村上春樹の「シドニーのグリーン・ストリート」。
この短編は「中国行きのスロウ・ボート」(中公文庫)に収められている。初出は1982年12月の“海”の臨時増刊“子どもの宇宙”。
そして、この小説でも、村上春樹はクラシック音楽を登場させてくれている。 《「います」という札がかかっている時、僕はだいたい事務所のビニールのソファーに座ってビールを飲みながらグレン・グールドのレコードを聴いている。僕はグレン・グールドのピアノが大好きだ。グレン・グールドのレコードだけで三十八枚も持っている。
僕は朝いちばん、オートチェンジのプレーヤーにレコードを六枚ばかり載せ、えんえんとグレン・グールドを聴く。そして、ビールを飲む。グレン・グールドを聴くのにあきると、時々ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」をかける》
グレン・グールド(Glenn Gould 1932-82 カナダ)の熱狂的なファンである人は少なくない。20世紀最大のピアニストといわれるリヒテル(Sviatoslav Richter 1915-97 ソヴィエト)は、グールドのことを「バッハの最も偉大な演奏者」と語ったという。
グールドは1964年3月に行なわれたコンサートを最後に、ステージには一切姿を現さなくなった。演奏の一過性、そして演奏会の儀式化に疑問をもち、ラスト・コンサートのあとはレコード録音や放送の世界でのみ音楽活動を行なった。
彼のピアノ演奏は独特、あるいは一風変わっているというが、実は私はグールドのCDを1枚しか持っていないので、何とも言えない。
別にグールドを避けているのではない。ただ、何となく聴く必要性に迫られてこなかっただけだ。それに、凄いのかもしれないが、超個性的と言われる演奏にあえて接しようという興味もなかった。20年前、このCDをどういう経過で買ったのかも思い出せない。へんなのぉ~
ただ、その1枚にも、彼の特徴である、演奏に合わせた鼻歌を耳にすることができる。 そのCDは、1959年に録音されたバッハの作品集である。
収録されているのはパルティータBWV.825-830(1731出版)のなかの第4番二長調BWV.828、トッカータ ホ短調BWV.914(1708以前)、イタリア協奏曲ヘ長調BWV.971。
イタリア協奏曲(Italienisches Konzert)は、パルティータ ロ短調BWV.831(この曲はパルティータ第2番BWV.826の原型となる曲)とともに、クラヴィーア練習曲集第2巻(Klavierubung,2 teil)として1735年に刊行された。
個人的には、その昔、YAMAHAか何かのCFで使われていたのが記憶に残っている。
クラヴィーアの独奏曲にもかかわらず協奏曲と名が付けられているのは、バッハがチェンバロ1台で協奏曲のように楽器の対比の効果(強奏と弱奏)を試みたことによる。
Wikipediaによると、グールドはイタリア協奏曲を嫌っていたが、その録音は今日でも名盤とされている、という。
私が持っているCDは輸入盤で、Odysseyレーベルのものである。
ところで、「シドニーのグリーン・ストリート」には羊男と羊博士が登場する。「羊をめぐる冒険」と同じように。でも、こちらの羊男と羊博士は、相変わらず謎めいた存在ながらもコミカルに描かれている。
札幌の街は、いまやホワイト・ストリート。所によっては、であるが……
実は先週の土曜日、26日の朝から左足首から甲にかけて痛い。
痛みは日曜日にもっと強くなり、月曜日はさらに強くなり、火曜日は歩くのに支障があるため朝から鎮痛剤のロキソニンを飲んだ。
金曜日の夜といえば、遅くまでアイゼンシュタイン氏お抱えの歩兵団と飲んだ日だ。
その帰り道、酔っ払って足首をひねった可能性が高い。少なくとも仕事を終えて家路を急ぐトナカイに足を踏まれた可能性よりも、ひねった可能性の方が高い。問題はひねったかもしれないこと、トナカイに踏まれたかもしれないこと、あるいはその他の要因かもしれないこと(例えば歩兵団の誰かが私の足に毒矢を吹いた、など)、の記憶がぜーんぜんないことだ。
困ったちゃんなんだからぁ~、アタイったら。
でも、もしかすると痛風発作では、というのも頭をよぎった。
その疑念はいまでも捨てきれないが、痛風ならもっともっと痛むだろうし、歩くことなどできないだろう。そもそも、足の甲に尿酸の結晶がたまるとは考えにくい。
左足といえば、4~5年前に、ひざが痛んで立ち上がれないことがあった。
あれこそ、もしかすると痛風発作だったのかもしれない。
その話はめでたい正月にでも投稿することにしよう。
そして、水曜日となった今朝。
足の甲の痛みはだいぶ和らいだが、今度は左足のふくらはぎに痛みが走る。
きっと無理な歩き方をしたせいで、変な力がかかったのだろう。
やれやれ……