大学生のときの友人だった須藤君。

 彼の特技は、しばしば英語で寝言を言う、というものであった。
 といっても、覚醒時にはまったく英語が話せない。
 英語のテストの成績はものすごく悪かった。
 彼はテストのときにカンニングを試みたこともあったが、それでも点数をとれなかった。
 それなのに英語で寝言をいうことが何度かあった。
 ということは、特技ではなく憑依という方が正しい。

 なぜ私がそのことを知っているかというと、彼は学生寮に住んでいて、その同室の人間から聞いたのだ。
 英語ができない人間が、ペラペラとそれも無意識でしゃべっている姿は、まるで壁に飾ってある鹿の頭の剥製が笑い出すくらいに(そういう羨ましくない豪華な家に私は実訪問した経験はないが)相当気味が悪かったという。

 で、須藤君の神秘性をさらに決定づけた、もう1つの事件があった。
 やはり寝言である。
 彼は夜中にいきなりコブシを挙げて「この異教徒め!」と叫んだことがあったと
いうのだ(それは日本語で)。
 英語……。異教徒……。
 同室の人間が怖がるのも無理はない。

 英語の寝言をしゃべったという件については、もしかすると聞き間違いじゃないのか、という笑い話になり得る。というのも、同室の奴も須藤君に勝るとも劣らず英語ができなかったからだ。彼が英語だと思って耳にしていたのは、実は英語なんかじゃなくてフランス語かイタリア語だった可能性もあるわけだ。
 ただ、外国語に聞こえていたものが、もしかするとお経だったりしたら、マジに怖い。眠りながら宗教戦争を繰り広げていたわけだ、須藤大師様は。

 その後須藤君は、今度はアムウェイにはまってしまった。
 アムウェイで稼いで、インドに修行に行こうとでも目標設定したのだろうか。

 でも、少なからずのケースがそうであるように、アムウェイはしばしば周囲の者のを困惑させる。
 須藤君も我々を困惑させた。
 私たちは大学生なのだ。
 どれだけすばらしい性能、効能であろうが、洗剤や洗浄パワー増強剤は必要ないのだ。

 卒業後、私は彼と一度も会っていない。
 宗教とアムウェイ、どちらかの方向に彼は向っていったのだろうか?
 それにしても、須藤君はどこでアムウェイなるビジネスを知ったのだろう。
 それもまた謎のままだ。

 須藤君は何度か私の家に遊びに来たことがある(私は自宅から通学していた)。

91a9ba4d.jpg  彼が遊びに来たときにマーラー(Gustav Mahler 1860-1911)の交響曲第7番(ホ短調「夜の歌(Lied der Nacht)」。1904-05作曲)の終楽章を聴かせたことがある。「ドンドコドンドン、ドンドコドンドン、ドンダァー、ドンダァー」とティンパニの力強い独奏で始まるやつだ。
 クラシックにはまったく興味のない須藤君だったが、この「ドンドコドンドン」には目を輝かせた。改宗の空気でも感じたのだろうか?

 彼は数日後にはマーラーの7番のCDを買っていた。
 どの演奏が良いかといったアドヴァイスを私に一切求めることもなく……
 失礼な奴だ。

 そのとき聴かせたのはマズア/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏(ドイツ・シャルプラッテン。録音は1982年。写真は旧盤のもの)。マズアという指揮者、私にはどこかつかみどころのない演奏をする人に思える。生でブラームスを聴いたこともあるが、良く考えてみると、もしかしたらベートーヴェンだったかもしれないというくらい、記憶が曖昧になっている。

 このマーラーの第7は悪くない。
 ホント、悪くはない。破綻もきたしていない。
 でもワクワク感欠乏症候群になりかけている。 ひどい言い方をすれば、ちょっとドン臭い。それがドイツ・シャルプラッテンの残響の多い録音と相まって、“角界力士オールスター400mハードル競争”のような感じになっている。

 一時期はこの演奏ばっかり聴いてたんだけどな……
 マズアの演奏解釈はともかくとして、残響の多い音造り(録音)がこの録音では裏目に出ているのかもしれない。個人的にはこのレーベル、けっこう好きなんだけど……