私は食べ物の好き嫌いが多い(との指摘が少なからずある)。
絶対に口にできないのは生ガキ、ホヤ、めふんといった生物系(せいぶつ系ではなく、なまもの系)食物。魚の刺身も積極的には口にしない。鶏わさのような非加熱鶏もダメである(そういえば、宮部みゆきの「火車」(新潮文庫)に出てくるキーパーソンの女性が、行方知らずの“空白期間”を経たあと、なまものをまったく口にできなくなったというのは、非常に意味深である)。
からい食べ物も苦手だ。
若いころは決してからいものが不得意じゃなかった。むしろ得意な方だった。
それなのに、最近は激辛のものはまったく口にできない。
ふつうなら、加齢とともに舌の味蕾細胞の機能も鈍くなるはずなのに、私の場合は逆に敏感になっているようだ。しかも、この現象は世の中の流行に対しても逆行している。
激辛担々麺、激辛麻婆豆腐、キムチ鍋、キムチラーメン、悶絶鍋(って何だ?)……。泣きます。私。
でもそのほうが少なくとも消化器系上部に対しては良いことのように思える。
あまりに刺激が強いものは食道にも悪いだろうから。
父親が食道がんになったということで、このあたりは一応は気をつけなければならない。酒とタバコはやめられないけれど……(とどのつまり、効果なしだ)
大好物というわけではないが、ラーメンやそばは好きである。
ラーメンは昔はあまり食べなかったが(インスタント・ラーメンはよく食べていた)、最近は昼食でラーメンを食べることも少なくない。
ラーメンが嫌いな人ってあまりいないと思うが、世の中は十人十色、村上春樹はラーメンが苦手だという。
「夜のくもざる―村上朝日堂短篇小説」(新潮文庫)のあとがきで、村上春樹は次のように書いている。
《「朝からラーメンの歌」は「天使のハンマー」にもし日本語の歌詞をつけるとしたら、どんなものがいいかなとあれこれ考えていて(どうしてそんな暇なことを考え始めたのか今となってはまったく思い出せない)、If had a hammer の「ハンマ」の韻を踏むのはやっぱり「メンマ」しかないよなという、けっこう消耗な結論に達したことによって生まれたものである。僕は実をいうとラーメンという食べ物がきらいで、ラーメン屋の前を歩くのさえ辛いのだが、どういうわけかずるずると引きずりこまれるように宿命的にこのラーメンの歌を作ってしまった。もし気に入られたらどうぞご自由にメロディーをつけて歌ってください》。
さすが村上春樹。“けっこう消耗な結論”という日本語は私には逆立ちしても考えつかない。逆立ち自体、できないし……
私なら“けっこうしょうもない結論”と書くに違いない。
その〔「朝からラーメンの歌」(『天使のハンマー』のメロディーで)〕というのは、こういうものだ(これも「夜のくもざる」に“おまけ”として収録されている)。
♪
おいしいメンマ
焼き豚モーニング
朝からラーメン、嬉しいな
湯気がほかほか
お葱は緑
それだけ、あれば、マ・ブラザズ・アン・マ・シスタズ
もう、満足
ふうふう食べる
しなちくモーニング
朝からラーメン、嬉しいな
君と二人で
頬を赤らめ
それだけ、あれば、マ・ブラザズ・アン・マ・シスタズ
もう、満足
食べなきゃ損
ラーメン・イン・ザ・モーニング
今日もいちにち、明るいぞ
海苔も食べたし
スープも飲んだし
これだけ、食べれば、マ・ブラザズ・アン・マ・シスタズ
もう、満足
♪
朝からラーメン……
いまや朝カレーが世間に認知されつつあるくらいだから(認知されないで済んでほしい気がするけど)、別におかしくはない。
そのうち朝焼肉とか朝餃子、朝カツ丼、朝麻婆丼なんかも流行るかもしれない(余談だが、夏、冷や飯に永谷園のお茶漬け海苔をかけて、お湯じゃなくて水を注いで食べると最高!みたいなCMがあったが、どうもあの食べ方には納得がいかない)。
私がときどき昼に行く、とあるビルの地下にあるラーメン屋“K”(う~ん、こう書くと実にカフカ的だ)。
ここの醤油ラーメンは脂っぽくなくて私の好み。
ただ店の様子が落ち着かない。
私はラーメン屋に、フランス料理店のような落ち着きを求めているのではない。
しかし、それにしても店員が必要以上に騒々しいのだ。
店の前で女性店員が叫んでいる。
「ラーメンはいかがですか?お得なセットもありまぁ~す」
この行為そのものに、文句はない。
ただし、店内が混みあっているときは要注意である。
「はい、4人様ですね。すぐに入れますよ。(店の中に向かって)4人様入りまぁ~す」
