cd3c99ae.jpg  小学生のときのこと。
 今世紀最大という流星群が観られると、新聞などに載っていた。
 しょっちゅう使われている感は否めない「世紀の天体ショー」ってやつだ。
 おそらく天文ファンは、気が狂わんばかりに盛り上がっていただろう。私は子供のころから(このときも子供だったけど)理科好きで、ときたま「天文ガイド」というマニアックな雑誌を買うこともあった。
 一般市民の目線からすると気味の悪い小学生だと断言できる。

 この流星群の名は「ジャコビニ流星群」と言い、最大で1時間に何百何千の流れ星が見られるという話だった(と思う)。ジャコビニ流星群そのものは毎年見られるようだが、この年はいろいろな好条件が重なって、すっごいことになるということだった。

 私は色気づいた。
 いや、色めきだった。

 「天文ガイド」にはジャコビニ流星群のすごさについての特集記事が載っていた(ように記憶している)。それよりも何よりも、この一大天体ショーに向け、あらゆる天体望遠鏡メーカーがここぞとばかり広告を掲載していた(毎号広告は載っていたけど)。

 私は望遠鏡が欲しくなり、当時まだ健在で、同居していた祖父にねだった。
 「お爺さま、折り入ってお願いがあります」
 「孫ぞ、何ぞや?」
 「ははぁ、遠き彦星よりもさらに遠き天の果てから、まばゆいばかりの星たちが舞い降りてくるというのでございます。お爺さまの身を守るためにも、私は前もって天を偵察し、お爺さまを直撃するのを未然に防ぐ所存でございます。つきましては、望遠鏡なる眼鏡のお化けのようなものがほしゅうございます。いかがでございますかな?」
 「あ゜っ?何だってぇ?わからんなぁ」
 という会話の末に、中略すると、望遠鏡を買ってもらった。

 今の会話を、現実モードに戻すと以下のようになる。
 「爺ちゃん、望遠鏡買って!」
 「望遠鏡?何に使うんだ?」
 「流れ星だよ。流れ星が来るんだ。すごいやつ。花火のようにすごいらしい。もう、この先何百年も観ることができないくらいすごいらしい。爺ちゃんだってあと何年も生きられないから、最後のチャンスだよ」
 「花火くらいすごいなら、望遠鏡なんかなくたって観えるだろう」
 「この、ハゲ!ケ~チ!」
 「こら、何てことを言う!だいたい、お前はこのあいだ、婆さんのスリッパの中に10センチもあるゴムのムカデのオモチャを入れて驚かしただろう!たちの悪いいたずらだ。婆さんは驚きのあまり1メートルほども飛び上がった。それを見て、爺さんも若々しい頃の婆さんを思い出したもんさ。いや、1メートルですんだのは不幸中の幸いだった。これが2メートルだったら天井を突き破っていたところだ」
 「年寄りにはたまに刺激が必要なんだよ。それに買ってくれたら、肩叩き券を10枚あげるから」
 「で、いくらするんだ?」
 「僕が欲しいのは、このミザールって会社の望遠鏡で8万円」
 「バカなことを言うんじゃない。お前の親の顔を見てみたいものだ」
 「今、連れてこようか?爺さんの息子。それとも息子の嫁の方がいいかい?」
 「とにかくそんなものはダメだ」
 「じゃあ、もっと安いのがあるかも知れないから、一応どんなものがあるかメガネ屋さんに見に行こうよ。買ってくれなきゃ望遠鏡のように心を屈折させるよ」
 「しょうがないなぁ」
 という具合だ。

 私は祖父と、狸小路にあった富士メガネに行った。
 店頭に天体望遠鏡が展示してあった。私が所有するにはあまりにも安っぽいものであった。こんな望遠鏡なら、将来天文学者の道を歩むことになるかも、っという選択肢は消去される。価格は6,000円ほどだ。ハゲ爺さんの顔色を伺いながら、その望遠鏡に難癖をつけて、さらに上位モデルをゲットしようと思ったのだが、本当に爺さんも金がなさそうだったので(その数日前にバスでスリに遭ったのだ)、この望遠鏡で我慢するからなんとか買ってくれということで、商談が成立した。

 この望遠鏡はビクセン社製の反射望遠鏡で最高倍率は100倍。ビクセンというのは望遠鏡や双眼鏡、顕微鏡の専門メーカーだが、どちらかというと低価格大衆路線。ナショナル(今では“パナソニック”)に対するツインバードみたいな存在である。
 すまん、言い過ぎた……。でも、かつてはそうだった。今は状況が変わっているようだが。

 さて、私が買ってもらった望遠鏡は三脚もがたがたしているし、何しろピント合わせが大変だった。ピントは接眼レンズを鏡筒に対して抜き差しするように動かす。これは顕微鏡と同じで、顕微鏡のピントを合わせるためにつまみを回して鏡筒を上下させた経験はあると思う。しかし、私の望遠鏡にはこの微動機能のつまみがなかった。つまり、接眼レンズを文字通り、手で深く差し込んだり引っ張りしなければならず、微妙なピント合わせが難しかった。しかも、そうしているうちに、望遠鏡が振動でずれ、せっかく視野に入れた天体がずれるという欠点、いや欠陥があった。
 
 ところで肝心のジャコビニ流星群である。
 世紀の天体ショーという触れ込み。
 天全体に流れ星が飛び交うという期待!

