昨日、四国~沖縄の出張を終え、寒い寒い北海道へ帰って来た。
 が、寒くても北海道がいいなぁ。
 きっと体にそういうものが染みついているんだと思う。
 沖縄は暖かくて(暑くて)、雪かきなんかにわずらわされず、過ごしやすいんだろうけど、やっぱり長くは暮らせないと思う。

 この出張期間、風邪が悪化してつらかった。
 高松の2日目に喉が痛くなって、咳が出るようになった。
 高松の薬局でヴィックス・ドロップを買って、これで何とか治まるだろうと思ったら、どんどんひどくなって、那覇のホテルにチェックインしたあとすぐに近くの薬局へ。
 知らない街で薬局を探すのが、私は意外と得意なのだ。
 そこの薬剤師のおばさんに「安いので結構です。成分が同じなら2日分くらいのものでいいんです。札幌から出張で来ていて、あさって帰りますから」と告げたが、札幌という言葉に想像以上に反応してくれなくて、お大事にとだけ言われた。
 なんか、ちょっと、不満。

 沖縄滞在中は、そういうわけで、ニンニクの効いた料理を積極的に摂るようにした。
 島ラッキョウも食べた。
 アイゼンシュタインはラッキョウが嫌いだそうだ。
 ドラキュラの遠い親戚みたいだ。

 で、話はまったく変わる。

 私が過ごした浦河。そこの小学校での運動会。
 どういういきさつ、背景、企てがあるのかは知らないが、露店でヤドカリを売っていた。大きなヤドカリである。
 その場で焼いて食すためではない(ヤドカリって食べられるんだろうか?)。
 愛玩用小動物として売っているのだ。
 売っている水槽は、しかしながら全然水が入っていない。
 ヤドカリは海の生き物なのに、水がなくてどうして元気なんだろうと不思議に思ったものだ。

 浦河の海は遊泳禁止である。
 すぐに急に深くなっているらしい。
 でも、遊泳禁止だろうが遊説禁止だろうが、泳ぐことができない上に口下手な私にはどうでもいい規則であった。
 浦河から少し三石側に寄ったところに井寒台(いかんたい)という地区があり、年に一度、夏前に小学校で潮干狩りに行った。他は砂浜なのにここは磯であった。
 そこにはヤドカリがたくさんいた。
 でも、貝はくたびれた借家のようで、しかも小さかった。当然のごとく、中の住人であるヤドカリも小ぶりだった。

 そういえば、私がこの町に住んでいたとき、井寒台小学校の校長先生がマムシに噛まれるという事故があった(私は堺町小学校であった)。井寒台小学校は国道を挟んで海と反対側の山の上にあったと思う。
 噂によれば校長先生は、いつものように国道から小学校までのちょっとした山道を歩いていてマムシに噛まれ、毒が回り、天に召されたという。あくまで噂だったけど。
 あれは真実だったのだろうか?

 私もしょっちゅう学校の裏山に入って野の花たちと語り合っていた(「今日も綺麗だね、ふふふっ」とか)が、アオダイショウは何度か見たことがあるが(田中邦衛のことではない)、マムシに出くわしたことはなかった。「まっ!虫!」と、昆虫に驚かされることはあったが……(私は虫が大嫌いである)。

 運動会の露店で売られていたヤドカリは大きくて、貝も立派で個体差があまりなかった。きっと店主が大きさや形の揃った貝殻を用意して、そこに引っ越すように集団移転命令を出していたのだろう。
 私は売られているヤドカリを欲しいとは思わなかった。
 もしヤドカリ本体が貝から抜け出している姿を見たら、気持ち悪いに違いないと思ったからだ。なんでも、カニとエビの中間体みたいな形をしているらしい。

 そうそう、ヤドカリというのは漢字で“宿借”と書く。
 そこで“宿六”の話。

 「仕事もしないで飲んでばっかりいて、この宿六!」と、おっかない妻がうだつの上がらない、爪楊枝をくわえて畳に寝転がっている武士の夫に向って叫ぶ。
 どうもそんな場面を、子供の頃、テレビの時代劇で観たことがあるような気がする。
 だから私は“宿六”という言葉に、“どーしよーもない夫”というイメージを持ってしまう。

 そんなことで、パスロー(Pirre Passereau 1490-1547 フランス)のシャンソン「うちの宿六(Il st bel et bon)」(1534刊)。
 パスローは聖職者であり教会の合唱員だが、アテニャンの出版した曲集に26のシャンソンが残されている。
 この「うちの宿六」だが、作品名の邦訳がいくつかある。
 私が知っている他の訳名は「うちの亭主はお人好し」と「ウチの亭主はいい男」である。
 んっ?
 「うちの宿六」とは反対の意味になっちゃうんじゃないの?

 そこで国語辞典で“宿六”の意味を、この歳になって初めて調べてみた。

 宿六~妻が夫を親しみ、または、さげすんでいうことば。

 ほぅ~。
 ってことは、夫を非難する言葉じゃなかったんだ。
 私はあの時代劇のせいで、ずっと間違った意味で捉えていた。
 恥かきMUUSAN。

 さて、アテニャン(Pierre Attaignant1480?-1553 フランス)についてだが、フランス・フランドル地方の多くの作品を出版した楽譜出版業者である。
 自らも作品を残しており、「花咲く齢にあるかぎり(Tant que vivray)」という、なかなかステキなタイトルのリュート曲なんかを残している。

 また、シャンソンというと皆さんは越路吹雪や金子由香利などを思い起こすかもしれないが(皆さんって誰だよ?)、ここでいうシャンソン(chanson)はフランス語の歌詞による世俗歌曲の総称で、ルネサンス時代のフランドルやフランスの作曲家は、このジャンルを好んで開拓した。日本で俗に言うシャンソンは、フランスのポピュラー・ソングを指すことが多かった。

240bc941.jpg  その「うちの亭主はお人好し」だが、PJBE(フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル)の演奏による(ということは、歌ではない)CDが出ていた。
 おやおや、現在は廃盤。

 “宿六”ついでに“ちびろく”の話。
 明星食品のインスタント・ラーメン“ちびろく”のことである。
 
 「ぼくはちび1、ママはちび2、パパはちび3……」

 ってことで、ミニ・ラーメン(乾麺)が1袋に6個入っていて、食欲に応じて分量を調節できるという、画期的というかコスト高というか、何というかのラーメンである。
 で、パパは3個食べるということ。
 どうせなら“ちびさん”で売りだしゃ良かったようにも思えなくもない。
 それを2袋買えば良い話だ。
 でも、パパとパパァンが運悪く遭遇してしまったとき、1袋しかなくても彼女が優しく2人分作れるわけで、「ははは、ちびさん2丁で仲直り」なんて、不穏な出会いが笑顔に変わるわけ。  

4db6428a.jpg  まっ、マルちゃんのダブル・ラーメンの応用みたいな商品だった。
 ときおり、ダブル・ラーメンの貧窮的フレーバーが無性に恋しくなる。
 そんなことってありません?
 実際に作ってみると、大がっかりなんだけど……