大バッハこと、J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)は、ヨハン・アンブロジウス・バッハの8人の子供の末っ子として生まれた。
しかし、J.S.バッハは20人の子供を作った。
おぉ、我は父を超えたなり!
バッハ(以下、J.S.バッハについては単にバッハと記す)は1707年にマリア・バルバラ・バッハと結婚した。彼女はバッハの遠戚にあたる。
結婚の前年、1706年にバッハはアルンシュタット市当局から譴責書を手渡されている。内容は、「最近バッハが未知の乙女をオルガン室に入れて演奏させたのはいかなる権限によってであるか」というものであった。
未知の乙女をオルガン室に連れ込んだ……?
この未知の乙女は、翌年結婚したマリア・バルバラだということになったが、真偽のほどは定かでない。
マリア・バルバラとバッハとの間には7人の子供が生まれた。このうち、ヴィルムヘルム・フリーデマンとカール・フィリップ・エマヌエルは有名な音楽家となった。
マリア・バルバラは1720年の夏に急死(ということは13年で7人の子供を産んだことになる)。
翌1721年には宮廷歌手のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと結婚した。
アンナ・マグダレーナとの間に生まれた13人の子供のうち、バッハの子供の中では音楽家として最も成功したのがヨハン・クリスティアンであった。
ここで、音楽家となったバッハの息子たちを整理すると次のようになる。
マリア・バルバラとの間に生まれた子は、ヴィルヘルム・フリーデマン(Wilhelm Friedemann 1710-84)、カール・フィリップ・エマヌエル(Carl Philipp Emanuel 1714-88)、ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト(Johann Gottfried Bernhard 1715-39)である。
ヴィルヘルム・フリーデマンは“ハレのバッハ”と呼ばれ、エマヌエルは“ベルリンのバッハ”、さらにのちには“ハンブルグのバッハ”と呼ばれ、父をしのぐほどの名声を得た。ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルトはオルガニストになったが24歳で亡くなっている。
また、アンナ・マグダレーナとの間に生まれた子は、ゴットフリート・ハインリヒ(Gottfried Heinrich 1724-63)、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ(Johann Christoph Friedrich 1732-95)、ヨハン・クリスティアン(Johann Christian 1735-82)である。
アンナ・マグダレーナの息子たちになると、その音楽はバッハ的な色合いが急速に影を潜め、モーツァルト的なものになる。
ゴットフリート・ハインリヒは知能障害があったが、ヨハン・クリストフ・フリードリヒは“ビュッケブルクのバッハ”と、ヨハン・クリスティアンは“ミラノのバッハ”、さらにのちに“ロンドンのバッハ”と呼ばれ、国際的に知られるようになった。
ヴィルヘルム・フリーデマンについては以前書いているので、今日はC.P.E.バッハについて。とはいっても、彼のWq.178のシンフォニアについては前に取り上げている。
今日は(とはいえ、これも前に取り上げているのだが)「6つののシンフォニア(6 Sinfonie)」Wq.182(1773)。弦楽のための作品で6曲をまとめて「ハンブルク交響曲」という。
交響曲の前身となったのはオペラの序曲である。
オペラの序曲には2タイプあり、1つはフランス式序曲。もう1つがイタリア式序曲である。
このうち交響曲と結びついているのはイタリア式序曲で、フランス式序曲がポリフォニックで重厚なのに対し、イタリア式の方はホモフォニックなスタイルで書かれ軽快である。
バロック期にはフランス式の人気が高かったが、後期バロックになるとイタリア式の人気が急に高まった。 イタリア式序曲はイタリアのアレッサンドロ・スカルラッティ(Alessandro Scarlatti 1660-1725)によって確立されたと言われる。
当時は“オペラの序奏シンフォニア”と呼ばれていたそうだが、これは急-緩-急というテンポの構造をもち、そのうちオペラから切り離され、独立したシンフォニアとして演奏されるようになった。
こうした推移期に活躍したのがバッハの息子たちであったわけだ。
シンフォニアは彼らによって古典派の交響曲に発展していったのだった。
ドイツで活躍したC.P.E.バッハは、先に書いたようにバッハの2度目の妻の子供のようにバッハ色が薄れてはおらず、いかにも真面目な音楽としてシンフォニアを書いている。そのため、バロックと古典の中間の色合いがあり、さらに冒険心が加わり魅力的である(逆に、ポリフォニックであり多少前時代的とも言える)。彼はシンフォニアを3部(3楽章)構成で書き、メヌエットといった舞踏楽章を拒否している。
バッハ兄弟(次男と末っ子)のスタンスの違いは、C.P.E.バッハの音楽がベートーヴェンに、 J.C.バッハの音楽がモーツァルトに影響を与えたということからもわかるような気がする。
Wq.182(Wq.はヴォトケンヌ(Alfred Wotquenne)の作品目録の番号)のうち、とくに有名なのは第2曲であるが、第6曲のはつらつとした音楽は一度聴くと忘れられなくなる。死語かもしれないが「モダン」である。
その3部(第3楽章に相当)の最初の楽譜を載せたが、躍動的なリズム!意表を突く弦の跳躍!(172、174、176小節目。なお、掲載スコアはPETERS社のもの)。
なんか、かっこいいよなぁ~!
CDはホグウッドがアカデミー・オブ・アンシェント・ミュージックを振ったものを!オワゾリール。1977年録音。
ちなみに、このシンフォニア集の6曲のデータは次のとおり。
1. ト長調/2. 変ロ長調/3. ハ長調/4. イ長調/5. ロ短調/6. ホ長調
昨夜は札響の東京公演を聴いた。
場所は初台の東京オペラ・シティ・ホール。
天気は悪かったが、演奏は悪くなかった。
でも、何かストレートに伝わってこない。
その詳しい感想については、回をあらためて……
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クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかな自信あり。
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