沖縄で飲んでいたとき、話題がいろいろ変遷し、私のバラ栽培のことになった。 アイゼンシュタイン氏が、「青いバラっていうのを見てみたい」といったので、「青といっても純粋な青ではないですよ。青が強い紫と思ったほうがいいです」と、気の毒だが私は氏の願いを簡単に打ち砕いてしまった。
氏は「そうですか。じゃあアジサイでがまんすっか」と、わかったようなわからないようなことを呟いていた。
がまんするってどういう意味?
「青いバラ」という言葉は不可能を意味するのだそうだ(英語(だったと思う)の場合)。
私の場合は「大車輪」「月面宙返り」「倒立」「マラソン」「生牡蠣摂取」「温厚」「禁酒」「禁煙」なども不可能を意味する。
いつかは純粋に青色、メコノプシス(ヒマラヤの青いケシ)のような色のバラが育種されるのだろうか?
ちなみに、サントリーが作り上げた青いバラの名前は「アプローズ」(喝采)である。
ちょっといい間違えると「がっさい」(これ、北海道弁か?)になってしまうのが気がかりである。
今回の出張では、村上春樹の「象の消滅」を携えてきたことはすでに書いたが、本書に収められている作品は、すでに「パン屋再襲撃」「カンガルー日和」などの文庫で紹介されているものである。
しかし、「象の消滅」という短編集での組み合わせで読むと、また新たな発見をしたような気になる。
「象の消滅」の最初に収められているのは、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」だ。
これはのちに「ねじまき鳥クロニクル」の開始部分に転用されたものである。
また、短編集の後ろのほうには「午後の最後の芝生」が収められている。
1冊のなかでこの2つの作品が収められていると(ということは、時間をおかずに両者を読むと、ということだが)、「へぇ~」と思わせる部分がある。いえいえ、そんな大発見なんかじゃなくて、あくまで個人的小発見。
「ねじまき鳥と火曜日の女」(以下、「火曜日の女」)では、《「昔、芝刈り会社でアルバイトしてたことがあるんだ」と僕は言った》とある(51p)。
これは、「午後の最後の芝生」(以下、「芝生」)の、《僕はその年、芝刈りのアルバイトをしていた。芝刈り会社は小田急線の経堂駅の近くにあって、けっこう繁盛していた》(355p)に呼応している。
そういえば経堂駅前のコンビニの店員の物まねをしていたお笑いの人、最近見かけないな。面白かったのに。髭男爵も見かけないけど。
《「ねえ、煙草持ってる」とその女の子がたずねた。
僕はズボンのポケットからショートホープの箱をとりだし、それを娘にさしだした。彼女はショート・パンツのポケットから手を出して煙草を一本抜きとり、しばらく珍しそうに眺めてから口にくわえた。口は小さく、上唇がほんの少し上にめくれあがっている。僕は紙マッチを擦って、その煙草に火をつけた》
これは「火曜日の女」で、僕が裏の路地で笠原メイと会ったときの話だ(48p)。
以下は「芝生」。
《「ところで煙草持ってる?」
僕はポケットからショート・ホープを出して彼女に渡し、マッチで火を点けてやった。彼女は気持ち良さそうに空に向けてふうっと煙を吐いた》(362p)
「芝生」の“僕”の歳は18か19。
年月が経ち「火曜日の女」になっても、“僕”は同じようなことを繰り返している。
そして、ショート・ホープはショートホープになっている。
さて、アジサイについて。
「火曜日の女」の一節。
《縁側に立ったまま、明るい初夏の日差しのさしこむ我が家の狭い庭を眺めてみた。
眺めたからといって心がなごむような庭ではない。一日のうちほんの少しの時間しか日が差さないから土はいつも湿っているし、植木といっても隅の方に二株か三株ぱっとしないアジサイがあるだけだ。それにだいいち僕はアジサイという花があまり好きではない》(35p)
“僕”がなぜアジサイという花があまり好きではないのかわからないが、実は私もアジサイの花は好きではない。青いアジサイの花の色は美しいと思うが、なんだか明るい気持ちにはならない。なんというか、お盆とか、仏教とか、そういうイメージと根拠なく結びついてしまう。
我が家のアジサイは、玄関のアプローチの日当たりの良いところにある。
ライラックの木を手に入れ植えたとき、その株元にくっついていたようだ。
わざわざアジサイを植えたわけではないのだ。
昨日の日中は名護の方まで行ってきたが、街路樹の桜がもう咲き始めていた。
よし、札幌に帰ったらまずはアジサイを移植しようと思ったが、冷静に考えれば我が家の庭はまだ厚い厚い雪に覆われている。
感覚が鈍るなぁ。
でも雪が解けたらアジサイを、家の西側のそれこそ一日のうちほんの少しの時間しか日が差さない場所に移そうと決意した。
そこは、雪が降ったときにわかったのだが、猫が通り抜けているようだ。雪に足跡が残っているのだ。そういえば、謎のフンが残されていることもあったが、それも猫のものだろう。
よし、猫が通るなら「火曜日の女」のストーリーにも合う。
移植しよう。「あじさい橋」を口ずさみながら……(←クラシックじゃありません。演歌です) その名護で昼食をとった。
飛び込みで“ブラジル食堂”という店に入った。
外からは休んでいるのか、やっているのか、はたまた廃業したのかわからなかったが、中に入ると席は客でほぼうまっていた。地元民の人気店のようだ。
“ブラジル食堂”っていうくらいだから、ブラジル料理店なのだ(ろう)が、ブラジル料理のメニューは3種類で、あとはソーキそばなどの沖縄そば。
私はせっかくだからと“ボルコアサード”なる豚肉料理を頼む。メニューには「トマトソースとの相性がばっちり」と書いてある。
私はトマトソースが好きなのだ。 そのあと店内を見渡すと、ほかの客はみな沖縄そばを食べている……
やべっ、しくじったかな……
けっこう待って出てきた料理は、うん、ちょいとしょっぱいがなかなか美味しい。
ただ、見た目も、食べても、どこにトマトソースが用いられているのかまったくわからなかった。
いや、トマトなんてまったく使われていないと思う。
「ごめんごめん。ソースかけるの忘れてた」と、おやじさんが厨房から飛んでくるかと思ったが、そんなことはなくすべての時間がのんびりと過ぎ去っただけであった。
トマトソース……謎だ。
そして、ライスが硬かった。
注文から出来上がるまでも、時間が止まったかのようにのんびりとしていた。
サラリーマンの昼食には不向きな店だ。
アイゼンシュタイン氏はソーキそばを頼んだ。
美味しいと言っていた。
氏の言うことはあまり当てにならないが、見た感じも美味しそうだったから、本当に美味しかったんじゃないかと思う。
“ブラジル食堂”はきっと沖縄そばで有名な店なんだと思う。
妙な冒険心を発揮するんじゃなかった……
でも、“ブラジル”って書いてあるからつい……
……そして、夜は夜で遅くまで飲んでしまった。
いまホテルに戻ったので、いっそのこともう投稿しちゃうことにする。