皆さんは学校の試験で最低何点をとったことがあるだろうか?

 私は高校2年生のとき、物理Ⅰの試験が5点だったという経験がある。はっきり言って100点満点の、である。
 でも、そのときはたいしたショックは受けなかった。というのもクラスの半数は0点だったし、私はどっちみち3年生になったら物理Ⅱは取らず、生物と化学を選択するつもりだったからだ。
 だいたいにして私は、物理の現実味のなさを好まない。
 物理の試験によくある、「ただし摩擦はゼロとして計算しなさい」とか「空気抵抗はないものとする」、などという前提条件が嫌いなのだ。 摩擦係数や空気抵抗を考慮しなさいといわれるとグリコの看板だが……

 それよりもショックを受けたのは古典のテストで13点しかとれなかったときだ。言っておくがこれも満点は100点である。
 古文も漢文もひどく苦手だった。そもそも勉強する気になれない。私が古文を勉強したところで、どうなるというのだ?いにしえの都にタイムスリップする予定はない。
 勉強はしなかったが、それでも日本人なんだから問題の文章を見て感覚的にそれなりに解けると踏んでいた。
 踏み損ねた。拾参点だったでござる。

 でも、私の斜め後ろの席の田山君は机に突っ伏していた。7点しかとれなかったのだ。
 涙ぐんでいた。本当に涙ぐんでいた。
 「泣くぐらいだったらもっと勉強しとけよ」と言いたかったが、13点の私はそんな立場になかった。それでも田山君に少なからずの優越感をもったことは認める。だって倍近く取っているんだから……

b422adb9.jpg  そんな青春のほろ苦い思い出に浸りつつ、今日は「古典交響曲」。

 「古典交響曲」なんていうと、スコアに演奏する人たちが原始人の格好をする指示があると思われがちだが(思わないって。しかも、百歩譲ったとしてもそれなら「古代交響曲」がふさわしいだろう)、プロコフィエフの曲である。って日本語になっていないな。

 プロコフィエフ(Sergei Sergeievich Prokofiev 1891-1953)の作品といえば、鉄工所のなかで作曲されたような感触の音楽が多い。しかし、この曲はまったく別物だ。

 作曲されたのは1917年。
 彼の交響曲としては2番目にあたるものだが、1908年に書いたホ短調の交響曲はデキが悪いと判断、この「古典交響曲(Classical symphony)」を交響曲第1番とした。二長調で作品番号は25。

 プロコフィエフは、「ハイドンがもし今でも生きていたらこんな風に書いただろう」というコンセプトでこの交響曲を作曲。それで「古典交響曲」と名づけた。アサフィエフ(Boris Vladimirovich Asaf'ev 1884-1949)に献呈されている。

 作曲はペテルブルク近郊の田舎町で行なわれたが、ピアノを使わずにそれは進められた。そして、この経験からプロコフィエフは、「ピアノなしで考えた主題のほうが、ピアノの上で考えた主題よりも、たとえ一見奇妙なものでも、いっそう良質のものが得られる」と確信するようになったという。

 なぜハイドンなのかというと、プロコフィエフはペテルブルク音楽院の学生時代、チェレプニン(Nikolai Nikolaevich Tcherepnin 1873-1945)の教室でハイドンの技法を研究していたからである。
 プロコフィエフの特徴である鋭角的攻撃的な音楽はここにはなく、美しく軽快。そして平和で健康的。逆に、初演時には、過激さを期待していた聴衆側から、期待外れという声もあったらしい。
 コンパクトながら4つの楽章から成り、第3楽章のメロディーはバレエ「ロメオとジュリエット(Romeo and Juliet )」Op.64(1935-36)にも用いられている。

 CDはプレヴィン指揮ロスアンジェルス・フィルのものを。
 1986年録音。他に第5交響曲などが収録されている。

 こういう曲のプレヴィンの音楽づくりは、とりわけにNiceだ!