《パン屋の主人はクラシック音楽のマニアで、ちょうどそのとき店でワグナーの序曲集をかけていたんだ。そして彼は我々に、もしそのレコードを最後までじっと聴きとおしてくれるなら
店の中のパンを好きなだけ持っていっていいという取引を申し出たんだ。僕と相棒はそれについて二人で話しあった。そしてこういう結論に達したんだ。音楽を聴くくらいまあいいじゃないかってね。それは純粋な意味における労働ではないし、誰を傷つけるわけでもないしね。それで我々は包丁とナイフをボストン・バッグにしまいこみ、椅子に座ってパン屋の主人と一緒に『タンホイザー』と『さまよえるオランダ人』の序曲を聴いた》
村上春樹の「パン屋再襲撃」(新潮社の「象の消滅―村上春樹短篇選集 1980‐1991」、および文春文庫の「パン屋再襲撃」に収録)の一節、その昔“僕”がパン屋を襲撃した時のことを妻に語る部分である。
パン屋の主人はクラシック音楽の“ファン”ではなく“マニア”なのだ。
おそらく、熱狂的なワグネリアンに違いない。
リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner 1813-83 ドイツ)。
ドイツ・ロマン派音楽の劇的分野における頂点に立つ作曲家。
彼の崇拝者をワグネリアンと呼ぶ。
彼が作曲家になろうと考えたのは15歳のとき。
ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の第9交響曲と歌劇「フィデリオ」を聴いたのがきっかけだった。
で、音楽史上、とにかくすごい人物だったわけだが、鈴木淳史に言わせれば《精神主義の衣をまとった世界最大規模のストリップ・ショーの興行主。ヒトラーのおけげで得をしたり、損をしたりしている》という作曲家でもある(「クラシック悪魔の辞典【完全版】」:洋泉社新書~現在入手不可)。
また、H.C.ショーンバーグは「大作曲家の生涯」(共同通信社)のなかで、次のように書いている。
《……過去にそうであったように、今後も、ワーグナーとヴェルディは共存し続けるだろう。しかし、一つだけ確実と思われることがある。ヴェルディは、かつてのように過小評価されることは二度とないであろう。一方、ワーグナーは19世紀の終わりに、彼が西洋世界の知的生活をほぼ支配したように大きな影響力を、今後持ち続けることはないであろう》
私が初めて耳にしたワーグナーの曲は、楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲(楽劇の初演は1868年)であった。いつものようにNHK-FMでエアチェック。演奏はN響だった。
これはこれで感動した。
でも、結局私はワーグナーにのめり込むことはなかった。
悪くはないが、聴きこみたいとは思わなかった。
まっ、相性の問題なんだろう。
そういえば昔どこかで、「女性にはワーグナー好きがけっこういるが、ブルックナー好きはほとんどいない」と書いてあるのを読んだことがある。ワーグナーは女性に官能的な気分をもたらすのだそうだ。まあ、ブルックナーよりはそうなんだろうけど、なんでワーグナーとブルックナーを比較するんだかよくわからない。
ブルックナーとマーラーならよく対比されるけど……
CDはバレンボイムのものをあげておく。
バレンボイムは好きじゃないけど、この演奏はバリバリしていて悪くない(1994録音。テルデック)。
あと、マタチッチがN響を振った1968年録音のものも。
マタチッチのワーグナーの序曲はそこそこいいと思うが、ちょいと録音が悪いのが残念だ(DENON)。ただ、現在はリマスタリングした盤が出ており ↓ 、私は未聴だが音が良くなっているのが期待できる。
そうそう、ワーグナーといえば有名な行進曲「双頭の鷲の旗の下に(Unter dem Doppeladler)」というのがある。
けど、このワーグナーはリヒャルト・ワーグナーとはまったくの別人。リヒャルトはこんな俗っぽい曲は書かないのだ。
行進曲の方のワーグナーはJosef Franz Wagner(1856-1908 オーストリア)で、軍楽隊長。「双頭の鷲の旗の下に」は作品番号が159。ということは、ほかにもたくさん行進曲を書いたということになるが、この1曲がダントツで有名である。
私が持っているCDはハリス中佐が英近衛歩兵グレナディア連隊軍楽隊なるガクタイを指揮しものだが(1958年。デッカ)、現在は廃盤のよう。
けど、めげるなかれ!
この曲ならいろんな名曲集に入ってるから。
