【小学校高学年による新年を祝す“呼びかけ”】

 男子A 「新年です」
 全員  「新年です」
 女子A 「また、新しい年がやってきました」
 全員  「だから新年です」
 男子B 「MUUSANは2月生まれ」
 全員  「2月生まれ!」
 男子C 「だから来月、1つ歳をとります」
 女子B 「加齢します!」
 全員  「加齢します!」
 女子C 「くさいかな?」
 男子D 「におうかな?」
 女子D 「おじさんかな?」
 全員  「加齢臭です!」

 ということで、私はみずがめ座である。子供のころ、“みずがめ”とは水亀だと真剣に思っていた。
 だからというわけではないが、小学生の時、親にだだをこねてアカミミガメを買ってもらい飼った。いわゆるミドリガメである。
 カメを飼ったことがある人なら経験があるだろうが、カメを飼っている水槽は臭くなる。なんともいえない臭いだ。だから近寄りたくなくなる。当然、水槽の手入れがおろそかになる。するとますます臭さが増す。歯科医院の治療椅子横の口すすぎ場を5週間くらい清掃しなければ、ああいう臭いになりそうだ。

 いけない。新年早々、私は何を書いているんだ。
 お雑煮を食べながら、このブログを読むのを前年から(つまり昨日だ)心待ちにしていた人もいたかもしれないのに(可能性は低い)、すまない。

 私には新年を迎えるに当たり特別な感慨はないが、それでも、さて今年最初は何を聴こうかな、とは考える。5年に1度くらいは。
 たまたま、今年は5年に1度くらいに当たってしまったらしく、日の出前の朝っぱらから5分ほど熟考した。
 こんなことを考えるより先に、外に出て雪かきをすべきなのに[E:snow]……。たいした積もってはいないが、風も強く、元旦から厄除けならぬ雪よけをしなくてはならない。まあ、近隣住民はまだ寝ているんだろうから、早くからがさごそと音をたてない方が、いいか……

 2010年はマーラーの没後100年にあたる。
 よっしゃ、ここは交響曲第9番でも聴いて、「死ぬように」という気分になろうか、と自虐的なプランも頭をかすめたが、やっぱりやめた。だいたい元旦の朝の6時前から、マーラーの交響曲を聴くという行為は、あまりにも「ふつうの人」からかけ離れている。誰かに見られているわけじゃないが、私にはそれを実行する勇気も気力もない……
 かといって、新年恒例でJ.シュトラウスというのも乗り気でない。

 その結果、選曲したのはディーリアス(Frederick Delius 1862-1934)の「イルメリンの前奏曲(Prelude to "Irmelin )」(1932)だ。
 新年らしい(っていうのは曖昧だけど、傾向としては)ウキウキ、ワクワク、ホクホク、ナハナハっていう曲ではない。しっとりと落ち着いた曲である。しかも短い。新年への前奏曲とこじつけると、なんとなくそれらしくもある。

 ディーリアスはイギリスで生まれ、イギリスの作曲家の位置づけにあるが、両親はドイツ人である。22歳の時、友人とともにアメリカのフロリダに渡りオレンジ農園を営んだが失敗。ただ、その間に音楽の勉強をし、25歳のときにライプツィヒ音楽院に入学した。
 翌年にはパリに移り、フランスに永住することを決める。その後、イギリスとフランスの間を行き来はしたが、イギリスではほとんど音楽活動をしなかった。
 つまり、イギリスの作曲家というのは、生まれた国ということにおいてだけ、ということになる。
 しかし不思議なことに、ディーリアスの作品には、まぎれもなくイギリスの音楽に共通する雰囲気がある。

 H.C.ショーンバーグは「大作曲家の生涯」(共同通信社)のなかで、以下のように書いている(ということは、ショーンバーグはディーリアスを大作曲家と見なしていたということだ)。

 《ディーリアスはイギリスを去り、霊感を自身の中にのみ見出した。イギリスがあまり好きでなく、ブルジョアとか平民というよりは、インテリ貴族といった感じだった。作品は極めて個性的で、音楽としては最大限に汎神的である》

