先日、黛敏郎(Mayuzumi Toshiro 1929-1997 神奈川)の「涅槃交響曲」(1958)を取り上げたが、今日は1960年に作曲された「曼荼羅交響曲(まんだらこうきょうきょく)」。
“まんだら”と書いて、私はまた余計なことを思い起こす。
この文庫の表紙を見ると、いっそう思い出す。
まんだら、まんだら、まだら……
“まだら”というと、日野日出志の恐怖マンガ「まだらの卵」を思い出す。
といっても、内容は覚えていない。タイトルが思い浮かぶ。
まだらはまだらでも、真鱈の卵だったら、なんも怖くない。
一般的には曼荼羅は、ほとけや菩薩の多くの像を描いた図像である、形像曼荼羅のことをいう。
黛は「対象が思想という抽象的なものだけに音楽にあっては一切の具体的素材、例えば経文などを用いずに、もっぱら純粋な音響の集合体の構築のみで所期の意図を達成しようと計画した」と語っており、ここで紹介するCDのライナーノーツ(結城亨氏による)では、《恐らく作曲家黛はその色彩豊かな絵図と、多くの楽器が集まってひとつの音響世界を形成する交響曲が次第に重なり合い響き合い、自然に作曲の構想が浮かび上がったのだろう》、と書かれている。
曲は2つの楽章から成り、第1楽章は「金剛界曼荼羅」、第2楽章は「胎臓界曼荼羅」。
金剛というのは、いっさいの煩悩をくだく、かたい知徳。
金剛界というのは、大日如来を知徳の方面から説いた部門のことである。
何だかよくわからないが、要するに大日如来の知恵の世界のことで、金剛界曼荼羅というのはその世界を描いたものである。
じゃあ、大日如来(だいにちにょらい)ってなぁに?というと、真言密教の本尊のこと。真言密教というのは空海によってわが国に伝えられた仏教の一派。ならば、本尊っていうのはなんぞやというと、中心となる仏像のこと。
じゃ、そういうことで。
音楽もカオスの世界なことだし。
胎臓界というのは、密教における金剛界に対するもう一つの世界で、大日如来の慈悲の面を説いた部門。金剛界と胎臓界とで密教の2大世界を形成している。
音楽もなんとも神秘的。
「曼荼羅交響曲」の初演は1960年の“三人の会”の発表会で行なわれた。
“三人の会”というのは、芥川也寸志、黛敏郎、團伊玖磨によって1953年に結成されたグループである。
この3人、その後はTVや執筆活動でも活躍した。 黛は、前に書いたように、「題名のない音楽会」の司会を1964年から'97年まで務めた。
また、同名の著書もあった(角川文庫)。
黛敏郎の好物がソース焼きそばであることを、本で暴露したのは、岩城宏之。
「棒ふりの休日」(文春文庫。岩城も黛も、そして次に出てくるナオズミも故人なので、一応記しておくと、この文庫本は1982年12月25日第1刷発行)に、こう書いている。
《せんだって、山本直純と久しぶりに一緒に飲んだ。アルコールが入れば、だれかれのうわさや、悪口になる。音楽仲間のだ。
ナオズミがドナルように言った。 「オマエ、黛さんの本当の大好物が、何だか知ってるか?」
「黛さんの?」
「ギャハハハ……」
いきなり大口あけられて笑いだされても、こちらはさっぱり面白くない。
「あんなにスマした顔で作曲したりしてヨ、それに『題名のない音楽会』でペラペラしゃべりまくってヨ、しかも食通の権化みたいな顔しててヨ、この間テレビで一緒にしゃべったときに、白状しヤガンノ。一番好きなのは、ソース焼きそばなんだってヨ。ギャハハハ……、ワッハッハッハッ」
生まれつきのバカ笑いか、スター・ナオズミの職業的大笑いなのか、こんなに大声でやられると、まわり中に、なんともきまり悪い。
でも、このナオズミのバカ笑いには、かの洗練の極致、文化人の中の文化人、趣味と教養の気高さについては、日の本一で、しかも茶道までも極めるなど、かの三島由紀夫先生ですら足もとにも及ばぬ境地におわします、黛敏郎氏のソース焼きそばの告白に、イタク感動した響きがあふれていた。
軽蔑笑いのようには、全然感じなかった。強いて言えば安堵笑いだろう。安堵でも「ギャハハハ……、ワッハッハッハッ」笑いは理解しがたいけれど、やはりこれは、当然、尊敬のあまりのキチガイ笑いと、解釈したほうがいいだろう》
さて、「曼荼羅交響曲」だが、私が持っているCDは、岩城宏之指揮NHK響の演奏によるもの。1965年録音。DENON。
カップリングは1962年に作曲されたバレエ「舞楽(BUGAKU)」。
この作品も2つの楽章(部)から成っており、第1部はまさに雅楽の世界。第2部はまさに舞い。
この曲、むかぁ~し、岩城宏之指揮の札響定期で聴いたことがあるんだけど、そのときは何が何だかさっぱりわからなかった。今は少しわかるような気がする。私、成長したのか?その逆か?
私にとって、大好物ってなんだろう?
いつだって機会があれば、あるいは極端に食欲が無くなったときなんかでも、これなら食べられそうと思う食べ物ってなんだろう。
私はスパゲティ・ミートソースが好きだ。
でも、大好物とは違う。
親子丼も好きだ。
しかし、違う。
う~ん。わからないなぁ。
札幌の大通西1丁目に有楽ビルという建物がある。
札幌地下街オーロラ・タウンのいちばん端のほうでつながっていて、このビルの1階と2階にはかつて、紀伊国屋書店が入っていた(墨でヌード写真のヘアを塗り潰したアメリカ版のPLAYBOYを売っている、札幌では数少ない書店の1つだった。私は買ったことはないが、私の友人はこれを買い、当時の教えに従ってバターで墨を取り去ろうと努力したが、そこにはヘアは現われず、本の下地、つまり白い紙が現われただけだった。こすりすぎたようだ)。
地下には飲食店がいくつも入っていて、この近くの“バスセンター駅”を冬場は利用していた高校生の私は、土曜日の昼によくここに立ち寄ったものだ(かつては当たり前のように、土曜日の午前中は授業があったのだ)。
よく利用したのは“太郎”というラーメン屋。
最近はあまりソース焼きそばを食べなくなったが、ここのソース焼きそばをよく食べた。
ラーメンもそこそこだったと思うが、“当店自慢!太郎のラ-メンのスープは、最後まで残さずお飲みください”という店内の張り紙に、非常に違和感を覚え、ラーメンはほとんど頼まなかった。
こんなメッセージ、高血圧の人間は来るな、と言ってるようなもんだ。
その隣に“ジロー”というスパゲティ屋があった。
おそらくシャレではないだろうが、太郎の横にジローがあったのだ。
そこのミートソースは、専門店という定義を根本から再考させるぐらい、絶望的にまずかった。
まあ、いいや。
どっちの店ももうないことだし。
それにしても、自分の大好物すら特定できない私……
そのうち、何食っても、味の違いがわからなくなったりして。
違いがわからない男……
新館入口(2014.6.22~)
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