HPSCHD。
 さて、何の略号でしょう?

 答えはHarpsichord。つまり、ハープシコード。いわゆるクラグサン。ということはチェンバロ。

 ケージ(John Cage 1912-92 アメリカ)の「HPSCHD」(1967-69)。HPSCHDとは、Harpsichordのコンピュータ表記。

 ケージといえば、偶然性、図形楽譜の創始、東洋思想への接近など、ヨーロッパの伝統からの隔絶を主張した人。

 1950年代にケージたちの実験的音楽は、不確定性、つまり唯一の演奏に対する固定した作曲から逸脱すること、そして彼の「4分33秒」がそうであるように、もはや音を必要としないというところにまで音楽領域を拡大していった。音を必要としない音楽ですよ!米を必要としない小ライスみたいじゃないですか!

 60年代に入ると様々な形式の新たなミュージック・シアターが盛んになり、そこで器楽奏者たちが仮面や衣裳をつけることが要求されるような作品が登場した。例えば、ジョージ・クラムの「鯨の声」や、ピーター・マクスウェル・デーヴィスの「気のふれた国王のための8つの歌」などがそうである(*1)。

 新しいテクノロジーも取り入れらるようになったが、シンセサイザーを用いる「HPSCRD」がまさにそう。シンセサイザーはこのころまだ誕生したばかりであり、全く新しい純粋な電子音の豊かな可能性を提示し、アコースティックな楽器によるライヴ演奏家によって演奏される音が、新しい変化を被ることも示された(*1)。

 この話を読むと、1970年ころに冨田勲がシンセサイザーを輸入し、それを部屋に“据え置いた”写真を思い出した。確かFMfan誌だったと思うが、そりゃどでかい機械で、何十本ものコードが数多くの端子に接続されていた。スイッチとかではなくて、コードの接続を変えることによって、さまざまな音を得ていたのだろう。

 「HPSCHD」は、1967-69年の版では7人以下のチェンバロ奏者と、51人以下のテープのための即興的な目で観る催し物である。
 ケージ自身はチェンバロの音を「ミシンのような音」として嫌っていたそうだが、スイスのチェンバロ奏者であるアントワネット・フィッシャーの委嘱によってこの曲が生まれることとなった。

 「HPSCHD」のコンピューター・プログラムはレジャレン・ヒラーが書いた。
 ヒラーは1から64までの乱数が発生するプログラム(易=ICHINGと呼ばれる)を作り、ICHINGが指示する乱数に基づいてチェンバロのスコアのヴァリエーションを作るDICEGAMEというプログラムを作った。
 このほかにHPSCHDと名づけたプログラムも作られ、オクターヴを5から56に分割して得られる様々な音階からピッチや音価を選び、そこで作られる音響を51本のテープに録音した。

 7台のチェンバロ(作品名に敬意を表し、遅ればせながら以下ハープシコードと記す)は次のようなスコアを演奏する。
 第1ハープシコードのスコアは、このHPSCHDを用いて平均律を使って作られたものである。第2はモーツァルトの作品(下で紹介するCDの、高見一樹氏によるライナーノーツには「音楽のサイコロ遊び」と書かれている)を繰り返し演奏、第3と第4ハープシコードがさらに別のモーツァルト作品をコラージュするが、第4ハープシコードの方は右手と左手で異なる作品がコラージュされていくという。第5、第6はさらにベートーヴェンやショパンなどの作品がミックスされ、第7ハープシコードに対しては、モーツァルトの好きな作品を演奏してよい、との指示があるそうだ。

 1969年の初演では58のアンプが生のハープシコードの音を増幅し、さらにコンピューターで作った微分音を流した。スピーカーは会場となった会議場を取り巻くように配置され、12台のプロジェクターが数千枚のスライドをいたるところに写し出した。ケージはそれを“ミュジ・サーカス(musicircus)”と呼んだ(昨年の春、坂本龍一のコンサートに行ったとき、ステージの背景に抽象的な映像が映し出されていたが、それはこういう流れをくんでいるのだろうか?)。

19f98dcc.jpg  私が持っているCDは、アントワネット・フィッシャーとネイリー・ブルースのチェンバロ、デイヴィッド・チュードアのエレクトロニック・ハープスコードによる演奏。ノンサッチ・レーベル。残念ながら、現在は廃盤のよう。
 このCDに収録されている演奏は、21分という最短ヴァージョンのものである。

 コンピューターの音の向こうに美しいハープシコードの響きが聴かれる。まるで電波状態が良くないラジオを聞いてるかのように。
 コンピューターの音の幕によって、ハープシコードのメロディーは手に取れそうで取れない。きちんとそのメロディーを受けとめたいのに輪郭がはっきりしないまま過ぎていく。
 あぁ、あなたは私のところへは来てくれないのね……。謎の美女に惹かれるような感じ……

 この音響の雰囲気は、ゲームセンターで何十台もあるゲーム機に囲まれ、さまざまな音楽が耳に飛び込んでくるのに似ている。「あっ、この音楽、楽しくていいな」と耳を傾けようとするが、それは一瞬で別なマシンたちの音と混合してしまう。それがつねに繰り返される。二度と同じものが聴こえない、まさに偶然性の音楽!

 あぁ、カオスの世界。
 魅惑的なメロディーの本質をつかみたい。でも、つかまえられない。
 こういう音楽、私はけっこう好きである。
 そして、この曲のハープシコードの音はコンピューターの妨害音の中で、これまた宝石のようにキラキラと響く。

§

 いま、甲府のホテルにいる。
 出張で昨日甲府にやってきた。
 その昨日だが、札幌から新千歳空港までJRがストップしていて焦った。
 たまたまつけっぱなしにしていたTVで交通情報の速報が流れ、この不通を知ったのだが、こういうことがあると、節電は大切な心がけと承知しつつも、だらだらとTVをつけっぱなしにしておくことも必要だと思ってしまう。おかげで何とか間に合った。

 いま、まさに私が過ごしているホテルの部屋には、やたら大きな空調機が窓際に置かれている。前時代的。昔のシンセサイザーのような、いかつさ。
 そしてこいつ、ときどきトドがゲップしたいな音をだす。
 少なくとも私がチェック・アウトするまではガス漏れとかしないでほしい。

引用・参考文献
*1) ロバート.P.モーガン(長木誠司監訳)「音楽の新しい地平」(音楽之友社)
*2) ポール・グリフィス(石田一志他訳)「現代音楽―1945年以後の前衛」(音楽之友社)