昨日の土曜日、毎年使っている卓上カレンダーを探しにちょいと街中に買い物に行ってきた。
 毎日、平日は街中にある会社に出勤しているわけだから(自宅に比較して“街中”と呼ばなきゃならないのがけっこう物悲しい)、仕事帰りにでも探せばいいのだろうが、仕事が終わったら余計な動きはしたくない。すぐに帰るか飲みに行きたい。融通の利かない保守的な私は、習慣を変えられない、変えたくない。

 行ったショッピングセンターのなかにギャラリーが入っていて、そこでは当たり前といえば当たり前だが、絵が売っている。
 1年ほど前に、ここでとっても目を引く絵を見かけた。
302f6d25.jpg  チューリップの中からウサギが1羽、顔を出している絵である。タイトルは「春の訪れ」とか何とか書いてあった。これを見たとき、例えば好きな女の子にこれを誕生日かクリスマスにプレゼントしたら喜んでもらえるだろうな、と根拠もなく思った。プレゼントするような女の子はいなかったし、私は独身じゃないから、そんなこと考える意味合いも必要性も需要もまったくないんだけど。

 今回まだ、1年前とサイズは違ったが同じ絵が売っていた。作者は渡辺宏という人。
 絵を買う気はないけど(乙女じゃあるまいし、自分で飾る気にはならない)、ポスト・カードのスタンドを見たら、同じ絵、いや、ウサギが2つに分裂し、双子のようになっている発展型のものを発見した。
 それを買ってきた。なんともほのぼのする。
 実は私は、ウサギがけっこう好きなのだ。
 子供のころはウサギを飼っていた。かわいかった。糞は臭かったけど……

 で、双子つながりで、またまた村上春樹の「1973年のピンボール」(講談社文庫)。
 
 霊園は墓地というよりは、まるで見捨てられた町のように見える。
 (中略)
 朝と夕には管理人が先端に平らな板を取りつけた長い棒で砂利道を掃きならした。そして中央の池の鯉を狙ってやってきた子供たちを追い返した。おまけに一日に三度、九時と十二時と六時には園内のスピーカーで「オールド・ブラック・ジョー」のオルゴールを流した。音楽を流すことにどんな意味があるのか鼠にはわからなかった。もっとも暮れ始めた午後六時の無人の墓場に「オールド・ブラック・ジョー」のメロディーが流れる光景はちょっとした見ものだった。


214e3c77.jpg  上の部分は84~85ページ、主人公である“僕”の友人、兎、じゃなくて、“鼠”が出てくる場面である(余談だが、高校生の時に模試を受けたとき、私の友人は“兎”という漢字が読めなかったために、国語の点数をひどく取り損ねた)。

 「オールド・ブラック・ジョー(Old black Joe)」はフォスター(Stephen Collins Foster 1826-64)が1960年に書いた曲。
 フォスターはアメリカの通俗歌曲の作曲家で、その作品の多くは旅回りのE.クリスティのミンストレル・ショーのために作曲された。
 私たちも、「おお、スザンナ(Oh! Susanna)」や「草競馬(Camptown races)」、「故郷の人々(Old folks at home(Swanee River)」、「なつかしいケンタッキーのわが家よ、おやすみ(My old Kentucky home,good night)」など少なからずの曲をよく耳にしている。
 フライド・チキンが食べたくなった、少なくとも私は、にわかに。

 「オールド・ブラック・ジョー」の歌詞は以下のとおりである。

 Gone are the days when my heart was
 young and gay,
 Gone are my friends from the cottonfields away.
 Gone from the earth to a better land
 I know,
 
 I hear their gentle voices calling,
 "Old Black Joe".
 I'm coming, I'm coming for my head is
 bending low:

 Why do I weep when my heart should
 feel no pain?
 Why do I sigh that my friends come not again?
 Grieving for forms now departed long ago?

 「オールド・ブラック・ジョー」は、フォスターが子供のころ、家で雇っていた黒人の老人を歌ったものと言われている。
 その孤独さ、わびしさは霊園にふさわしい……のかどうか私にはよくわからないが、例えば「クシコス・ポスト」や「星条旗よ永遠なれ」なんかが景気づけに流れるよりはマッチしているんだろう。でも、霊園にオルゴールの「オールド・ブラック・ジョー」ってえのもねえぇ……。カラスも声を失いそうだ。
 黙祷!
 かぁぁ~っ!

3f402b26.jpg  音楽がその場にふさわしいかどうかっていうのは、なかなか難しい。耳にする人の好みや感性に大きく左右されるから。
 多くの人は何気なく、単にサインとして割り切っていたのだろうが、私は歩行者信号が青になったときに「とおりゃんせ」が流れることに、非常に違和感を感じていた。だって、通さないぞ、っていう曲なんだから。最近は「ピヨッ、ピヨッ」って音に変わったけど。
 あと、10年以上前の朝の札幌地下街。「モスラ」の歌が流れていたことがある。「モスラ~やっ、モスラ~ぁ」って。
 幻聴かと思ったね、アタシは。
 それか、関係者しかわからない、緊急事態発生の業務用のサインかとも疑ったね。「オーロラタウンの第6入口で蛾の死骸を大量に発見」とか。
 その次は、“当たった”かと思ったね、アタシゃ。出勤途中の脳溢血は労災に該当するんだろうな。

 で、CDは前にも取り上げたロジェ・ワーグナー盤をあげておく。

 そうそう、村上春樹の小説では、しばしば“ワタナベ”という名の主人公が登場する。こちらの渡辺は宏ではなく“ノボル”である。