先日私は「のだめカンタービレ」の映画を観に行った(既に報告済み)。
映画が始まってほどなく、聴き覚えのある、というよりも良く耳になじんでいる管弦楽のメロディーが流れてきた(未報告の新たな事実)。
それは、オーケストラのコンサート場面やリハ風景で演奏されているのではなく、画面を盛り上げるための効果音楽として使われていたのだが、その曲が何だったかさっぱり思い出せない(深まる疑惑)。
ヤナーチェクだったろうか、コダーイだったろうか、それともチャイコフスキーのバレエの一節だったろうか……、その民族色あふれる曲を頭の中で何度も反復してみるのだが、曲名を思い出せそうで思い出せない(情報の曖昧さ)。
頭の中の反復は、目の前でどんどんと進んでいく映画の影響によってミニマル化され、ずれ、原型をとどめなくなり、私は「もういいや」とあきらめる以外なかった(迷宮入り)。
ところがその少しあとに、同じように背景音楽で「ソルヴェイグの歌」が使われた。
アタイのニューロンが活性化し、「たぶんさっきの曲も『ペール・ギュント』だ」とひらめき、それが「アラビアの踊り」であることに思い至った。
考えてみれば、かなりの年にわたって「ペール・ギュント」を聴いてなかった。
名曲というか、ポピュラーな音楽なのに……
グリーグ(Edvard Hagerup Grieg 1843-1907 ノルウェー)の代表作である、「ペール・ギュント(Peer Gynt)」(1874-75)。
イプセンの劇のための23曲から成る付随音楽であるが、その後4曲ずつの2つの組曲が作曲者によって作られ、多くの場合は組曲版が聴かれる。
第1組曲Op.46(1888)は、クラシック音楽の入門曲としても有名。「朝」、「オーゼの死」、「アニトラの踊り」、「山の魔王の宮殿にて」のどれもがよく知られている。
第2組曲Op.55(1891)は第1組曲ほど有名ではないものの、特に第4曲の「ソルヴェイグの歌」はCFなどでも使われる曲。「花嫁の略奪―イングリードの嘆き」、「アラビアの踊り」、「ペール・ギュントの帰郷―海岸でのあらしの夕べ」、「ソルヴェイグの歌」から成る。
でも、どうして私はこの曲に親しめないのだろう。
「どうせ耳触りが良いだけの二流作品だ」とか思っているわけではない。
今回、「のだめカンタービレ」で「アラビアの踊り」が耳に飛び込んできたとき、「おぉ、なかなか良い曲だ」と正直思ったのだ。誰によるものか知らないが、演奏もいきいきとしていて良かった(昨日CDショップで確認したが、「のだめ」のサウンド・トラックCDには、「ペール・ギュント」は収められていない)。
H.C.ショーンバーグによれば、《サン=サーンスと同様に、グリーグのこうむっている迷惑の一つは、彼が主として最悪の作品によって有名になっていることである。―たとえば「ペール・ギュント」、甘ったるい「抒情組曲」の中のいくつかの曲、「ノルウェー舞曲」などがそれだ》(「大作曲家の生涯」:共同通信社)、ということなのだが、私にとっては、たとえそれが事実だとしても、ここまで「ペール・ギュント」を遠ざける原因にはなっていないはずだ。
とすれば、本当の原因は何か?
もしかすると演奏かもしれない、と疑い始めた次第。 考えてみれば、この曲(組曲版)は生では一度聴いただけ。LP時代にはオッド・グリュナー・ヘッゲなる指揮者によるオスロ・フィルの演奏(RCA)、CDではスメターチェク指揮プラハ響(スプラフォン)のもの1枚だけ。つまり、3種の演奏しか耳にしてこなかった。
しかも、LPやCDは数回聴いただけで棚の装飾として並べられていたようなものだ。
そこで別なCDを買ってみた。金曜日、アイゼンシュタイン氏と会う前に。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立響他による演奏のCD(組曲版ではなく、付随音楽の抜粋。20曲が収録されている)。ヤルヴィ盤を選んだ深い根拠はない。カラヤン盤は買いたくなかったのと、ナクソス盤はちょいと冒険しすぎるかなと思い、消去法でヤルヴィ盤となったのだ(2004年録音。EMI-ヴァージン・クラシックス)。 すると……なかなか聴いていて楽しい曲じゃないか!
これまで、「あ~ぁ、かったるい」と感じていた曲が、こんなにも違うなんて!
つまり、今まで聴いたことがある演奏が、良くなかったってことだ。
ヘッゲのときは私が持っていたステレオ装置の問題もあるので(装置って言うよりも、まだポータブル・プレーヤーを使っていた)何とも言えないが、スメターチェクの演奏はいったい何なんだろう?なんであんなに退屈するんだろう?
スメターチェクは悪い指揮者ではないはずだ。高く評価する人もいる。
たまたまスプラフォンへの録音の時(1976年)は演奏が上手くいかなかったのだろうか?
それとも、スプラフォン自体の音作りが悪いのか?(そのような気がする)
ヤルヴィに比べると、スメターチェクの演奏はオーケストラの音がこじんまりしすぎているのだ(音場も平板で奥行き、つまり立体感が不足している)。
「のだめ」のおかげで、「ペール・ギュント」を再発見させてもらった。
その「ペール・ギュント」だが、主人公ペール・ギュントの冒険物語。
ある日、ペール・ギュントは婚約者のソルヴェイグを残したまま突然ノルウェーを去り、モロッコやアラビアを旅して歩く。しかし、一向にうだつがあがらない。ついにアメリカで巨万の富を手に入れ故郷に帰ろうとするが、彼が乗った船は難破。結局、ノルウェーに帰った時には、出た時と同じように無一文となる。故郷では白髪になってしまっているソルヴェイグが彼の帰りを待っており、最後は彼女の膝を枕にして息を引き取る。
この波乱万丈というか、ちょっとイカレている男の冒険談だから、そもそもあまり優等生っぽく演奏するべきではないのだと思う。「良い子のためのクラシック音楽」的な演奏に、私も騙されていたのかもしれない。
ついでに言っておくと、第1組曲の第2曲目「オーゼの死」を聴くと、私はコーニッシュ(William Cornysh 1460代?-1523 イギリス)の「ああ、やさしいロビン(Ah,Robyn,gentyl)」を思い出してしまう。
「のだめ」と言えば、ベートーヴェンの交響曲第7番が全編を通じてテーマ音楽として使われている。「のだめ」のおかげで、愛称なしのベートーヴェンのこの交響曲がすっかりポピュラーになった。
でも、それに便乗してか、第7番を使ったTV-CFがいくつも作られ流れている。
そんな安直なマネしないで、選曲についてもう少しひねって考えてみれば?って言いたくなる。
新館入口(2014.6.22~)
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