ノルウェーの作曲家(そしてピアニストであり指揮者でもあった)グリーグ(Edvard Hagerup Grieg 1843-1907)。
グリーグは、同じ国民楽派でも、村上春樹の「1Q84」で「シンフォニエッタ」が取り扱われ有名になったチェコのヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)とは対象的だった。
H.C.ショーンバーグは「大作曲家の生涯」(共同通信社)のなかで、こう書いている。
《陰気なヤナーチェクとは全く異なっているのが、ノルウェー国民楽派の第一人者、エドヴァルト・グリーグだろう。ヤナーチェクが硬い花崗岩でできた彫刻であるとすれば、グリーグは「雪で包まれた砂糖菓子のボンボン」(ドビュッシーの言葉)であった。生前のグリーグは非常な人気があった。彼は、同じように人気者のドヴォルザークを生み出した民族主義の流行に乗った。しかしドヴォルザークが大きな形式で作曲したのに対し、グリーグは主として小型の作品を書き、ドヴォルザークの人気が今日なお衰えていないのに対し、グリーグの名声は上昇した時と同じほどの速さで下降してしまった》
彼の作品中、もっともよく知られているのは、2つの組曲がある「ペール・ギュント(Peer Gynt)」Op.46,55(1888,1891)と、ピアノ協奏曲イ短調Op.16(1868,1906-07改訂)だろう。
しかし、「ペール・ギュント」がオーケストラの定期演奏会のプログラムに乗ることは、もはやまずないし、それどころか名曲コンサートのたぐいですら、最近は見かけなくなった。
では、グリーグが作曲家として広く認められることになったピアノ協奏曲は?
こちらも、最近はまずコンサートのプログラムで見かけなくなった。
私もこの曲を初めて聴いたときには、すっごいいい曲だ、と感極まったものだが、いまでは甘ったるくて虫歯がうずくような感覚に襲われる。
吉田秀和は「LP300選」(新潮文庫)のなかで、この協奏曲について、「私たちはもう彼の『ピアノ協奏曲』も、卒業してよいころではあるまいか?これはシューマンのそれにならったもので、別にわるい作品とはいわないが、いかにも亜流だ」と書いている。この文庫本が出たのが昭和56年。文章はそれ以前に書かれているわけで、そのころもうすでにグリーグには危機が訪れていたのだ。 とはいえ、人間、ときには無性に甘い物が欲しくなるのも事実。
氷砂糖は常備していなくとも、いざというときのために家庭に1枚、このコンチェルトは用意しておいた方が無難だろう。
私はルイサダの独奏、M.T.トーマス指揮ロンドン響のCDを用意している。
といっても、これはシューマンのピアノ協奏曲とのカップリング。シューマンのとき、すでにこのCDは取り上げている。
ということは、グリーグがシューマンの亜流かどうかも、この1枚で確認できるってわけ。
1993年録音。グラモフォン。
かわいそうなギリヤーク、いやグリーグである。