b559fa25.jpg  マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第5番嬰ハ短調(1901-02)は、彼の交響曲の中でも“聴きやすく”、演奏会のプログラムにもしばしば取り上げられる人気曲である。
 あくまで個人的感覚だが、第5番は第1番や第4番よりも演奏頻度が高いのではないかと思う。
 また、私自身としても生で耳にしたマーラーの交響曲の回数としては、この第5番がいちばん多い。
 曲自体が聴き手をずんずんと盛り上げていくので、コンサートでは間違いなくといっていいほど感激もする。

 ただし、去年(2009年)のPMFの演奏もそうだったが、感動の余韻が引いてしまうのが早いことも多い。
 そのM.T.トーマス指揮のPMFオーケストラのコンサートも、トランペットとホルンのトップを務めた女性奏者の見事な演奏もあって、曲が終わったときは熱狂的な拍手とブラボーの叫び声が会場を支配し、私も惜しみない拍手を贈った。
 だが、私にとってその感動は何日も続くものではなかった(あの演奏がCD化されたら絶対に買うけど)。

 これは、作品自体が持つ“欠陥”なのか?あるいは“特質”なのか?

 私がこの作品を知ったのはショルティ指揮シカゴ響のLPレコードだった。
 第3楽章でトランペットが入る場面で、その聴こえてくる位置が極端に右側で違和感があるものの、当時としてはすばらしい録音。同じ第3楽章でのグラン・カッサ(大太鼓)の強打なんか歪んでいるのだが、その歪がかえって重低音ばっちりっていう満足感をもたらしてくれた(CDになって音が冷たい、痩せてる、などと言われた頃があったが、それは歪がなくなったためとも言われている)。
 そして、この演奏が私にとっての第5番の“スタンダード”となった。間違いなくこの演奏は歴史に残る名盤に入るだろうし。

 もちろん、第5交響曲という曲自体、私は好きである。
 でも、もっと好きになる、こんな魅力まであったことに今までは気づかなかった、という演奏に遭遇した。
 これまであたりまえと思っていた演奏(解釈とまで言うと大げさになっちゃうかな、という遠慮が私にはある)の常識をぶち壊すような第5番。

 グスターボ・ドゥダメル指揮ベネズエラ・シモン・ボリバル・ユース管弦楽団による演奏(2006録音。グラモフォン)。

 ドゥダメルという指揮者、名前だけは、いやほんの少しだけYou Tubeで演奏を観たことがある。1981年生まれのベネズエラの指揮者……

 教えてくれたのはナシニーニ氏の部下の檜君だ。
 ある日、私にメールを送ってきた。

 「ワタクシ、クラシック音楽のことはまったくわからないのですが、MUUSANはドゥダメルという指揮者をご存知でしょうか。私の友人がすばらしいと絶賛しておりました。画像を見つけたのでURLを送ります。私はこれを観て涙が出そうになりました」

 そっか、檜君、それを観てるとき、さかまつ毛だったのかな。
 涙も出ようってもんだ。

 その画像はマーラーの交響曲第3番の第6楽章だった。
 私にとっては初めて目にする指揮者、初めて観るオーケストラであったが、「ふ~ん」という感想しか持てなかった。物珍しいものを観察したって感じで……

 月曜日。

 病院の診察の空き時間に、近くのショッピングセンターに入っているCDショップに行ってみた(本当の目的は、その施設なら喫煙所があるだろう、ということ)。
 たいした品揃えはないと思ったが、少しは輸入盤も置いてあり、また“マーラー生誕150年”という特設のコーナーも棚の一角に作られていた。
 といっても、マーラーのCDは10枚ほど。

 けど、私はこの店長(か誰か)の姿勢を評価し、2枚購入した。
 そのうちの1枚が、ドゥダメル指揮による交響曲第5番だった。

 久々に背筋に来た。
 ぞくぞくが続々。

 決して力まかせにぐいぐいと押しては来ない。
 オーケストラは機敏。反応がいいのがわかる。
 しかし軽快というのではなく、しっかりとした土台があり、響きが豊か。

 リズムやテンポは細かな変化を与えられ、私にとっては初めての体験がたくさんあった。
 強弱のアクセントも独特だが、それが必然的なように感じてくる。

 聴き終わったあとの満足感!
 すっごく幸せな気分に浸れる。
 
 オーケストラについても私は詳しく知らないが、なかなかすばらしいと思う。

 現段階で、私にとってのマーラー/交響曲第5番の決定盤としたい。

 私の膵臓の検査結果がシロだったとたんに、「実は私の父は膵臓がんで亡くなったんです。発見されてから亡くなるまで速かったです」と告白してくれた人が身近に3人もいた。
 みんな黙っていてくれたのね。