01ea5b42.jpg  彼女は強情で欲深い女で、生涯を通じ他人の気持ち、ましてや夫の気持ちなど考えない性格だった。

 ↑ 私の妻のことではない。私の母親にはかなり近いものがある。
 でも、R.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)の妻、パウリーネ・デ・アーナのことである。

 リヒャルト・シュトラウスは恐妻家であり(私の知人の勤務先は某共済組合の共済課である)、例えば、《シュトラウスは家に入る前に「立ち止まって、ドアの前にある小さな湿ったマットで注意深く靴を拭き、一歩進むと今度乾いたマットでもう一度靴を拭いた。ドアの敷居をまたぐと、内側の小さなゴム製マットで三たび靴を拭いた」という》(H.C.ショーンバーグ「大作曲家の生涯」:共同通信社)ほど、パウリーネに躾けられていた。
 これでわかるように、リヒャルト・シュトラウスの家の玄関には、少なくとも3枚のマットが敷いてあったということである。

 躾というと、私の小学校のときのクラスメート(と書くと近しげに聞こえるが、単に同じ学級にいただけである)の家で飼われている犬が、「ハウス!」と命じられるとそそくさと犬小屋に入っていくのを見て、私はひどく驚いたものだった。
 後年、私の家で偶然拾ってきた犬を飼うようになったとき、この“ハウス技”を仕込もうとしたのだが、私が「ハウス!」と命じると、あいつは狂ったようにハアハアいいながら、もげるぐらい尻尾を振って、挙句の果てに地面に寝転がっていた。
 根本的な勘違いをしているようだが、どっちにしろバカだ、あいつは。

 パウリーネはソプラノ歌手だったが、2人の出会いは音楽を通じて。1886年のことである。
 パウリーネはミュンヘンで数回にわたってシュトラウスの指揮で歌ったが、噂によると、2人はリハーサルで激しく口論をしたあとシュトラウスが彼女の楽屋に入っていったが、楽屋から出てくると2人は、蒟蒻ゼリーを、いや、婚約を発表したという。

 やれやれ。
 どう言いくるめられたのかな?
 女は怖い。
 シュトラウスの方が仕掛けたのかもしれないけど……

 パウリーネは将軍の娘で、中産階級出身のシュトラウスを常に見下していたという。リヒャルト・シュトラウスの母ヨゼフィーネ・プショールは富裕な酒造家の娘だったが(リヒャルトの父フランツは、当時ドイツで最も有名なホルン奏者だった。そのためリヒャルトはホルン協奏曲を2曲作曲しているが、いずれも傑作である)、パウリーネにとってはしょせん酒屋の娘だったのだ。

 こんな妻だったにもかかわらず、シュトラウスは不平を言わず妻の癇癪に堪えたという。
 まったくもって「偉い」としか、私には言いようがない。

 その彼が書いた交響詩「英雄の生涯(Ein Heldenleben)」Op.40(1897-98)。

 英雄とはリヒャルト・シュトラウス自身のことであり、30歳そこそこで彼は自分を英雄に仕立て上げ、その生涯を音楽で描いた(まさかとは思うが、“英雄”は“えいゆう”と読むことをここで念押しさせていただく。“ひでお”ではない)。
 妻に虐げられているくせに、“英雄”とはよく言ったもんだ、とも言えなくもない。

 曲は、「英雄」、「英雄の敵」、「英雄の伴侶」、「英雄の闘い」、「英雄の業績」、「英雄の引退と完成」という6つの部分から成っている(全曲は通して演奏される)。
 こうやって楽章の標題を並べてみると、“えいゆう”ではなく“ひでお”にしちゃったら面白いかもって思う、意地悪な私がいたりする。
 「ひでお」、「ひでおの敵」(私ではない)、「ひでおの伴侶」、「ひでおの闘い」、「ひでおの業績」、「ひでおの引退と完成(あるいは昇天)」。ほら、違和感なし。でも、“ひでお”って誰かなぁ?

 ただ、この楽章構成を見て冷静に考えると、いくらなんでも34歳の人間がこの時点で引退までを予想して書いているというのは不自然。当時の音楽界への何らかの当てつけや皮肉が込められているのかもしれない。
 作品中の「英雄の伴侶」は将来の妻を描いたものだが、独奏ヴァイオリンが活躍するこの曲はとっても優美で楽しい戯れのよう。けど、現実の妻は先に書いたとおりだったわけだし……

 私が「英雄の生涯」を初めて聴いたのは中学生のとき。
 NHK-TVでN響の演奏が放送されているのを観て、何となく魅かれ、ライナー/シカゴ響の廉価盤LPを購入した。その話は前に書いたとおり

 あのころN響でシンバルを叩いていた人、けっこう年配に見えて、シンバルを打ちならす時も表情一つ変えないで、楽しいのかな?なんて思ったんだけど、このときもそんなふうだったのが印象に残ってる。

 クラシック音楽作品は私の場合、その作品を初めて聴いたときや集中的に聴いたとき、あるいは感動したときに身の回りで起こっていた出来事や印象的な光景、漠然とした当時の心情に結びつくことが多いが、この作品の場合、具体的なイメージはないのだけど、全体を通じて、自然の中にいるような開放的な心象がある。

 今日はブロムシュテット盤を。
 何回も聴いたことから私にはライナー/シカゴ響の演奏がこの曲そのものなのだが、録音年の割に音が良いといってもやはり強奏部では細かな音が聴こえなくなる。
 その点、ブロムシュテット盤などはきちんと聴こえる。
 また、ブロムシュテットの演奏は、この曲がもつ壮大さを描きながらも、バランスは崩れない。
 
 オーケストラはドレスデン・シュターツカペレ。DENON(ドイツ・シャルプラッテンとの共同制作)。1984年録音。現在はHQCDで出ているが在庫僅少。CDの詳細情報については ↓ から。

 R.シュトラウスは、あのマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)が絶賛するような曲も書いたが(リヒャルト・シュトラウスはマーラーの4歳年下である)、音楽の発展には寄与することはなかったと言える。交響詩という、彼のあとは衰退した過去の様式の作品を数多く書き残した。“物”を音楽で描写する才能は突出していたが、革新的なことはしなかったといえる。
 妻を恐れていた人物だから、それもしょうがないか……?

 それにしても、結婚相手を見つけるって、やっぱり賭けなんだなぁ……
 結婚の女性って本性を隠すから……
 それはお互いさまだって?
 ごもっとも。