 スカだった!
 原因はよく知らないが、私は1つも見なかった。まあ、天文学者の計算ミスみたいなもんだ。軌道のずれだかなんだか知らないが、結果的にはホラだった。

 それに、爺ちゃんの指摘どおり流星観測に望遠鏡は要らないのだ。どこから飛んでくるかわからず、しかも一瞬で消え去る流れ星を、望遠鏡で観測するなんてナンセンスだ。
 流れ星を見たら消えないうちに願い事を3回言うと叶う、という言い伝えがあるが、それほどあっという間に消えてしまう。そんなもの望遠鏡で追えるわけがない。

 ちなみに、流れ星というのは宇宙のちりや岩石が地球に飛び込んでくるもので、大気圏に突入した際に発火するものだ。だから本当は星ではない。ろくでもない小学生が言った、彦星よりはるか遠くから星が降り注ぐなんて大法螺だ。
 その元の岩石が大きく、光も大きいものは火球という。ガラモンが地球に降りてきたときのもの(ガラダマ)は火球だ。墓場に出るというものは火の玉で別物である。
 また地表まで燃え尽きないで落下したものが隕石である。

 とはいえせっかく買ってもらった望遠鏡だから、少しは有効活用しなければならない。手稲山の山頂に合わせて、アンテナの色までわかる、と喜んでいる場合じゃないのだ(なお、反射望遠鏡で観た場合、像は上下左右反対となる)。
 月はよく観た。クレーターは確かにあった。でもウサギは餅をついていなかった。月面観察はすぐに飽きた(ついでに言うと、月は自転と公転の周期の関係から、地球には常に同じ面しか向けていない。つまり月の裏側は地上からは観察できない)。
 冬の夜空を観察することにした。寒かった。凍死するかも知れないと思った。だが、頑張った。観察目標はなかった。しかし、そのような活動をしていること自体が、科学少年っぽいではないか?夜なので誰にも見てもらえないけど……

 ある夜、かすかに小さな星の固まりのようなものを見つけた。何だろうと思って望遠鏡を合わせてみた(先ほど書いたように目的の天体に合わせて、かつピントを合わせるのは大変だった。若かったからできたのだ)。
 望遠鏡を覗いたときの驚きを私はいまでも忘れない。そこには息をのむほど美しい光景があった。私の瞳が反射して映っていたのだ。いや、青白い星々が輝いていたのだ。

c8ab257f.jpg  プレイアデス(プレヤデス)星団。日本名「すばる」。メシエ番号M45(ウルトラマンの故郷はM78星雲)。私がこのとき見た星の名だ。英語ではセブン・スターズと呼ばれることもある。こんなに美しいものを私は、それまで自分の姿以外、見たことがなかった。
 プレイアデスは散開星団に分類される星団。散開星団とは数十個から数百個の恒星たちが集まった天体で、球状星団に比べると星の数は少なく、集まりも緩やか。
 暗黒星雲(分子雲)の中で星が生まれるときに誕生した若い星たちの集まりで、若いので青白い光を放っている。地球からの距離は410光年。肉眼では5~7つの粒のように見えるが、望遠鏡で見るとその輝きの実に美しいこと!静寂の中でただただまばゆい光だけが放たれている(写真はWikipediaに載っていたもの)。
 なんかぁ、神秘っていぅかぁ~。
 
 ところで、富士重工の自動車である「スバル」のマークも、プレイヤデスをデザインしている。ただし、ここでは星の数は6つの「六連星(むつらぼし)」である。偶然か必然かどうかは自分でもわからないが、わが家のマイカーはずっとスバル車である(村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」の“僕”はスバルのレオーネに乗っているが、私はレガシィ世代である)。また、吸ってるタバコもセブンスターである。
 
 今から5年ほど前に、昔の感動をもう一度味わいたくて天体望遠鏡を買った。カセグレン式反射望遠鏡というものだ。ところがプレイアデスに視野をあわせることができない。
 まず、小学校のときと違い、私の視力はひどく落ちている。それに加えて、街の明かりの影響で、私の視力ではプレイアデスの位置を肉眼で捉えられない。
 まずは肉眼で位置がわからなければ、ファインダーを合わせることさえできない。
 寒さにも耐えられない。
 眠い。
 ということで、観察できないまま、望遠鏡は納戸に眠っている。
 今では、年月日、時刻と観察したい星の名前を入力するだけで、自動的に向きを合わせてくれる望遠鏡があるんだけど。もう爺ちゃん死んじゃったしなぁ。

 「星」という語句がついたクラシック音楽作品は少なからずあるが、どちらかというと大きな作品よりも歌曲のタイトルなんかに多いようだ。
  そんな中から、本日はモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)の「きらきら星変奏曲」を。正式名は「フランスの歌『ああ,お母さんに言うわ』による12の変奏曲」ハ長調K.265(300e)(1778)。原題は12 Variationen uber ein framzosisches Lied "Ah,vous dirai-je maman"。

 この「ああ,お母さんに言うわ」は当時フランスで流行していた恋愛の歌で、モーツァルトはこのメロディーをもとに12の変奏からなる曲を書いた。
 この歌はイギリスの詩人ジェーン・テイラーの1806年の詩によって替え歌となった。「きらきら星」という童謡である。
 童謡が有名になったため、モーツァルトの曲も「きらきら星変奏曲」と呼ばれるようになったが、童謡「きらきら星」の歌詞が作られたのはモーツァルトの死後のこと。つまりこの変奏曲が「きらきら星」と呼ばれることになるとは、モーツァルトは夢にも思わなかったことになる。

 私はBelderの演奏によるブリリアント・クラシックス盤を聴いている。これはモーツァルトの鍵盤楽器のための小品や変奏曲を集めたものだが、現在は入手困難なよう。