私が幼少の頃に持っていたおもちゃで圧倒的に多かったのは、ブリキ製の車だった。
私は、当時住んでいたアパート(というほど立派でなかった)の前の道を走っている車が何であるかをすべて言い当て、神童と呼ばれたらしい(本人・談)。だが、私自身の謙虚な性格から5歳で神童を辞退してしまった。なお、その当時は1日に3台くらいの車しか家の前の道を通らなかったという話もある。
1台目「よーちえんバシュ」(←幼稚園バス)
2台目「よーちえんバシュ」
3台目「ブーブー」
どこが間違っているというのだろう!
私の長男も幼少の頃、車に詳しかった。だが親を見習って、というよりは親を超越しようとして、4歳で神童を返上、その後は「ただの人」を目指している。
だが、自分が子供の頃に欲しかったおもちゃが他にもあった。1つはレジスターのおもちゃであり、もう1つはおもちゃのピアノである。レジスターの方は、その後じいちゃんをそそのかして買ってもらったが、トイ・ピアノはついぞ手に入れることができなかった。
そしてピアノの話である。
私にとって、ピアノという楽器は小学生になってからもかなり珍しい楽器という感じだった。
というのも、小学校の音楽室にはピアノが置いてあったが、誰かが弾いているのをまず目にしたことがなかった。だから、この楽器は夜中の0時に勝手に鳴り出す、怪談の小道具だと思うようになった。
もちろんその時には、音楽室の壁に架けられている大作曲家たちの肖像画の眼も光りだすはずだが、そのなかでも滝廉太郎あたりが実はいちばん怖そうだった。
音楽の時間に先生が弾く楽器はもっぱら足踏みオルガンであった。当時は足踏みがトレンドだったらしく、ご家庭のミシンも足踏みであった。今の小学生たちは、昔、オルガンが足で踏まれていたなんて想像もつかないだろう。オルガンの上に乗っかって足踏みすることかと思うかもしれない。
現代の小学校で当たり前のように使われているのはキーボードだ。私が小学生の頃は、キーボードといえば用務員室に置いてある鍵をかけておく板のことだったのに、文明の進歩には驚くばかりだ。
ピアノやオルガン(正確にはリード・オルガン)は鍵盤楽器だが、鍵盤楽器といえば(鍵盤楽器ではないのかも知れないけど)私が小学生のときにもピアニカはあった。今は鍵盤ハーモニカと言うらしいが、私のときにはピアニカと言っていた。どう考えてもピアノとハーモニカの合成語だ。どこかの会社の商品名なのだろう。メロディオンという名のものもあったと思う。オとアを間違えただけで、コーヒー・クリームに変貌してしまうのだから、これまた恐ろしい。
今の小学生は、リコーダーと同じように一人ひとり鍵盤ハーモニカを購入させられる。もちろん音楽の授業で使うためだ。家庭科や算数の時間には使わない。
が、私のときは違った(音楽以外の時間に使った、ということではない)。学校の備品である。
学校の備品だから、皆が吹く。
衛生上いかがなものか、という話になる。
そこで学校では、吹く前にアルコールを含ませた脱脂綿で吹き口を拭かせた。これは確かに消毒になるが、吹き口の中に入り込んだ残渣物は取り除けない。
小学校3年生のとき、同じクラスに中田さんという女子がいた。
誰も中田さんと呼ぶことがないくらい、嫌われていた。何と読んでいたのかというと「ナカタ」という呼び捨て。それも本人にそれが語られることはなく、もっぱらひそひそ話の中で使われるだけだ。要するに非常に残酷な話である。
でも、なぜ嫌われていたのか?
