先日、未完の第10交響曲のときに触れたマーラー(Gustav Mahler 1860-1911)の「浮世の生活」。初めて対訳を見ながら聴いたとき、そのいやぁ~な余韻にため息がでた。
周囲がミーちゃん、ケイちゃんと盛り上がっていたころ、中学時代のちょっとした角度のズレが原因でふつうの高校生が歩む道から離脱した私は(それはそれでよかったのだが)、能天気な母親の行動のせいでパンを口に出来ずに餓死してしまった見知らぬ子供のことを思いながら、深い悲しみにくれたのであった。
私が聴いたのは、ショルティ/シカゴ響によるマーラーの第5交響曲のLPの余白に収められていたもの。
その歌詞は、
「お母さん、お母さん、おなかがすいた。パンをくれなきゃ死んでしまう」
「もうちょっと待って。明日大急ぎで麦を刈るからね」
そして麦を刈った時に、その子は叫び続けた。
「お母さん、お母さん、おなかがすいた。パンをくれなきゃ死んでしまう」
「もうちょっと待って。明日大急ぎで麦を打つからね」
そして麦打ちが済んだ時に、その子は叫び続けた。
「お母さん、お母さん、おなかがすいた。パンをくれなきゃ死んでしまう」
「もうちょっと待って。明日大急ぎでパンを焼くからね」
そしてパンが焼きあがった時に、
その子は棺台の上にのせられていた
といった内容のもの。
ところで、私がショルティ/シカゴ響のパワフルなマーラー演奏を知ったのは、私にとって初めてレギュラー盤のLPの購入となった交響曲第6番によってであった。
NHK交響楽団の演奏によるマーラーの第6交響曲のTV放送を観たのは春先だったと思うが、どうしてもこの曲を再び聴きたくて、お金を貯め、足りない分は母親の財布からくすね、ようやく夏にそのLPを買うことができた。
別にショルティ盤を買おうと決めていたのではない。店にそれしかなかったのだ。
その日は札響の演奏会の日で、会場に行く前にオーロラタウンの玉光堂に寄って購入した。2枚組で4,600円だったと思う。
開場前に札幌市民会館前でそのLPのジャケットを眺めていたら、同じく開場を待っていた大学生風のお兄さんが近づいてきて「すごいね。こんなLP持ってるなんて。羨ましいな」と言ってきた。ちょっとなれなれしかったが、誇らしい気持ちにもなった。
でも、そのお兄さん、彼女らしき待ち人が来るとあっさりと私のそばから去って行った。「冷やかしはよしておくれよ、お客さん!」と言いたかった。
でも、この日の演奏会、実は私も女の子と一緒に聴いた。
デートなんかじゃない。私も行きたい、一緒に行ってもいいでしょ、と言われただけだ。
同じクラスの女の子で、席を離すのも意地悪っぽいので並びの席でチケットを買った。
先に一人で会場に入り席に座っていた私の前に彼女が現われたとき、私はびっくりした。まるで薄い透明のプラスチックでできた巨大円柱の中に収められているフランス人形のようだったからだ。くすんだピンクのスカートが。宮廷の舞踏会かっ!
私はコンサートに行くときはいつも品行方正、学生服であった。この格好なら補導防止にもなる(ように思い込んでいた)。
その学生服姿の私の前に、200年前のフランスの田舎に住んでいる趣味の悪い令嬢みたいな格好で彼女は登場したのだ。なんだか私は自分が「浮世の生活」の子供のような気持ちになってしまった。彼女の格好は私の趣味には合わないが(というより、隣にいるだけでこっちが恥ずかしくなった)、自分の学生服姿がちょっと惨めに感じたのだ。あぁ、藤正樹……
でも豪華なのはスカートだけだった。気の毒だけど。
彼女の顔立ちは不美人ではなかったが、栄養失調の山羊を思わせるものがあったし、歩き方もなかなか堂々とした外股だった。誰がどのような根拠なり自信なり必然性から、彼女にこれを選ばせたのか、今もって私の心の底に謎が渦巻いている。
そして彼女はその格好で演奏会後に「国鉄バス」で帰った。
馬車を頼むすべを中学生の私が知る由もなかった。
私は市営バスで帰った。
彼女は私のことを好きだったようだが、私は別に何とも思わなかった。
私の場合、いつだって、どうして好きになった女の子には好きになってもらえず、好きになってくれた女の子は私の好みの近似値ですらないのだろう?
