4dedb0d3.jpg  6月25日(金)19:00~。札幌コンサートホールKitara

 プログラムは掲載チラシ(修正版)のとおり。

 デュリュフレのレクイエムの演奏が、私の心の底まで浸み渡った。
 この作品が持つ透明なる美しさ。
 その響きだけとってみても、私を40分間とらえ続けた。
 ということは、それだけ優れた演奏だったということ。

 合唱もよく仕上げられていた。
 よくありがちな、でもしばしば致命的となる、フライング歌唱の団員はいなく、みごとに融合した集合体として理想的な“合唱”を生みだした。

 また、このような作品はいわゆる札響サウンドによくマッチする。
 多少不安定な部分もあったが、この祈りの音楽を持続した緊張をもって終曲の「天国へ」と進んだ。
f34484fe.jpg  独唱陣について、私はどう判断すべきかわからない。
 問題は感じなかったが、すばらしいというべき歌唱だったのかどうかは何とも言えない。

 サン=サーンスのソリストとして、急きょイッサーリスの代わりに登場したタチアナ・ヴァシリエヴァは、前評判どおり完璧なるテクニックの持ち主と感じた。
 しかし、やはりこの2曲のチェロ協奏曲自体が地味。
 2曲ともなかなか聴けないレヴェルの好演だったと思うが、聴衆を引き込むには曲そのものが魅力に乏しい(ただ、サン=サーンスの曲には、聴きこむうちにはまってしまう不思議な力をもっているものもある。この1年の間では、ホルンとピアノ(またはオーケストラ)のための「演奏会用小品」Op.94に、私はすっかりはまってしまった)。
 また、チェロ協奏曲の第1番に比べ第2番の演奏頻度は著しく低いというが、昨夜のコンサートでは第2番の方が私は面白く聴くことができた。

 最初の曲はオネゲルの「夏の牧歌」であったが、初夏の北海道を思わせるさわやかな演奏。ホルンが好演。

c164e877.jpg  レクイエムのカーテンコールの途中で尾高忠明がマイクを手に取り、7月末日で定年退団する(定期演奏会は今回が最後)トロンボーン奏者の余田さんを紹介、氏を指揮台のところまで招く。しかも、余田さんに挨拶までさせた。

 ちょっと待てよ。

 確かに余田さんのこれまでの活躍に感謝し、退団を惜しみたい。
 会場をうめた、多くの聴衆の方も同じ気持ちだろう。

 けど、この最中にこのようなセレモニーはそぐわないのではないか?

 私たちはいま鳴り終わったデュリュフレの演奏の余韻にひたりながら、その継続的な流れとして拍手をしているのだ。
 それを止めて、まったく違う儀式が突然行なうことは間違っていると、私は思う。

 昔は、さりげなくステージ上の、退団する人の席のところで花束が渡された。もちろん余計なアナウンスなどなく。
 聴衆は、プログラムのなかに書かれた退団のことを知っているから、そのときは演奏への拍手に加えていちだんと大きな拍手をおくったものだ。

 今回のようなやりかたがファン・サービスだと考えているのなら、それは勘違いだろう。
 オーケストラと聴衆の一体化をより推進し、ファン層の拡大を図りたい気持ちはわかる。ただ、それとこれとは次元が違う。
 その妙な儀式が終り、余田さんが自分の席に戻り、再び独唱者たちがステージ上に戻って来た時、その違和感は決定的なものになった。

[E:note]

6bdcb9ce.jpg  昨日は9月、10月の札響定期演奏会のチケット発売日でもあった。
 9月はいよいよマーラーの交響曲第3番。
 金土の両日、A日程とB日程のチケットを無事購入。一安心。

 また、11月にKitaraに来るトン・コープマンのチケットも購入。
 オーケストラ以外のコンサートで自分からチケットを購入しようと思ったのは、長らく生きていてこれが初めて。
 コープマンって、私は意外と多くのCDを持っていて、実は好きな音楽家。
 今回はオール・バッハ・プログラムのオルガン・リサイタル。
 地味に楽しみにしている。