我々がコーヒー・ハウスに戻ったのは三時少し前だった。レイコさんは本を読みながらFM放送でブラームスの二番のピアノ協奏曲を聴いていた。見わたす限り人影のない草原の端っこでブラームスがかかっているというのもなかなか素敵なものだった。三楽章のチェロの出だしのメロディーを彼女は口笛でなぞっていた。
 「バックハウスとベーム」とレイコさんは言った。「昔はこのレコードをすりきれるくらい聴いたわ。本当にすりきれちゃったのよ。隅から隅まで聴いたの。なめつくすようにね」


64770c68.jpg  村上春樹の「ノルウェイの森」(講談社文庫)の上巻301pにある記述である。

 ブラームス(Johannes Brahms 1833-97)のピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.83(1878-81)は、彼の多くの作品の中でも健康的で明るい雰囲気を持つ。
 78年と81年の2度、ブラームスはイタリアへ旅行しているが、この曲はその間に書かれている。
 ドイツから見ると南国の、明るく開放的な風土に触発されたのだろう。

 この協奏曲、当時としては異例の4楽章構成となっている。
 また、当時の協奏曲のスタイルとは異なり、ピアノとオーケストラが対等の立場のように位置づけられていることから、ピアノ付き交響曲と呼ばれることもあったという。

 さて、レイコさんのことである。
 レイコさんは直子と同じ施設に入っている。
 この部分は1969年の話だ。
 このバックハウスのピアノ独奏、ベーム指揮ウィーン・フィルの演奏は、「協奏曲レコード史上に燦として輝く、人類の持つ至宝である」(宇野功芳氏による)とされた演奏である。1967年の録音なので、マーラーの交響曲全集のケースと異なり、1969年の時点で放送されていることに矛盾はない(アタイもしつこいね)。

 村上春樹は「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」(新潮文庫)のなかの「音楽の効用」という章で、《ブラームスの二番の協奏曲は昔から好きでいろんな人の演奏を聴いた……》と書いている。
 作者の曲に対する思い入れを、この小説でさりげなく表現しているのだろう。

6da794e6.jpg  私が好んで聴いているCDは、ポリーニの独奏、アバド指揮ウィーン・フィルの演奏。ドイツ的な厚い響きと、幸福感あふれる優しい雰囲気のバランスが良いと思っている。1976年の録音(写真は輸入盤)。

 ところで、「ノルウェイの森」の下巻では、レイコさんが、かつて自分のところにピアノを習いに来ていた少女のことを、ワタナベ君に話す場面がある(レイコさんはピアノ教師だったのだ)。

 《私もかなり音楽的な勘はある方だとは思うけれど、その子は私以上だったわね。惜しいなあと思ったわよ。小さい頃から良い先生についてきちんとした訓練受けてたら良いところまでいってたのになあってね。でもそれは違うのよ。結局のところその子はきちんとした訓練に耐えることができない子なのよ。世の中にはそういう人っているのよ。素晴らしい才能に恵まれながら、それを体系化するための努力ができないで、才能を細かくまきちらして終わってしまう人たちがね。私も何人かそういう人たちを見てきたわ。最初はとにかくもう凄いって思うの。たとえばものすごい難曲を楽譜の初見でバァーッと弾いちゃう人がいるわけよ。それもけっこううまくね。見てる方は圧倒されちゃうわよね。私なんかとてもかなわないってね。でもそれだけなのよ。彼らはそこから先には行けないわけ。何故行けないか?行く努力をしないからよ。努力する訓練を叩きこまれていないからよ。スポイルされるのね。下手に才能があって小さい頃から努力しなくてもけっこう上手くやれてみんなが凄い凄いって賞めてくれるものだから、努力なんてものが下らなく見えちゃうのね。他の子が三週間かかる曲を半分で仕上げちゃうでしょ、すると先生の方もこの子はできるからって次に行かせちゃう。それもまた人の半分の時間で仕上げちゃう。また次に行く。そして叩かれるということを知らないまま、人間形成に必要なある要素をおっことしていってしまうの。これは悲劇よね》(13p)

 私はこのレイコさんの話を読んだとき、心底「なるほどぉ~」と感心してしまった。
 そう思う私には、細かくまきちらすものがなかったんだけど……