旋律かと思えば憎らしいくらい愛らしいメロディーが出てきたりと、とにかく人を食った作品だ。
冒頭に書いたのは第2楽章に対する私の印象。
この楽章はパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番の第3楽章の出だしを引用したかのようなメロディーで快活にはじまる。もちろんシュニトケの特徴でもある、チェンバロもオーケストラと一緒に鳴り響く。
ところが……一筋縄でなんか全然いかない。ラッパの咆哮!ジャズ・バンドの介入。腹痛を起こしたミミズの鳴き声のような木管……
そしてピークを迎えたと思ったら……
私はCDを2種類持っているが、ロジェストヴェンスキー盤ではチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が鳴り響き、セーゲルスタム盤では暗黒の井戸の底に落ちたかのようになる。
「勝手にやりなさい」。スコアにはアドリブが指定されているのだろう。だからこんなに違いがある。
第1楽章(この曲は、鐘のランダムな連打で始まる)では、まるで雲間から突然太陽の光が射してくるかのごとく、ベートーヴェンの交響曲第5番の第3楽章の終わりから第4楽章の始めにかけてが現れる。これを聴くと、「運命交響曲って、ほんとにみごとに“暗から明”なんだ」と納得させられる。
でも、「もう知らないっ!」って世界だ。
たらふく酒を飲んで、その上ベンザでも飲んだら、こういう状態になるのかもしれない、精神が。
ロバート・P・モーガンは、《デニソフ、グバイドゥーリナ、シュニトケ、そしてペルトといった作曲家たちは、モダニズムの理想は捨て去られるのではなく変形されていくものだという、新しい道について一家言もっているだけでなく、様式の探究についても多くの意見をもっているが、それは20年以上前に「シンフォニア」によってベリオがひとつの回答を与えたような探究のコンテクストからはかけ離れたものである》(「西洋の音楽と社会11 世界音楽の時代 現代Ⅱ」長木誠司監訳:音楽之友社1997年。絶版)とし、シュニトケの交響曲第1番について、《シュニトケは、非常に様々な方法で借用素材を使用しているために、彼が皮肉を意図しているのかどうかを判断するのは難しい。たとえば、第1交響曲は単純なパロディー、すなわちケージを含むヨーロッパの前衛との出会いにたいする、コラージュ風の反応のようである》と書いている。
なお、P・モーガンは、先日ここで取り上げたシュニトケのコンチェルト・グロッソ第1番について、第1交響曲と比べると《様式の引用の点ではより単純であり(全6楽章の内、第5楽章がバロックがバロック素材を用いたタンゴの一種)、より曖昧でもある》としている。
この交響曲が1974年にゴーリキー市で初演されたときの様子は、《それなりの意味で空前絶後のものとして残りました。これは僕の作品の中でも最も「左がかった」ものです。しかし聴衆の反応は「驚き」というより、むしろ「印象」という感じでした。聴衆にとっては、情報を得たいスキャンダラスな事件というより、ただそこにあるというだけのものだったのです》(アレクサンドル・イヴァシキン/秋元里予訳「シュニトケとの対話」:春秋社2002年)というものだった。
でも、あまりにも耳新しくて、聴衆たちはフリーズしてしまった、っていう感じかもしれない。ボケかかったお年寄りなら、1時間もチューニングが続いていると思ったかもしれない。
でも、でも、でも、第2楽章の最初の4分半だけでも聴く価値あり!だと私は思う。
セーゲルスタム盤を紹介しておく。1992年、スウェーデンでのライヴ録音。終演後の拍手も入っており、聴衆の反応もわかる(ロジェストヴェンスキー盤も同じくライヴで、こちらの演奏の方がダイナミックだが、演奏がやや粗雑で、録音もやや悪い)。
新館入口(2014.6.22~)
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