昨日に続き中田さんの話。
私は中田さんが学校の教室の椅子で使っていた座布団のせいで大ケガをしたことがある。頭に何針も縫うケガをしたのだ(何物かが座布団に針を忍ばせていたという、現代的で陰湿なイジメの話とは縁はない)。でも、中田さんが悪いわけじゃないし、もしかすると中田さんはこの一件を自分がちょっと関わりがあったなんて全く知らないままだったかもしれない。
それにしても中田さんは布団だの座布団だの、トン系に縁があったことを今さらながら気づいた(ない、ない!)。
なぜ中田さんの座布団のせいで?
ある日の放課後、教室に残って何人かで遊んでいるうちに、そのなかの骨川君―私は彼が好きではなった―が彼女の椅子に敷いてあった座布団を持ち出し、「ほら、これをお前らにお見舞いしてやるぞ」と振り回し始めた。
他のみんなは「キャー」とか「くせェ~」とか言いながら逃げ惑ったが、骨川としてみれば誰かにそれを見舞わさないと単に自分が忌まわしいものを手にしただけという結果に終わってしまう。
ついに私が追いかけられる番になり(別に談合して追いかけられる順番を決めていたわけではないが)、顔面に座布団を押し付けられそうになった。私は必死で体を後に反らして回避しようとしたが、そのまま後に倒れ壁の角に頭頂部をぶつけたのだ。その直後ひどく出血し、保健室に運ばれた。
保健室の先生(若くてかわいらしい人だったが、父兄からは「あの先生は毎晩毎晩いろんな男の人を家に呼んでいる」と噂されていた。極めて純情無垢だった私は、単に「お友だちがたくさんいるんだなぁ。いつかボクも呼んでくれないかなぁ」と思っていた)に言わせれば、切れた箇所は4~5針は縫わなければならないそうだ。
それに頭だから、万が一のことも考えて病院に行ったほうがいい、あなたの明晰な頭脳をこのままだめにしてしまっては人類の損失だから、と言った(ということにしておきたい)。
頭を包帯でぐるぐる巻きにしてもらい(あはぁ~ん、ついでに手も縛ってぇぇぇ~ん)下校&帰宅。母にそのことを説明すると、彼女は病院に連れて行くどころか「そのうち治るから大丈夫」という宣言を堂々とした。結局、自然治癒にまかせた(まかせざるを得なくなった)が、傷跡の部分はいまだに無毛地帯となっている(「いまだに」というか、もうこの先は二度と髪の毛は生えてくるわけがない)。
ところで私にケガを負わせた加害者の骨川はさすがにたいそう動揺したようで、家に帰って自分の母親に、私の「頭を割ってしまった」と告白したそうである。時代が時代なら小学校内での女関係のもつれによる傷害事件として大騒ぎになるところだ(一応、中田さんも女である。もつれ方も色恋沙汰とは限らない)。
彼の母親(私はこの母親も好きではなかった。なぜかというと、骨川君に顔がそっくりだったからだ)が真っ青な顔になって謝りに来たのは言うまでもないが、どう思い起こしても手ぶらだった。
その後しばらくの間は、頭を包帯で巻いている私の姿は、学校内でも町内でも羨望のまなざしで見られた(今思えば奇異なまなざしだったかもしれない)。
ウチの母親が、日々傷口を消毒してくれたと言う記憶がない。もしかすると、中田さん以上に、頭頂部から悪臭を放っていた可能性もある。
頭に包帯と言えば、その後にも一度グルグル巻きにしたことがある。休日に草野球をやっていたときのことだ(私は人数合わせのために強制的に誘われたのだ)。私はキャッチャーをやらされていた。
空振りをしたバッターが手を緩めてしまったため、バットが私の額を直撃した。
痛かったがそのまま野球をしていたら、みるみる腫れ上がっていくのがわかった。タンコブである。そんなとき、たまたまグラウンドを担任の先生が通りかかった。
彼は私を見て「どうしたんだ、すごく腫れているぞ。家に帰って病院に連れて行ってもらえ」と驚いた声で言った。
「先生、大丈夫ですよ」と私はエヘラエヘラ答えたが、そのエヘラエヘラが彼の不安を煽ったようだ。「とにかく帰れ」と言われた。打ちどころが悪くて頭がヘンになったと思ったのだろう。
家に帰った私の腫れ上がった額を見て、母はまずは笑いこけた。そして、「大丈夫、タオルで冷やしなさい」と言った。以上である。今ならすぐにCTをかけるところだ。鬼のような母だ。自分で、包帯を巻いた。頭にきたから、ひときは大げさにグルグル巻きにした。でも、湿布薬もなくただ包帯を巻いただけだ。自分でしたことながら、意味不明である。
包帯といえば、アダムズ(John Adams 1947- アメリカ)の作品に「包帯係(The wound -dresser)」(1988)という作品がある。
ストリックランドの「アメリカン・ニュー・ミュージック」(柿沼敏江・米田栄訳:勁草書房)の本文中では、この曲名は「包帯巻くのが私の仕事」(だったかな)と訳されているが、その後ナクソスからリリースされたCD(オールソップ指揮ボーンマス響)では「包帯係」となっている。この方が曲名としてはスマート。
同書のなかでこの作品は傑作扱いされているが、残念ながら私はいまだにCDを買いそびれており未聴。しかも、このCDは廃盤のよう。
じゃあこの先、話をどう進めて行こうかと考える私。
ふふっ。そりゃ当然、あの優しくてかわいらしかった保健室の先生にちなんで…… イザークが「この世で私の唯一の楽しみは」とか「恍惚」という、先生にぴったりの曲を書いてくれている。
イザーク(Heinrich Isaac 1450頃-1517 ネーデルランド)はルネサンス期のフランドル楽派の作曲家である。
ここで取り上げるCDは以前にも紹介したナクソスの「美徳と悪徳/ドイツ・ルネサンスの世俗曲集」というもの。演奏はベルガー指揮コンヴィヴィニム・ムジクムとアンサンブル・ヴィラネラ(1994年録音)。
イザークの作品はほかに、「祝婚歌」「我思うに」「ある朝,私は人知れぬところにたたずみ」「ラ・ミ・ラ・ソ」などが収められている。
それ以外の作曲家の作品では、ゼンフルの「山に登れ」「昔,外出したがる妻がいた」「婚約しなければ」他や、キュファーの「乙女はワインを注ぎに行った」などが収められている。どっちにしろ妖しげな曲がびっちりと詰まっているCDなわけだ。
でもこれも廃盤のよう。
そうそう、昨日は疲れ気味だったので胎盤エキスの入ったプラセンタという薬を飲んだ。
おかげで今朝は女性っぽくなっている私である。
ちっ、ちっ!信じないの!
新館入口(2014.6.22~)
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