造語である。
 hellは“地獄”、wasshoiは「祭りだワッショイ」の“ワッショイ”であり、直訳すると“地獄の神輿(みこし)担ぎ”、もう少し適当化すると“地獄祭り”ということになる。

 しかし、これは登別地獄谷での祭りなどを指すものではない。
 もっともっと、ドロドロとしたものなのだ。
 それについて触れる前に、別な話を書くことをお許し願いたい。別段、私がお願いしなければならない、って状況には置かれてないけど。

 祭りと言えば、日本人の多くの人々は“謝肉祭”をすぐに思い浮かべるはずだ、ってことは間違いだらけのスットコドッコイだ。
 それはどうでもよいとして、“謝肉祭”という言葉がタイトルになったクラシック音楽作品は多い。
114419df.jpg  今日は、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)の序曲「謝肉祭(Karneval)」Op.92,B.169(1891)を取り上げる。なぜなら、この曲は4月16・17日の両日にKitaraで行なわれる札幌交響楽団第528回定期演奏会の1曲目として演奏されるからである。そしてまた、私はこの曲が大好きなのである。

 序曲「謝肉祭」は以前にも取り上げているので、ここでは楽曲そのものについては書かないが、ドヴォルザークの特徴である、皮肉も脂身もない躍動感・素朴さ・憂いが凝縮されている作品。札響首席客演指揮者のラドミル・エリシュカがどのような演奏を繰り広げるのか楽しみだ。

 ちなみに、第528回定期の2曲目のプログラムは、村上春樹の「1Q84」で天吾が聴き、青豆も聴いていて有名になったヤナーチェクの「シンフォニエッタ」。私のブログでも“これ”をはじめとして何回か記事を書いている作品。これまた期待が高まる。

499e8aa5.jpg  なお、メイン・プログラムはドヴォルザーク交響曲第5番ヘ長調Op.76,B.54(1875)。
 これまた民謡調の親しみやすいメロディーにあふれた愛すべき作品なのだが、私個人にとってはいまひとつ魅力に欠けると思っている作品。香辛料が足りないのぅ~。
 そういえば、かつて交響曲第9番「新世界より」が第5番とナンバリングされていた時代があった(らしい)。

 先日タワーレコードの札幌pivot店に寄ったら、“Capriccioさよならセール”とかのコーナーが設けられていて、同レーベルのCDの在庫処分をしていた。どうやら、Capriccioレーベルはなくなるらしい。
 在庫処分はいいけど、ここの店、行くたびに棚がスカスカになっていっているような気がする。品揃えが豊富なのが売りのはずなのに……どっかに行っちゃうの?Capriccioどころか、店自体さよなら、なんて勘弁してほしい。
 そのコーナーにマリナーらが振ったドヴォルザークの管弦楽曲のCDがあったので買った。SACDなのに790円である。

 マリナーという指揮者は良い意味で、繁盛している大衆食堂のおやじさんみたいな人だ。
 ラーメンも、そばも、かんぴょう巻きも、とんかつも、ポーク・チャップも、ナポリタン・スパゲティも、オムライスも、カレーライスも、親子丼も、天婦羅定食もメニューにある。ないのはピザぐらいだ。なんでも作れて、そのどれもがそこそこ美味しい。マリナーはそんな指揮者だ。レパートリーが広く、いつでも安定した演奏をしてくれる。

 大衆食堂のおやじさんは、どれがいちばん得意か?
 たとえば豚の生姜焼きかもしれない。豚の生姜焼きの注文が入ると、よくぞ言ってくれましたとばかり、でも表情を変えずにフライパンに手をかけるのだ。
 じゃあ、マリナーの得意な作曲家やジャンルって何なのだろう?
 考えてみたら、よくわからないや。バロックから古典なんだろうけど……

 なんで大衆食堂の例なんて持ち出したかというと、偶然というのは恐ろしいもので、スナック“ルネサンス”(過去に何度もこのブログに登場しているエリザベートが出入りしている店だ)のママと話していて、私が浦河に住んでいたことがあるという話題になったとき、「おくむら食堂って知ってる?」と言われたのだ。
 知ってるも何も、子供のころ、しょっちゅう連れて行ってもらったとは言えないまでも、“おくむら食堂”で食事をしたものだ。
 体格のいいおじさんがなんでも作っていた。メニューには生寿司もあればおしんこ巻もある。豚丼もあればかつ丼もある。カレーライスもあればラーメンもある。さすがにスパゲティはなかったが……。ピザもなかったが、どっちにしろその当時の私はピザなる食べ物を知らなかった。

 小学生だった私はこの店で食事をしてあと、2度ほど腹をこわしたことがある。
 店が悪いのではない。異常に腹が減っていてラーメンを2杯食べたときと、豚丼を2杯食べたときだ。
 やれやれ……

 家への出前も何度か頼んだ。
 そこのカレーライスは妙に黄色く、とても辛かったが美味しかった。でも、いま同じものを食べたらきっと不味いと感じると思う。そういう昔風のカレーだったのだ。

 “ルネサンス”のママが言うには(ママがなぜおくむら食堂のことを知っているのか、肝心なところを忘れてしまった)、息子さんが継いでいまでも営業しているという。なかなか浦河に行く機会はないが、行ったときにはぜひとも立ち寄りたいと思っている。でも、かしこまった店に変貌していたらどうしよう……。当時のまんま、よりはその方がいいけど。

9c499055.jpg  話をマリナーのCDに戻すと、このCDにはマリナー/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(簡単に言えばアカデミー室内管弦楽団。ただし、このオーケストラは設立当初は室内管弦楽団だったが、次第に編成を大きくし通常のオーケストラ規模にまでなった)の演奏で序曲「謝肉祭」と序曲「オセロ」、ハンス=エーベルハルト・ツィンマーの指揮ベルリン放送響の演奏で交響詩「水の魔物」と歌劇「ディミートリー」序曲が収録されている。

 序曲「謝肉祭」の録音は1990年。
 「謝肉祭」に関してだけいうと、表情が豊かで好感が持てる演奏ながらどこか物足りない感じがする。最後のシンバルのジャーンもよく聴こえてこないし。
 やはり、いろんなメニューすべてで感動を与え続けるのは難しいのだろうか。大衆食堂で食べる天婦羅定食が、当然のごとく天一なんかと違うように……(世の中、ひどい天婦羅専門店があるのも、これまた事実だが)。

 さて、謝肉祭ではなくて、恐ろしいhell-wasshoiについて。
 この言葉の響きは、実はバー“ビバ・トレード”に関係する。
 いや、そこだけの限定的な事象である。
 祭りだから“ビバ・サンバ・カーニバルだぁ~”という楽しいものではない(“ビバ・サンバ・カーニバル”というのは札幌の奥座敷・定山渓温泉の某ホテルでしばしば開催されていた催し物である)。
 従業員のナタオーシャとカトナーリャも恐れている(と同時に呆れている)。
 店長のカチャカポコナは平気だ。
 それもそのはず。
 “ヘルワッショイ”というのは、カチャカポコナがくしゃみをするときの豪快な音なのである。
 実際には「ヘーっ、へーっ、ヘェ~ェルヴァッショイィィ~ッ!」という、豪快でこの世のものとは思えない、まるでレクイエムのトゥバ・ミルムのラッパのような響きがするらしい。
 なんでも、2軒隣りのスナックまで聞こえるという。幸い、現在そこは空き家になっているが……
 ということで、極めてへんてこなくしゃみの話であった。ときには鼻水ドロドロ……

 ここまで引っ張って、くだらなく色気のない結末で申し訳ない。ごめんなさいっと……