私の大学の卒業作品、といっても農学だから、卒業論文ってことになるのだが、その内容は、植物の集団(たとえば芝生)において、競争で生き残る株は、発芽時点ですでに他の個体よりも早く発芽する遺伝子をもっていて、最初から競争に強い、というものであった。
なかなかたいへんであった。
というのも、植物に「ねぇ、本当にそうなの?」と優しく語りかけても、うんともすんとも言ってくれないからだ。
ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)がレニングラード音楽院を卒業する時に書いた作品は、交響曲第1番であった。初演は1926年である。
この初演でショスタコーヴィチは一躍作曲家としての名声を博した。
一方、ハチャトゥリアン(Aram Il'ich Khachaturian 1903-78 ソヴィエト)は、モスクワ音楽院の卒業を控えたとき、さらに2年間、大学院生としてミヤコフスキー(Yakovlevich Myaskovsky 1881-1950 ロシア)のクラスに残ることとなった。
とはいえ、専門作曲家と称される資格の証書を受け取るために、卒業作品を書かねばならなかった。そこでハチャトゥリアンが書くことを決めたのは、やはり交響曲であった。交響曲第1番ホ短調(1932-33)である。
のちに彼は、「私の創造的探究と青年時代の闘志は、第1交響曲として完成された」と、回想している。
この曲はアルメニア音楽にあふれたもので、卒業検定委員会のメンバーは全員一致で“優”をつけ、1935年にはモスクワ・フィルハーモニー響で初演された。さらに、翌年にはレニングラードでも演奏された。レニングラードの演奏会にはショスタコーヴィチも聴きに来ていたという。
しかし、そこそこ話題になったものの、ショスタコーヴィチの第1番のようなセンセーショナルなデビューにはならなかった。
この曲は3楽章から成るが、実に民族音楽的であり、その後生み出されていくハチャトゥリアンの音楽のすべてを予告しているかのようだ。たくさんの芽がここに顔を出している。
たとえば、「おやっ?ガイーヌ?」と思うような箇所がいくつもある。
ただし、1943年に書かれた交響曲第2番に比べると、残念ながら魅力は劣る。
第2番は本当にすばらしい交響曲だ。
そういえば、第1番で大成功したショスタコーヴィチは、交響曲第2番、第3番で“変な路線”に行ってしまった。
逆に、ハチャトゥリアンは第1より第2のほうがすばらしい。順調な生育だ。
私はあまりハチャトゥリアンの交響曲第1番を聴くことがない。
そんなに避けるほど、魅力がない曲では決してない。
それでもあまり聴かないのは、持っているCDが1枚しかなく、指揮がガウクだからだ。
録音は1959年。
しかし、そんなに録音は悪くない。
じゃあ、なぜ?
そうよ、ガウクよ。ガウクのせいなのよ。
アレクサンドル・ガウク(1893-1963)は、1930年から'34年までレニングラード・フィルの首席指揮者を務めた。また、ショスタコーヴィチの交響曲第3番の初演も務めている。
すばらしい。
良さそうな指揮者じゃないか!
ところがである。
私にはCDの演奏ではなく、余計な情報が刷り込まれてしまったのだ。
S.ヴォルコフ著の「ショスタコーヴィチの証言」(中央公論社。現在刊行されているのは改版で、中公文庫)のなかで、ショスタコーヴィチはこの指揮者、ガウクのことに触れている。
《そもそも、ガウクは稀に見るほど愚かな人間であった。……わたしの第4番、第5番、第6番の交響曲の草稿がなくなったのはガウクのせいである。だが、わたしのおずおずした苦情に答えて、ガウクはこんなふうに言った。「おやおや、なにが草稿です?わたしは新しい靴を入れたスーツケースをなくしたのですよ。それなのに、なんで草稿のことをくよくよしているのです?》
《たとえば、プロコフィエフが「あのバカな指揮者アレクサンドル・ガウクは」と(書簡に)書いていたとする。そのときには、「あの……ガウクは」というふうに(出版する際には)印刷すればよいのである》
もうボロクソ!
これが偽書でショスタコーヴィチの声ではないかもしれないとしても、私がガウクを信用しなくなるには十分だ。
かといって、別なCDを買うほどには至っていない状態。
それよりも、じゃあガウクのCDなんて買うなよなぁ、なんだけど。買ったときにはもっとひどい演奏を期待していたのかもしれない。笑えるくらいに。
いけない私。
そのCD、Russian DISCというレーベルから出ていたが(音源はメロディアだろう)、現在廃盤。つーことは、皆さんはこのオイタな指揮者の演奏を間違って買う危険性はないってこと(ただし繰り返すが、演奏は変じゃなく、フツー)。
でも、CDジャケットの、フォークダンスを踊っているような絵、なかなか面白いと思いません?
そして、これにはハチャトゥリアン自身が指揮した「仮面舞踏会」も収められていたんだけど……(オケはモスクワ放送響)
さてさて、今日は浦河で朝を迎えたわけだけど、この“童心回顧旅行”のお話は、また今度!
新館入口(2014.6.22~)
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