6fb796a6.jpg  水曜日、木曜日と東京に行ってきた。
 私の仕事には出張が多いということは、このブログを何十回か読んでくれている人なら薄々感づいているとお察し申し上げる次第ではありますが、東京は羽田で飛行機乗り継ぎで終わることが多く、今回、東京のアスファルトに覆われた地面を踏んだのは久しぶりであった。

 ここで唐突にお詫びと訂正。

 “本年3月5日の当ブログ記事において、重大な事実誤認があったことが発覚いたしました。記事中のスットイコドッコイな母親は、ナタオーシャの母ではなく、カトナーリャの母であることがわかりました。私としてもその事実は確認しておりましたが、ストーリーの展開上、アレンジさせていただいた経緯にあります。しかしながら、ナタオーシャ様より、「私の母はスットコドッコイじゃない。正しくはズンドコドッコイである」という苦情が寄せられたほか、カトナーリャから「私の母こそが元祖スットコドッコイであり、真実を発表してほしい」という、実は単に目立ちたいだけの要望がありましたので、ここで訂正し、関係各位には別段ご迷惑をおかけしたとは認識しておりませんが、ここに一応お詫びする次第です。なお、そのまま当該記事を読んでも、読者の方の健康状態をまったく損ねることはございませんのでご安心ください(まれに、不愉快に感じる方もいらっしゃる可能性がありますが、それは体質と性格に由来するものであり、記事から目をそらすことによって症状は治まります)”

 東京で1泊し、朝を迎える。
 おお、火事にもならず、無事に朝を迎えられたわい。
 ふつうは当たり前のことが、幸せに感じる。
 このような感謝の気持ちは、ほかに幸せを感じることが乏しい証拠である。
 そんなことを考えながら、部屋で朝食。ローソンのごま鮭おにぎりと五目いなり。それにマルちゃんのワンタン。

 デュリュフレ(Maurice Durufle 1902-86 フランス)の「レクイエム(Requiem)」Op.9。
 1947年に作曲され翌年出版されたが、'61年には小オーケストラ版も書かれた。
 
 私がこの曲を初めて聴いたのは1987年10月の札響定期。
 それまでデュリュフレという作曲家を知らなかった私は、最初にこの演奏会のチラシを見たとき、ジョスカン・デ・プレ(Josquin des Pres 1440/50頃-1521 フランドル/フランス)か誰かの誤植かと思ったのだが、そんなところで誤植はないだろうし(フツーは。でも徳間のように、レコ芸という専門誌に大誤植広告を出稿することだってあるし←しつこい……)、現代オーケストラがルネサンス期の作品をメインに持ってくるはずもないし、ジョスカン・デ・プレにはそもそもレクイエムという作品はない(はず)。

 そこで調べてみたら、あらあら、当たり前のようにデュリュフレという作曲家がいることも、その代表作が「レクイエム」であることも、わかった。
 
 そんなふうに、私のデュリュフレとの出会いは懐疑的に始まったのであった……

 そのデュリュフレの「レクイエム」が、6月25~26日の札響第530回定期演奏会で取り上げられる。指揮は尾高忠明。メゾ・ソプラノは加納悦子、バリトンが三原剛。札響合唱団と札幌放送合唱団による演奏。オルガニストの記載はないが、編成にはオルガンが必要だから(いや、必要というよりも活躍する)、Kitaraのオルガンも美しい音を鳴り響かせるだろう(児童合唱も必要なはずだがその記載もない。児童合唱なしの版があるのかもしれない。少なくとも1961年版では児童合唱は加わらないようだ)。

 デュリュフレはパリ音楽院でオルガンを学び、パリのサン=クロチルド・ノートルダム・サン=エティエンヌ=デュ=モンなどの教会オルガニストを務めた人物。

 「レクイエム」の楽譜の最初には「私の父の思い出に」と書かれているため、自分の父親の死が作曲のきっかけになったと思われる。このときデュリュフレはオルガン・ミサ曲を作曲中だったが、計画を変更し独唱、合唱、オーケストラのための「レクイエム」として完成した。

