昨日の朝は寒かった。
 「かなり寒い」「とっても寒い」「ひどく寒い」、おまけに「お出かけの時には水道の凍結にも注意」と、朝のSTVテレビで山藤美智アナウンサーがかわいらしい顔で何度も脅しながら洗脳するものだから、私も相当な覚悟で外に出た。
 相当な覚悟のおかげで、相当な覚悟をしたほどは寒くなかったが、それでも途中で眠り込んで自分が凍結してしまわないよう、固い意志で駅まで向った。

 それでも不用意にだらしなく、クレーメルっぽく口を開けると、寒さが歯にしみる。なんでさし歯なのにこのような感覚があるのか不思議。神経復活か?
 朝食に食べたナメコの味噌汁にネギを入れすぎたせいだろう。寒風が口内のかすかなネギの芳香を強調する。フリスクを食べた後大きく口で息をすると、口内が寒っぽくなるのと同じ感覚だ(ろう)。

 凍てつく大気の中で歩きながら聴いたのはマーラーの交響曲第6番イ短調「悲劇的」であった。

 朝からマーラー!
 朝から悲劇的!

 でも、前日にちょいとむしゃくしゃすることがあって(何かを食い続けたわけではない←それはムシャムシャ)、ストレス発散にがっつりとした音楽を聴きたかったのだ。

 この作品については何度か取り上げており話はほとんど重複するので、じじいのたわ言と思って読み流すべし。

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911)の交響曲第6番イ短調「悲劇的」(1903-05/改訂'06)は、私にとって、彼の交響曲の中で第1番と並んで記念碑的な意味合いを持つ作品だ。 第1番は私が最初に耳にした彼の作品であり、同時にマーラーにのめり込むきっかけとなった曲だから、それはそれはたいそう重要な意味を持つ。その重要性を忘れてしまいそうなくらい重要なのだ。

 では第6番は、というと、初めてレギュラー盤のLPを購入したのがこの曲だった。

 たぶん中学3年になる直前のころだと思うのだが、NHK-TVでN響による第6番の演奏が放送された。いやぁ、随分長い曲だと思った。けど、やはり私の目を引いたのは終楽章で振り下ろされるハンマーの光景であった。
 ハンマー入りのクラシック音楽!

 その放送を観たあと、旋律なんて1つも記憶に残らなかったが、なんとしてももう一度この曲を聴きたいと思った。できるだけ早く。
 しかし、この曲が放送で流れることは、当時は絶望的。となればLPを買うしかない。
 でも、廉価盤なんて出ていない。
 お金を貯めて、ようやく夏にLPを買うことができた。
 その日は札響の演奏会の日で(P.シュヴァルツの送別コンサート)、会場に行く前にオーロラタウンの玉光堂でショルティ指揮の第6交響曲のLPを買った。2枚組で4,600円だった。

 あのころは、第6番の推薦盤としてはセル/クリーヴランド管弦楽団の演奏が挙げられており、「ショルティの新録音も良い」という段階であった。こういう話題盤だったので、こう言っちゃ悪いが、オーロラタウンの玉光堂にも置かれていたのだろう。
 このショルティ盤は現在のところマーラーの交響曲全集でしか手に入らないよう。

 セル/クリーヴランド管といえば、村上春樹の「1Q84」に出てくるヤナーチェクの「シンフォニエッタ」ですっかり有名になった組合せである。

 しかし、このLPによって、私にとってのマーラー/第6のスタンダードは、ショルティの演奏となった。

 この演奏はすばらしい。
 音もすばらしい。まったく経年を感じさせない。色褪せない。不老不死の妖怪ばばあみたいだ。
 打楽器、特にティンパニの音はヒアルロン酸を注入した肌のように張りがあって、いつ聴いても快感だし、コントラバスの音もリアル。
 第3楽章の中間部でかすかにハウってるようなキーンという音がかすかに聞こえるのが残念である。

 ということで、「悲劇的」(ただし第1楽章のみ)でストレスを発散!

 ところでエリザベートはマーラーをかけながら昼寝することがあるらしい。
 どうやら交響曲第5番らしい。
 5番を聴きながら昼寝なんて、第4楽章ならともかく、決して夢見は良くないんじゃないかと思う。

7c6f3ba0.jpg  そこで「午睡」。
 午睡とは昼寝のことである。
 「午睡(Siesta)」。現代イギリスを代表する作曲家の1人、ウォルトン(William Walton 1902-83)が1926年に作曲した管弦楽曲である。

 ウォルトンの音楽はとてもロマンティックであり、近年人気が高まってきている。
 これから再評価される可能性が高い作曲家だ。
 私が持っているCDはマッケラス指揮ロンドン・フィルによる演奏のもの(1989年録音。EMI)。カップリングは交響曲第1番と第2番(第2番のオーケストラはロンドン響)。ただし、現在は廃盤のよう。


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 一生懸命お仕事をして、終業のチャイムが鳴る。

 この日、私はアイゼンシュタイン氏と一緒に豆まきの約束をしていた。
 もちろん氏が鬼の役である。

 というのは本当なわけがない。

 アイゼンシュタイン氏とその上司であるベリンスキー候と、オフィシャルな会食である。ちょっと腑に落ちないのは、オフィシャルという定義が曖昧なことである。
 その模様についてはダイジェスト版で明日報告することとしよう。