私は札幌の生まれである。

 なんとなくスクスクと育ち、5歳になったとき、行きたくもないのにママハハの差し金で札幌の幼稚園に入園させられた。ママハハとは私の実母の当時のあだ名である。

 この幼稚園で、私は人生で初めて女性を好きになった。
 いや、それまでは男性が好きだった、という意味ではない。
 同じクラス(ゲンゴロウ組だったかアメンボ組だったかは記憶が定かでない)の女の子を好きになったのだ。とは言っても、名前も覚えていないし、ほとんど話もしなかった。一度園バスの中で、席が隣になったことがあるだけである。だいいち、顔をまったく覚えていない。きっと年に一度の発情に襲われただけだったのだろう。

 この幼稚園に半年ほど通っただけで、私は浦河に引っ越した。
 いや、私1人が引っ越したのではない。ありがちな話で恐縮だが、父の仕事の関係である。
 しかし、これが私にとって人生の転機となった。
 なぜなら、私は幼稚園に通うのがイヤでイヤでたまらなかったからだ。
 ままごとはバカバカしいし、お遊戯は恥ずかしいし、折り紙を折れなかったのだ。
 しかも担任の先生は、オバタリアンのような風貌で(そのころはオバタリアンというキャラは生まれていなかったが)、すごく厳しくて、だからいい年して結婚できないんだよ、って陰口をたたきたくなるような人だった。

 幼稚園をやめることは苦どころか自由の空へ飛び立つ機会であった。羽があれば……

 もはや、顔も思い出せない発情相手の子のことに未練を持ち続けている場合じゃない。
 このまま幼稚園に通い続けていたら、私は真のオチこぼれ幼稚園児になってしまう!
 そういう不安から解消されるのだ。
 それに実はその女の子は、私より前に引っ越して幼稚園をやめていたのだ。
 
 浦河に引越し、小学校に入るまでのしばらくの間、私は心に休養を与えた。
 幼児にだって保養は必要なのだ。

 このあと私は浦河の小学校に入学した。

 入学から数ヶ月経ったある日の学校帰り。
 私は佐藤君(話の流れから、彼は同じクラスの友人と理解してもらって構わない)と一緒に歩いていた。
 すると後から、やはり同じクラスの沼沢えり子ちゃんがやってきた。彼女は私に向かって唐突に言った。
 「わたし、あんたのこと好き」

 あまりにも唐突だったので、私は佐藤君が彼女を利用して腹話術をやっているのかと思った。だが、佐藤君は「ひょぇ~」と叫んだから、腹話術ではなく、本当に彼女が発した言葉だとわかった。
 沼沢えり子ちゃんは、チョット見ではとても小学1年生には見えなかった。背丈こそ1年生だが、顔には疲れきったアラフォーのOLのように(人によるが)目尻にしわがたくさん刻まれていたからだ。それに、男の子を「あんた」と呼ぶ非洗練さも兼ね備えていたのだ。
 しかし、その話はそこで終わる。
 佐藤君が冷やかすからさすがのえり子ちゃんも私に近づかなくなったのだ。

 時は流れる。
 
 小学5年生のときに札幌の学校に転校。
 このクラスにはあの優秀な高山君がいた。
 神童と呼ばれていた子もいた。本名が新藤だったからだ。
 札幌オリンピックがあり、浅間山荘事件が起こった。

 時は流れる。

 中学2年。
 美少年だった私は美青年になりつつあった。
 現在では微高年になってしまっていることが不思議であり、月の満ち欠けに怒りすら覚える。
 
 ところで、中2のときに1学年下の子に交際を申し込まれたことがある。
 学校の必修クラブで、理科クラブというどーでもいいようなものを選んだ私だったが、その1年生の女の子――瓦(かわら)という珍しくはないが言いにくい姓だった――も退廃的な理科クラブを選んで入ってきたのだった。

 ある日の部活(といっても、時間割の6時限目)で、これまたどーでもいい実験をやらされた(あまりにどーでもいいので内容は忘れた)のだが、そのとき瓦さんは私にハートがドキューンしたらしい。私自身はまったく記憶がなかったが、彼女が使った試験管を「それも僕が洗っておくからいいよ」と何気なく言って、洗い物を引き受けてあげたのだ。

 そのすぐあと、「付きあって下さい」というお手紙が、朝の靴箱の中、臭気に満ちた私の上靴と重なるように入っていた。

 私は断った。
 このような女性とお付き合いし、万が一結婚でもするハメになったら、私は一生洗い物をさせられるに違いない。

 でも、彼女は簡単には食い下がらなかった。
 別な筋からの情報では、彼女の家はラーメン屋を営んでいるという。
 なら、なおさら私は洗い物地獄に陥ってしまう。

 何度か丁重にお断りしていたが(見た目はそこそこかわいらしかったのだが、なぜか私は彼女とお付きあいする気にならなかったのだ)、しつこかったので結構強い口調で断った。

 そうしたら、事態は一変した。
 彼女の友人の女たち4~5人が、私と学校で顔を会わせるたびに「バ~カ」だの「クズ」だの言うようになった。瓦が鬼瓦に変貌し手下どもに指示を出したのか、それとも彼女たちの瓦さんへの純粋な友情から自発的に仕返ししてやろうと思い立ったのかは知らないが、どうして私がそんな目に遭わなければならないのか?
 王家のお姫様に見初められ、それを受け入れるか死を選ぶか、って感じじゃないか、これなら。

 同じ頃、私の友人は、やはり1学年下の女の子にしつこく付きまとわれ、「うるせーぞ、このブス!今度寄ってきたらツバひっかけるぞ」とひどい断り方をしたにもかかわらず(破ったノートの切れ端に赤ボールペンで殴り書きしたものだった)、何の復讐もされていない。
 こんな仕打ちに比べ、私は「もう、僕のことはあきらめてください」と言っただけなのに……。メソメソ。
 なんで、1年生の女の子たちにこんなに悪く言われなきゃならないわけ?

1b02645b.jpg  バーバー(Samuel Barber 1910-81 アメリカ)の序曲「悪口学校(The school for Scandal)」Op.5(1931)。

 「弦楽のためのアダージョ」で有名なバーバーは、保守的な作風ながらその中にアメリカ的な感覚を盛り込んだ作品を書いた。

 序曲「悪口学校」はバーバーの最初の管弦楽曲で、アイルランドの劇作家シェリダン(Richard Brinsley Sheridan 1751-1816)の喜劇「悪口学校」の持つ精神を音楽化したという演奏会用序曲。
 この曲によってアメリカ国内においてバーバーの名声が確立した。

 私が持っているCDは、最近有名になってきた女性指揮者のマリン・オールソップの指揮、ロイヤル・スコッティシュ管弦楽団の演奏のもの。ナクソス。1998年録音。カップリングはバーバーの交響曲第1番、第2番他。

 バーバーは「悪口学校」で有名になったが、私は中2の一時期、悪口を学校で言われ、「バーカ」と罵られていたのだ。

 ふん、性格ブス軍団め!
 その軍団の中に、チョイ悪系の美人がいたのが、またまた悔しい……