アイゼンシュタイン氏が、誰かに(おそらくは妻であるブリギッテだろう)操られるように自宅を整理していたところ(訳あって、自分1人だけ家を出なくてはならないはめになった、とb9130bcd.jpg いうことではないらしい)、2000年のPMF(Pacific Music Festival)の演奏を収めた非売品のCDが出てきたという。

 「何でウチにあるのかさっぱりわからないんですけどんね」と、氏はドイツの田舎に愛想なく建つ、教会の物置の奥から、バッハの未知の自筆楽譜が見つかったかのように自慢げに言った。
 「試しに聴いてみましたけど、なかなかいいですねぇ~」
 そう語っている最中も焦点が定まらないうつろな瞳は、ダイヤルQ2で欲求不満の人妻のよがり声を聞いて(それがやらせとも気づかず)、いろんな光景を中空に投影鑑賞している危ない変態のようであった(安全な変態というのに出会ったことはないが)。

 それにしても、なぜ氏の自宅にそんなものがあるのだろう?、というのはもっともな疑問である。
 歴史的価値がある絵画や掛け軸や自筆譜なんかが、とんでもないところから発見されることがあるが、それに通ずるものがある。
 果たして氏が合法的に入手したものなのだろうか?

 それはともかく、そのCDを貸してくれた。

 CDに収められているのは、2000年7月22日にKitaraで行なわれた公演で、指揮はシャルル・デュトワ、オーケストラはPMFオーケストラである。
 曲はカーニスの「ムジカ・セレスティス」、ストラヴィンスキーのバレエ「ペトルーシュカ」(1911年オリジナル版)、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」の3曲(当日はシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第2番も演奏されたと記録に残っているが、CDでは割愛されている)。

 アイゼンシュタイン氏は、このCDを私にもったいつけて渡そうとしたときに、「いやぁ、最初の弦楽四重奏曲がいいですね。カーニスっていいですね。弦楽四重奏曲って音が飛び交っていいですね」と、いいですねを3連発した。近くにイーデス・ハンソンがいたら、3回も呼び捨てにされたと、怒りを買うところだ。
 「弦楽四重奏曲って音が飛び交う」という点に、私はちょっと意味不明さと、違和感と、反論しようというサド的欲求を感じたが、何せCDを貸していただく立場である。氏を傷つけないために「そうですね。飛びます!飛びますっ!ですよね」と、一応は答えて差し上げた。

 そもそも私は、その数日前にカニ酢は食べたが、カーニスなる作曲家は知らなかった。

 CDを聴いてみた。
 カーニス(Aaron Jay Kernis 1960- アメリカ)の「ムジカ・セレスティス(Musica celestis)」。
 アイゼンシュタイン氏は、この作品をきっぱりと弦楽四重奏と言っていたが、それは間違い。
 「ムジカ・セレスティス」はカーニスの弦楽四重奏曲第1番(1990)の第2楽章を弦楽合奏用にアレンジした作品である。

 それにしても、この作品を聴いてかなり衝撃を受けた。
 この作曲家を(本人はまったく何も考えないで)私に教えてくれたアイゼンシュタイン氏に、素直に感謝したい。ありがとよっ!

 曲はとても透明感で宗教的なもの。とにかく美しい(出だしはワーグナーの歌劇「ローエングリン」の第1幕前奏曲を想起させる響きである)。
 色の異なる透明なガラスがゆっくりと重なりあい、新たな色を作り、そしてまた離れて1枚ずつの色を放つような響き。すべてがガラスでできているミルフィーユのようだ。食べたら口の中が血だらけになるだろうな……
 冷涼ながらも甘美。中間部では階段を駆け上がるように忙しく、やや不協和的な響きになるものの、再び透明な響きが層を成し、聴き手(つまり私)はこの上ない慰撫を体験する。

 こんな曲があったとは……
 久しぶりに、すばらしい作曲家と新たな出会いをした。
 こうやって新たに気に入った曲や作曲家を知ることは、なんと喜ばしいことだろう!
 だからクラシック音楽を聴くのはやめられない。新しい出会いもクラシック音楽を聴く喜びだ。
 だから、現代音楽も聴きましょう!無理にとは言いませんが……
 
61619c79.jpg  カーニスはイエール大学でジョン・アダムズに作曲を師事した。1999年に弦楽四重奏曲第2番「ムジカ・インストゥルメンタリス」を発表し、それがピューリッツア賞を受賞したことから特に脚光を浴びるようになったという。
 なお、この年、2000年のPMFのレジデント・コンポーザーを務めた。

 CDに収録されている「ペトルーシュカ」と「ラ・ヴァルス」もとても良い演奏。
 ただ、「ペトルーシュカ」で、第3場と第4場の間のドラムのロールがないのはなぜだろう?
 これまで聴いた1911年オリジナル版なるCD演奏でも、第3場と第4場の間にはドラム(小太鼓)の“つなぎ”がなかったことはないし、手元にあるスコアを掲載するが(NORTON CRITICAL SCORE。このスコアには1912年にベルリンで出版されたものを基本とし、その上で明らかなミスを修正している、との注記がある)、ここには小太鼓の連打がある。
 CDに収められている、この日の演奏の無音状態はどういう事情によるものだったのだろうか?