5e5e5917.jpg  私はバカだった。
 今回だけはそれを素直に認めることにしよう。
 (ただし、ここで即うなずいた人は、私の謙遜した態度を理解できない、私のにせファンであろう)。

 “江戸城”だの“トルコ風呂”だの書いたくせに、そしてそこでモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のヴァイオリン協奏曲第5番イ長調「トルコ風」K.219(1775)のことも書いたくせに、肝心のことに触れることを忘れてしまったのだ。

 んだ!
 そのヴァイオリン協奏曲第5番が5月14日・15日の両日に行なわれる札響第529回定期演奏会で取り上げられることを。
 しかも、ソリストは庄司紗矢香である(指揮は高関健)。
 ソープだのなんだのと書いているうちに、俗に神経が向いてしまった。
 ふぅっ!ふぅっ!

 庄司紗矢香をステージで観たのは2001年のことだった。
 それまでは、この天才少女(という言い方が良いのかどうかはわからないが、私は賞賛する意味で書いている)のことを知らなかったが、テミルカーノフ/サンクトペテルブルグ響の札幌公演で初めて知り、観、聴いたのであった。この演奏会はメニコンがスポンサーとなっていたが、かつて盛んだった冠コンサートもピークを過ぎたころだったと思う。

 演目はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲だったが、うん、なかなか説得力のある演奏だった。
 1983年生まれの彼女は、当時は18歳だったってことになる。
 きっとすごいヴァイオリニストになるんだろうな、と思った。

 それからは彼女の演奏はあまり聴いていない。
 それが5月の札響定期でKitaraのステージに立つ。
 あれから9年。
 演奏会のチラシでわかるように、かわいらしかった新進ヴァイオリニストは、すっかり女性っぽくなった(なんかいやらしい表現になってしまったけど、そんなつもりはないです)。単純に計算したら27歳になるんだもんね。
 大人になったなあ。
 この写真がまた大人びているし。
 私も、宇宙の法則に素直に従っておじさんの円熟味を増しているわけではあるけれど(きっと味は悪いと思う。臭いも)。
 モーツァルトという派手さのないコンチェルトをどう弾くか、楽しみである。

 この日の演奏会の最初のプログラムは柴田南雄(Shibata Minao 1916-1996)の「シンフォニア(Symphonia)」no.25(1960)。実はこれも楽しみ。

 柴田南雄の名前に、私は少しばかり親近感を感じる。
 というのも、たぶん私が最初に耳にしたいわゆる“ゲンダイオンガク”が、氏の「コンソート・オブ・オーケストラ(Consort of Orchestra)」no.40(1973)という作品だったからだ。「コンソート・オブ・オーケストラ」は1973年の尾高賞の受賞作品で、そのせいもあって出来立てほやほやの日本人音楽作品のなかでも別格に、NHK-FMなどで岩城宏之/N響の演奏が放送される機会があり、私も接することができたのだった。

 最初聴いた感想?
 「はひゃっ?」、ってもんであった。
 ちょっと派手めなチューニングですか?って……
 しかし、賞を獲るぐらいなんだからきっとすばらしいはずだと、何度も聴き返すうちに、自分でもよくわからないけど、そこに“音楽”があるような気になったし(音楽であることは実際確かなんだけど)、なんとなく好きになってしまった。

b777df60.jpg  柴田の管弦楽作品として、「コンソート・オブ・オーケストラ」の前に書かれたのが「シンフォニア」。13年ほどの間がある。「シンフォニア」が書かれたのは、作曲する音楽様式の変遷が激しかった柴田にとっての第2期、12音技法からセリー音楽(musique serielle)の時代(1951-61年)であり、この時期の代表作となっている。日本フィルの委嘱作品である。

 この作品を、高関/札響がどのように演奏するか、楽しみである(札響はその昔、岩城宏之が正指揮者~音楽監督だったころ、ずいぶんとゲンダイオンガクをやらされて鍛えられていることでもあるし)。

 CDは渡辺暁雄が東京都響を振ったものが出ている。
 「シンフォニア」、「コンドート・オブ・オーケストラ」の管弦楽作品2曲のほか、「金管六重奏のためのエッセイ」no.29(1965)、「ピアノのためのインプロヴィゼーション第2番」no.31(1968)、「カドリール」no.47(1975)が収められている。
 オーケストラ作品2曲の録音は1977年。

 なお、柴田の著した「グスタフ・マーラー」は、私にとってマーラーを知る上でとても参考になった本だった(岩波新書。現在入手不可)。

 ……ウィーン少年合唱団で性的虐待?まぁ、天使たちの戯れ?性的悪戯?モホモホ?
 やれやれ……