本人にかなりの問題があった。
まず、常に鼻水をたらしていた。しかも両方の鼻穴からご丁寧に2本。もう一本あれば、3本線のアディダスになるところだ。
それをしょっちゅう袖口でぬぐうものだから、セーター(だいたいいつも同じものを着ていた)の肘より先の方は随所がセメダインを塗ったくったようになっていた。
第2に、臭かった。いつも同じ服を着ていて、服からなのか、それとも風呂に入っていないせいで体が臭いのか知らないが、とにかく近くに寄ってくるだけで台所の三角コーナー以上のような臭いがした。
第3に平気でウソをついた。一度、宿題をやって来なかった彼女が、みんなの前で先生に叱られたことがある。いつもやって来ないので、ついに先生も堪忍袋の緒が切れたのだ。
彼女の理由は、夕飯の支度で時間がなかった、というものであった。 でも、それだけでは理由にならない。それなら私だって、夕飯を食べたので時間がなくなった、という理由が成り立つ。でも、この理由には多少同情すべき点があった。家事はたいへんだからだ。
しかし、夕飯の支度をしたために宿題をする時間がなくなった、というのは説得力に欠ける。先生も「そのあとは?」と、何とか救済できないかと尋ねた。
だがそれに続く言い訳は、「布団を敷くのに時間がかかった」であった。先生の「どれくらいかかったのか?」という質問には、「夜の7時から9時まで」と鼻水をすすり上げながら答えた。
これには驚いた。
こんなに時間がかかるということは、彼女が旅館の布団敷きの仕事に従事している以外にないからだ。でも、そのあと彼女は「自分の布団」と言った。驚いて損をした(自分の布団を何十枚も持っているのなら十分に驚くべきことだが)。新品のベッドを組み立てるのにだって2時間はかからない。
先生はブチ切れた。当たり前だ。それなら「最初からやる気がなかった」「川で洗濯をしていた」「馬鹿だから宿題そのものの存在を忘れていた」などと答えた方がまだましだ。
そんなわけで中田さんは嫌われていた。
ふつうにクラスメートとして接するべきあらゆる可能性が、彼女自身によって否定されていた。
音楽の授業の話に戻る。
問題は、ピアニカの授業があるときに、前回の授業で中田さんがどのピアニカを吹いていたかということだ。誰も彼女が使ったピアニカは吹きたくないのだ。いくらアルコール消毒をしても、それに口をつけたら、布団を敷くのに2時間もかかるような筋肉疲労に襲われる恐れすらあるのだ。
ピアニカのケースと本体にはマジックで番号が書かれている(魔法を使って書かれているという意味ではない)。授業がある日は、朝から怪情報が飛び交う。
「確か、先週は27番だったぞ」
「ホントか?37番って言ってる人もいるぞ」
「いや、昨日の3組の授業では22番だったって言うぜ」
という具合だ。この世の終わりが迫っているかのように、みな真剣だった。
絶望的に運悪く、中田さんが前回使っていたピアニカが当たってしまい半べそ状態の友人が、ケースを開けるとなぜか違う番号の本体が入っていて九死に一生を得た話やら、反対に、危険は過ぎ去ったはずなのに、ケースを開けると大当たりの番号のピアニカが入っていて、マリアナ海溝に放り込まれたように救済不可能になった人間のエピソードもあった。
ところで、ピアニカと言えば、私には苦い思い出がある。ピアニカの吹き口が苦かったわけではない。
私たちの学年全体が、大した発表会ではないが、町内の福祉ホールで器楽合奏の発表をしたときのことだ。何の発表会だったかまったく覚えていないが、小学校同士の文化交流発表会のようなものだろう。
指揮者である先生のタクトが振り下ろされる直前、私はプッと音を出してしまった。
フライングだ。
とても恥ずかしかった。先生に責められることはなかったが、晴れの演奏会を台無しにしてしまったと、私はたいへんに思い悩んだ。思い悩んだ結果、私は出来る限り集団活動というものに参画しないよう心がけるようになった。
中田さんの話に戻るが、いま思えば実は顔立ちは悪くなかったように思う。
彼女は朝陽に照らされて輝く日高本線のレールの如き2本の鼻水の筋と、敵を寄せ付けない強烈な臭いと、男の子と遊べないほど日々忙しく家事手伝いをしていたせいで、もしかしたら美しかったかもしれない素性・素顔を隠していたのだ。
その彼女も大人になって、鼻水も垂らさなくなり、臭いもしなくなり、家事の効率化を図り、結婚でもしたのだろうか?
そう思うと不思議な気がするし、相手の男性は中田さんのそういう少女時代をきっと知らないんだろうなと思うと、余計なお世話だが気の毒になってしまう(鼻水に関しては、子供の頃の写真が証拠として残っているかもしれないが)。
ということで、「婚礼の顔(Le visage nuptial)」(“神童”の話からモーツァルトを予想した人、残念でした)。ブーレーズ(Pierre Boulez 1925- フランス)が1946年に作曲した初期の代表作で、1951年から52年にかけて改訂されている。改訂版はソプラノとアルトの独唱、女声合唱、オーケストラという編成。詞はルネ・シャルによる。
私が持っているCDはブーレーズ指揮BBC響とBBCシンガーズによる演奏。独唱はソプラノがブリン=ジュルソン(←あたかも鼻水をすする音の如き)、アルトがロランス。1989年録音。エラート。
あぁ、今朝も未明の除雪車の音で睡眠が浅くなり、4時半に起きて外の雪かき……
これって、本当に心も体も休まらない。
早く早く春になぁれ!
新館入口(2014.6.22~)
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