 9つの楽章から成り、各楽章は、

 1. イントロイタス(入祭唱)
 2. キリエ(主よ、憐れみ給え)
 3. ドミネ・イエズ・キリスト(主イエス・キリストよ)
 4. サンクトゥス(聖なるかな)
 5. ピエ・イエズ(慈悲深きイエスよ)
 6. アニュス・デイ(神の小羊)
 7. ルックス・エテルナ(永遠の光を)
 8. リベラ・メ(われを解き放ち給え)
 9. イン・パタディズム(天国にて)
 
 この作品はフォーレ(Gabriel Faure 1845-1924 フランス)の、非常に有名な「レクイエム」と類似しているといわれる(フォーレの「レクイエム」については、後日取り上げるつもり)。
 全体を通じダイナミックな表現を避けているところも、終曲が「天国にて」であることも、フォーレと同じである。

 初期のキリスト教では、人が死は天国での誕生と考えられていた。死は復活であった。
 だからこそデュリュフレやフォーレは、自作の「レクイエム」の終曲に「天国にて」をおいているのだろうし、2人とも「怒りの日」を書いていない。
 まさに天国的な安らぎ……

 デュリュフレの「レクイエム」は、フォーレのレクイエムが持つ美しさに加え、響きが幻想的。曲の始まりで、オルガンと弦の曖昧な響きの上で“Requiem aeternam ……”と歌われるとこからして、「なんて幻想的なんだろう」と思う。
 また、フォーレでは歌が全体的に抑制気味で静的なのに対し、デュリュフレの方は歌が伸びやかに歌われる箇所も少なくなく、やや動的である。

 なお、単旋律の聖歌であるグレゴリア聖歌から発展し、対位法により書かれたレクイエムの現存する最古の曲を書いたのはオケゲム(Joannes Ockeghem 1425頃-05 ネーデルランド)と言われている。「死者のためのミサ(Missa pro defunctis)」がそれで、1470年頃の作曲と考えられている(レクイエムはカトリック教会の典礼のために書かれた「死者のためのミサ曲(Missa pro defunctis)」のことをいうが、冒頭の歌詞がRequiem aeternam dona eis,Domineで始まるため、最初の言葉である“Requiem(安息を)”が楽曲の名称となっている)。
 また、デュファイ(Guillaume Dufay 1400頃-74 フランドル)が1474年に書いた遺言書には、「12人の才能ある人が、私の葬儀の翌日に私のために『レクイエム』を歌うこと」と書いてあるそうだ。これはポリフォニーで書かれた「レクイエム」を想定していると考えられるが、実際にどのような曲だったのかはわからない。

7e24cda0.jpg  デュリュフレの「レクイエム」で私が持っているCDは、ミッシェル・ピケマルが指揮したもの。ピケマルといえば、プーランクの「グローリア」や「黒い聖母への連祷」のときに紹介したCDでも指揮していた人だ。
 こちらの演奏メンバーはエリック・ルブランのオルガン、ベアトリス・ユリア=モンゾンのメゾ・ソプラノ、ディディエール・アンリのバリトン(なんだか、いきなり初対面の外人を立て続けに紹介されている感じだ)。オーケストラはシテ島管弦楽団。ミシェル・ピケマル・ヴォーカル・アンサンブルの合唱(なんとなく、やれやれ)。1961年版。1994年の録音。
 このCDには、ほかにデュリュフレの声楽曲、オルガン曲が収録されている。CDの詳細情報は ↓ のとおり。

 出張から戻り、昼食は札幌駅地下のAPIAにある“三輪正(みわしょう)”でとった。
 このそば屋に寄るのは久しぶりだ。
 ここのそばは実際のところかなり美味しい。
 けど札幌のそば屋にしては、しかも場所柄と対比しても、やや高い。
 “かしわせいろ”(せいろそばで、かしわがたくさん入った温かいつゆにつけて食べる)の大盛りを注文。ふつう盛りで800円。でもこれじゃあ足りない。大盛りは270円増し。てことは、1,070円。
 美味いけど高い。
 ESTAの四川飯店の担々麺セットでも1,000円はしないのに……
 これだと、「三輪正でちょいとそばでも」ってことにはなかなかならない。
 でも、美味い。
 困った。って困ることはないか……