d0b8b43e.jpg  出張に持っていった宮部みゆきの「名もなき毒」(カッパノベルス)。
 思いのほか早く読み終えてしまい、帰りの千歳便に乗る前に、羽田空港の書店で1冊仕入れなくてはならなくなった(ならなくなった、て言い方はヘンではあるが)。

 「名もなき毒」だが、この16pに「知らいでか」という言葉が出てくる。
 この言葉、知らなかった。
 なんでも、「知らないでいられるか」という意味らしい。「知ら(な)いで(いられる)か」と省略されて、「知らいでか」なんだそうだ。
 それにしても、原田いずみ、許せん!

 宮部みゆきの文庫本で、まだ読んでいなく、かつ、まだ買っていない本のなかで、比較的長くない(厚くない)本を探そうとしたが、空港内の書店なので、そもそもの品数が少ない。
 結局、長編の「蒲生邸事件」(文春文庫)を買った。

 自宅には買ってはあるがまだ読んでいないものが何冊かある。
 私としては、その読む順を決めていたのだが(その意思決定にはなんの根拠もないんだけど)、このように飛び入りで長編を読むことになったのは、なんとなく悪いことをしたような気がする。自分に。

ff5b73fa.jpg  それから、借りている東野圭吾がまたまた後回しになることにも、罪の意識を感じる。東野氏に。

 それでも「蒲生邸事件」、飛行機のなかと、そして新千歳空港から札幌までのJRの中で、けっこう読み進んだ。
 私、こんなに読書スピードが速かったろうか?
 歳とともに指先の繊細さが薄れ、知らないうちに2ページずつめくっていないか不安になる。
 いや、実際、ちゃんと読んでいる。
 ショートカットはしていない。
 それくらい、宮部作品は読み手をせかせる。
 問題は、それが記憶にちゃんと残っているか、筋を理解できているか、であるが、いまのところ大丈夫だ、と思う。

 ということで、東野さんにはもうしばらく辛抱してもらおう。

 黛敏郎の「涅槃交響曲」、「曼荼羅交響曲」のことを書いたとき、芥川也寸志(Akutagawa Yasushi 1925-1989 東京)の名前が出てきたが、帰りの機内で彼の交響曲第1番(1954/改訂'55)を聴いた。

 あらためて書くと、芥川也寸志は作家・芥川龍之介の三男である。
 作曲家を志した彼は、東京音楽学校で戦中期には橋本國彦などに、戦後は伊福部昭に師事。また、早坂文雄の映画音楽の仕事でアシスタントを務めた。
 作曲家としては、1948年の「交響三章」と'50年の「交響管絃楽のための音楽」で名声を確立した。

 芥川は師・橋本に通じる都会的な音楽と、もう1人の師・伊福部昭、そして影響を受けたストラヴィンスキーの強靭な音楽との2つの志向を、プロコフィエフやショスタコーヴィチ、カバレフスキーのソヴィエト音楽を模範にして共存させた。
 しかし、どちらかと言えば、伊福部の音楽よりも、センチメンタルな音楽の側にたった作風のように思える。

59bbd726.jpg  交響曲第1番は1954年1月の「三人の会」の第1回公演で発表されたが、改作されて、翌55年12月に改作されたものの初演が行なわれた。
 芥川が影響されたソヴィエトの作曲家としていつも名前が上がるのは、プロコフィエフとショスタコーヴィチだが、この交響曲を聴くと、ハチャトゥリアンの交響曲に雰囲気が似てるなぁと私は思ってしまう。特にハチャトゥリアンの第2交響曲に。
 それにしても、芥川也寸志の音楽には、“センチメンタル”という言葉がぴったりする。
 えっ、長さの単位?
 それは、センチメートルでんがなッ! ← またいらんこと……

 CDは、「交響管絃楽の音楽」のときにも紹介した、芥川也寸志指揮新交響楽団の演奏がお薦め。
 1986年録音(ライヴ)。フォンテック。「芥川也寸志の管弦楽選集1」なのだが、現在廃盤。

 昨夜、急に思い立ち、小学校時代を過ごした浦河町を訪ねてみることにした。
 では、1泊2日で、今日の午後、出発して、行ってまいります!