このように聞くと、4人がけのテーブルが空いていると思いがちだが、その確率は高くない。4人がバラバラに、テトリスの空白箇所を埋めるように、複数のテーブルとカウンターに、発射された散弾銃の弾のようにはめ込まれることがあるのだ。
一度、観光客風のカップルが「すぐは入れますよ!」というおばちゃん店員の呼び込みに引っかかり(確かにすぐ入れたから、おばちゃん(私より若い)の言葉はウソではない……。この2人、別な店を探していて迷い込んでしまったたようだった)、カウンター席に2人飛ばしで座らされたのを目撃した。女性のほうはいきなりラーメンをすすっている見知らぬおじさんの間に埋め込まれたのだった。
あれは気の毒だった。文句を言わない内向的なカップルだったから黙っていたけど(だからこそ余計気の毒だが)、楽しい2人旅に汚点を残したに違いない。
狭い店内でも、店員(2人で呼び込みとラーメン運搬係を“臨機応変”に切り替えながら担当している)は落ち着かない。虫かごから逃げ出そうとしているイトトンボのようだ。空港で、もう出発時間が迫っている羽田行き618便担当の地上係員よりもせわしない。
例えば4人で行って、運よく4人がけテーブルが空いていて揃って席につく。
おばちゃんは、すぐにコメントをメモれるようにと、紙と鉛筆を持って鳩山首相にぶらさがり取材している記者のように積極的傾聴態勢で席の横に立つ(その間も足踏みしてるかのように落ち着かない)。
私 「醤油!」
彼女(カウンターの向こう側の寡黙なおじさんに向かって)「醤油1つ入りまぁ~す!」
私の同僚A 「ええと……醤油」
彼女(同) 「醤油1つ入りまぁ~す!」
私の同僚B 「じゃあ、ボクも醤油っ」
彼女(同) 「醤油1つでぇ~す!」
私の同僚C 「オレはたまにシオにすっかな」
彼女(同) 「あと、塩1つ入りましたぁ~」
私の同僚C 「いや、やっぱり醤油にするわ」
彼女(同) 「塩、醤油1に変わりまぁ~す」
あのさっ、ほんのちょっと待てば「醤油4つ入りまぁ~す」で1回で済むだろうが!
何に焦ってんだか……
1回1回告げられる寡黙なおやじも、よく間違えないものだ。
こうやって都度伝達したところで、ラーメンが出来上がるのは4つ同時だし……
もうおわかりのように、こういうのも必要以上に店内を騒々しくしている大きな要因である。
これって店主の指示なのだろうか?
たぶんそうなんだろうな。そうじゃなきゃ絶対注意するだろうから。
そこで何となく、ルジツカ(Peter Ruzicka 1948- ドイツ)の「続けて話される刺激をまず受けるべき…(…den Impuls zum Weitersprechen erst empfinge)」(1981)。
ルジツカについては、'07年10月19日の記事で「ヨーゼフ・ハイドンの音響領域による変容」(1990)を紹介している。
「続けて~」(「さらに語りたい衝動をはじめて感ずるかのごとく」という訳の邦題もネット上でみかけたことがある)は、ヴィオラとオーケストラのための作品。マーラーの交響曲第9番を素材として“加工”した協奏曲である。
マーラーの音楽を引用した作品としては、絵画のキャンバスのごとく第2交響曲の第3楽章が流れ続けるベリオの「シンフォニア」の第3楽章が有名だが、5つの楽章から成るこの「続けて~」ではマーラーの交響曲第9番の第1楽章が用いられている。
CDは「ハイドンの音響領域~」でも紹介した、シャイー指揮ベルリン放送響によるもの(1993年録音。ヴェルゴ)。ヴィオラ独奏はクリスト。
ただし、現在は廃盤。
ついでに載せたレヴァイン指揮によるマーラーの交響曲第9番も、現在は廃盤のよう。
さて、Kというラーメン屋。
この点をを改善しなければ、本当のファンはできないと思う。
ビル地下で、賑わうのはサラリーマンが集中する昼どきだけ。
味はいいのにもったいない。
その証拠に、何かのちょっとしたタイミングで劇的に空いていることがある。
活気と騒々しさの区別をつけなきゃ。
こっちだって、食べ終わってからもだらだらと長居する気は毛頭ない。
だからせかすような精神的な圧迫をかけないでほしい。
いまやラーメンは決して安い食べ物ではないんだし、早く座れ、早く注文しろ、早く食え、早く金払って帰れ、みたいなのは勘弁して欲しい。
営業方針を見直してはいかがかと思ってしまう。
さて、妻の実家に行って、私には未知の人たちの法事に出席した(過去の人たちに未知というのも変な響きだが)。
こういうときの唯一の、文字通り唯一の慰めは、食事は何が与えられるんだろうな、ってことだ。
田舎町なので過度の期待はできないが、それでも給餌の時間が楽しみなものだ。
ブゥ~ブゥ~!
で、衝撃のお膳は……???
