アイゼンシュタイン氏は毎日私のこのブログを確認しているという。
また、自分のことが書かれることに喜びを感じているという(もしかすると私の聞き違いで、そうは言ってなかったかもしれないが、それは大きな問題ではない)。
そんなことを語る氏を見ていて、あることを思い出した。
前回アイゼンシュタイン氏とスナックで飲んだときのこと。
そのときに話した(話を聞かされた)ことをいくつか思い出したのだった。
平時には氏のことをなるべく思い出さないようにしようと、私の大脳皮質はブロックをかけているのだろう。だから、こういう風に小出しに奇異な会話の数々の断片を思い出してしまうのだ。ブロックをすり抜けるアイゼンシュタイン氏の残像。想像するだけでも非日常的なイメージがつきまとう。
前々回飲んだとき―永作博美の一件があったときだが―、私は何かの拍子で(ここを読んだ時点で、氏は「5拍子、変拍子、変態拍子」との突っ込みコメントを入れてくることが容易に想定できるが、それは不許可とする)JR列車の記号のことを氏に話した。
前に書いたように、過去、この話をして私は良い目に遭ったことがない。
とはわかりつつも、氏がJR通勤であることから教えてあげた。
「いいですか、キハとかモハとか書いてありますよね。キはディーゼルカーなんです。モは電車なんです。モーターのモなんです」
たったこの2つの文字についてだけ話した。
氏に、「で、ハは……」とか「ロはですねぇ……」とか「オは……」とか追加情報を与えたところで、20万光年彼方の名もない恒星のような悲しげな光を放つ瞳で「ハロォー」と言うに違いないのだ。
はいはい、おもしろいですよ。
で、前回飲んだときである。
ちょっと誇らしげにアイゼンシュタイン氏は私に言った。
「MUUSAN、あのですね、けさはキハと書いた列車に乗ってきました」
本当に誇らしげだった。
「よしよし、よくやったね、なでなで」と、優しい笑顔で褒めてもらえるを尻尾を振りながら待つ、すっかり人気が廃れてしまったシベリアンハスキーの、それもハスキー・ベースの混血犬のような表情で、私の次の言葉を待っていた。
もちろん私はそれに応えた。
「おかしいですね。その時間、ディーゼルカーは走っていないはずです。電車、つまりモハじゃないですか?」
アイゼンシュタイン氏は、ロシア革命で民衆に取り囲まれた貴族のような表情で、慌てて言った。
「あっ、そう、そうです。モハと書いてました。モです。モ!」
知らない人が聞いたら、「藻です、藻。って、水草コレクターか?」と思っただろう。
そう、氏はキハとモハ(正しくはキかモ)の違いじゃなく、キかモのどちらかが書いてあることが重要だったようだ。私がウソをついてるかもしれないと疑っていたのだろう。
まあ、キとモを間違える気持ちもわからないではない。キとモの文字の形は似ている。少なくともキとリよりは。
すっかりと意気消沈してしまったかわいそうなアイゼンシュタイン氏は、トイレに行ってしまった。
しばらく帰ってこなかったので、流されてしまったのかと思って心配してしまった。
でも、氏は元気に帰ってきた。
店にいる者一同の表情に落胆の色が走った。(←ウソだよ、アイゼンシュタイン)
私はアイゼンシュタイン氏に言った。
唐突に。
「貴殿におかれましては、お小水をする際には、どちらのお手を使って、チンなるものを保持するのでありましょうか?」
氏は唐突なことを言われたような顔をした。このへんのリアクションは間違っていないわけだ。
「う~ん」
ほんの数分前に使った手が左右どちらだったのか、すでに思い出すのに苦慮している。 私は「世の中の小便小僧のほとんどが、左手を添えているそうです」と助けにならない助け舟を出してあげた。
すると氏は、「えっと、どっちの手も使ってません。そのままです」と答えた。
す。す、すっごぉ~い。ステキぃ~!
って、
そんなに強いのかい?
そんなに堅いのかい?
見栄を張っちゃいけないよ、アイゼンシュタイン。
それに、手放し運転は事故のもとだよ……
§
アイゼンシュタイン氏はジャズが好きだそうだ。
私はよくわからないまま、「パット・メセニーというギタリストを知ってますか?」と尋ねてみたら、知っていると氏は目を輝かせた。
どうやらジャズ・ギタリストらしい。
じゃあ、私は氏に、ライヒ(Steve Reich 1936- )の「エレクトリック・カウンターポイント(Electric counterpoint)」(1987)を紹介したい。あらかじめ録音した演奏と生の演奏を重ね合わせるギターのためのミニマル・ミュージックである。
パット・メセニーの演奏によるCDが出ている。
このCDには、以前ご紹介した「ディファレント・トレインズ(Different trains)」(1988)も収められている。
私は「ディファレント・トレインズ」でライヒの音楽に魅せられるようになったのである。
でもこの列車は、キでもモでもなく、蒸気機関車がけん引する客車。
実際に汽笛も鳴りひびく。
ということで、キモの話を終える。