 《ある意味でディーリアスは、フォーレに似た作曲家だった―すこぶる個性的で、時に繊細、優雅、かつ伝統的だがアカデミックではない、という点で》

 《ディーリアスの作品について説明することは困難である。イギリス印象主義と評した人々もいるが、必ずしもぴったりではない》

 《ディーリアスの作品は何者にも負うところがない。ドビュッシー同様、彼も既成の形式との縁を完全に切った。ピアノに向かって、官能的で、エキゾチックな半音階を試し弾きしている間に出来上がったのではないかと思えるような、自由で即興的な特質が、彼の音楽にはある。それは自由形式の狂詩曲のようで、全く古典主義の拘束を受けていない。和声は他者を圧倒するほど豊かで、時に不協和的だが、他のいかなる作曲家のそれとも違っていた》

 《ディーリアスにとって、唯一の関心事は「流れる感じ」だった。曲が流れたか、流れなかったか。流れればよい音楽であり、流れなければ愚作だった》

 《もしも聴き手がディーリアスの作品の一つを気に入れば、全作品が好きになる可能性が大である。というのは、ディーリアスはほぼ一貫して同じ様式で書いたからである》

 《ディーリアスが手がけたものは、すべて完璧な出来栄えであり、彼は美しい物を美しく描いた。彼の音楽は何よりも精巧で、洗練されており、悲劇を底流とすることが多かった。それはしばしば感覚的で、時に強烈だったが、常に哀調を帯び、優雅だった。それは決して標題音楽ではなかったが、湖、日没、風景、パリの空、アメリカ沖合の大西洋、などの音楽を常に想起させた》

 ディーリアスは1924年に失明してしまった。その後はイギリス人の弟子のエリック・フェンビーが付き添って、口述筆記によって作曲した。
 フェンビーはまた、ディーリアスのいくつかの作品を管弦楽に編曲した。たとえば、管弦楽曲の「去りゆくつばめ」は、フェンビーが師の弦楽四重奏曲第2番の第3楽章を管弦楽化したものである。

 ショーンバーグが書いているように、一度ディーリアスの曲を気に入ると、全作品が好きになってしまうといっても、決して誇張ではない。

 私が初めて聴いたディーリアスの曲は、彼の作品中でも特に有名な「春初めてのかっこうを聞いて(On hearing the first cuckoo in spring)」であった。そのときは、さほど心に浸み入らなかったのだが、1986年4月の札響定期(第269回)で「イルメリンの前奏曲」を耳にし、はまった。虜になってしまった。もぅ、アタイをどうにでもして!
 これをきっかけに、私は他の作品も聴くようになり、常に欠かせない作曲家ではないものの、いなくては困る存在になった。
 
f5c7577e.jpg  「イルメリンの前奏曲」は5分弱の短い曲。終わらずにもっと続いて欲しい、といつも思ってしまう。あと2分くらい……

 「イルメリン」は1890~92年に作曲された3幕のオペラである(初演は作曲者が死んでから20年も後の1953年)。「イルメリンの前奏曲」はこの歌劇の前奏曲の改訂版である。

 今日はティントナーがシンフォニー・ノヴァ・スコシアを振ったNAXOS盤をご紹介。
 「イルメリンの前奏曲」のほか、これまた魅力あふれる「ラ・カリンダ」、代表作である「春初めてのかっこうを聞いて」や「楽園への道」などが収録されている。1991年録音。

 ところで、私が「イルメリンの前奏曲」を聴いた定期演奏会で、指揮を務めていたのは福村芳一である。
 福村は1970~80年代は若手指揮者として、ちょっと芸能人的な人気があったように思う。確か芸能人の真理アンヌと結婚したはずだし。
 「題名のない音楽会」の指揮者も務めていた。
 しかし、その後はあまり名を聞かなくなった。
 その福村は井上道義と同じ1946年生まれ。
 おお、もういい歳になってしまっていたのね……