ということで、ショルティ/シカゴ響の5番のLPの2枚目B面に「子供の不思議な角笛」から4曲が抜粋されて収録されていた(6番と5番のLPの話が交錯していて申し訳ない)。独唱はイヴォンヌ・ミントン。その4曲のなかでも「浮世の生活」を聴くことが圧倒的に多かった。
「子供の不思議な角笛(Des knaben Wunderhorn)」は、ルートヴィヒ・アヒム・フォン・アルニム(1781-1831)とクレメンス・ブレンターノ(1778-1842)の2人の詩人によって編纂された、3巻から成る民謡詩集。第1巻は1806年に、第2巻と第3巻は1808年に出版された。
マーラーはこの詩集から、歌曲集「子供の不思議な角笛」と、同じく歌曲集「若き日の歌(Lieder und Gesange aus der Jungendzeit)」の第6~14曲(1887-91)を書いている。
歌曲集「子供の不思議な角笛」(「子供の魔法の角笛」と邦訳されることもある)は、以下の12曲から成る。
ただし、交響曲第3番の第5楽章に転用された第11曲と、交響曲第2番の第4楽章に転用された第12曲を除いて10曲とする版もある。
また、以下の12曲に、7曲から成る「最後の7つの歌(7 Lieder aus letzter Zeit )」の第1曲「死んだ鼓手(Revelge 1899)」と第2曲「少年鼓手(Der Tamboursg'sell' 1901)」(この2曲の歌詞は「子供の不思議な角笛」による)を加えて、全14曲としている版もある。なお「最後の7つの歌」から第1~2曲を除いたのころ5曲を「5つのリュッケルトの歌(5 Lieder nach Ruckert 1901-02)と呼ぶ。
1. 番兵の夜の歌(Der Schildwache Nachtlied 1892)
2. むだな骨折り(Verlor'ne Muh' 1892)
3. 不幸なときの慰め(Trost im Ungluck 1892)
4. だれがこの歌を作ったのだろう(Wer hat dies Liedlein erdacht? 1892)
5. この世の生活(浮世の生活)(Das irdische Leben 1892-93)
6. 魚に説教するパドヴァの聖アントニウス(Des Antonius von Padua Fischpredigt 1893)
7. ラインの伝説(Rheinlegendchen 1893)
8. 塔の中の囚人の歌(Lied des Verfolgten im Turm 1898)
9. 美しいトランペットが鳴り響く所(Wo die schonen Trompeten blasen 1898)
10. 高い知性への賛美(Lob des hohen Verstandes 1896)
11. 3人の天使がやさしい歌をうたう(Es sungen drei Engel einen sussen Gesang 1895)
12. 原光(Urlicht 1892?)
第6曲のメロディーは交響曲第2番の第3楽章でも使われている。
また、最終的にこの歌曲集からは取り除かれたものに「天上の生」は交響曲第4番の終楽章へ転用された。
私の「お気に」のCDは、シュワルツコップ(S)とフィッシャー=ディースカウ(Br)の独唱、ジョージ・セル指揮ロンドン響のもの。1968年の録音で音が歪む箇所もあるが、とても表情豊かな好演だと思う(上の写真は旧盤のもの)。
コメントありがとうございます。また、記事を楽しんでいただけたようでとても嬉しく思います。
コンサート会場で長年疑問に思っているのは、タートルネックにジャケットという服装の男性がけっこう多いことです。何かの結社の決めごとのようです。不思議だぁ~。
大阪のシンフォニーホールでは、全国で唯一、競馬新聞を片手にコンサートに来る人が多いと聞きましたが、一度私が行ったときにはそんな人はいませんでした。きっと、どこかに隠したのでしょう。
ショルティ盤は偶然でしたが大当たりでした!