23a20793.jpg  私は毎日のように、いや間違いなく毎日ビールを飲む。
 ウソではない。
 だからこそドックで膵臓の異常が疑われ、再検査を受け、結果はシロだったが、かなり嫌な思いをしながら医師の話を聞かされるはめになったのだ。

 でも、こう暑い日が続くと、ビールを飲まなきゃドライ・ヒューマンになってしまう。
 寒い日でもビール、飲みますけど……

 酒を飲むとき、私はあまり食物を多くは摂取しない。
 おなかがいっぱいになるとビールが美味しくなくなるからだ。

 ましてや、乾き物、つまりイカの珍味とか、鮭のトバとか、ポテチなどはまったくといっていいほど口にしない。

 乾き物は嫌いなのだ。
 ジューシー感がないのは苦手だ。
 自らの体の潤いが失われつつある今、食べ物ぐらいはちゃんと水分を含んでいるものを食べたい。それに、乾物は胃の中でビールと不可逆反応を起こして膨れ上がるような気がするのだ(おそらく気のせいではないだろう)。
 だいいち、乾き物はアゴが疲れるし、それ以前に私は歯がそんなに丈夫ではない。歯で瓶ビールの栓(王冠)を抜くことなど絶対にできない程度に弱い。抜けたと思ったら、それは絶対に歯の方だ。

 つまみは軟らかいものがいい。でも、ぶよぶよはだめだ。

 カルパス(クラコウ)よりもソフトなビアサラミが断然好みだが(スナックなどで柿ピーやポテチと一緒に出される個包装の干からびた小指のようなドライソーセージを口にする気にはどうしてもなれない)、明治屋の缶詰ソーセージのようなぶよぶよは勘弁である(学生の頃、つまり実家に住んでいた頃、裏の家の奥さんがしばらく留守にするので飼っている犬にエサをあげて欲しいと頼んできたことがある。預けられたエサにその缶詰があったのだ(もちろん人間用だ)。私はそれを失敬して食べてみたのだが、A水準並みに失望した)。

 要は、フツーの料理がいいってこと(このことを書くために、ずいぶんとまどろっこしく書いたものだ)。

 サティ(Erik Satie 1866-1925 フランス)の「犬のためのぶよぶよとした前奏曲(Preludes flasques (pour un chien))」(1912)。「犬のためのしまりのない前奏曲」などと呼ばれることもある。
 
 変人サティらしい奇妙なタイトルのピアノ曲だ。
 奇妙なのと同時に、私なんかはこういう感性に敬服してしまう。

 曲は全然ぶよぶよとしていない。簡潔だ。
 だいいち、ぶよぶよとした曲ってどんなんだ?
 どうやら、当時のドビュッシーまがいに書かれたしまりのない印象主義音楽への皮肉としてこのタイトルがつけられたようだ。
 そして“犬”というのは、曲のタイトルから音楽の内容を知ろうとする聴衆なわけだ。

 曲は次の4曲からなる(波線のあとに記したのは、その曲への指示)。

 1. 内なる声(Voix d'interieur) ~ まじめに、しかし涙なしで
 2. 犬儒派の牧歌(Idylle cynique) ~ 深い愛情をこめて
 3. 犬の歌(Chanson canine) ~ 静かに、緩慢でなく
 4. 徒党を組んで(Avec camaraderie) ~ (指示なし)

 さて、この曲は楽譜出版社のデュランから出版拒否されてしまった。
 そこで次にサティが書いたのが「犬のためのぶよぶよとした本当の前奏曲(Veritables preludes flasques (pour un chien))」(1912)である。こちらは「犬のためのしまりのない本当の前奏曲」などと訳されることがある。

 つまり、「今度のは“本当の”前奏曲です」と出版社に持ち込んだのだ。
 やれやれ、まったくもってサティって人は食えないやつだ。

 曲は、

 1. 厳しいとがめ(Severe reprimande)
 2. 家でただひとり(Seul a la maison)
 3. お遊び(Ou joue)

の3曲からなる。

 「これでもか」と書いた第2弾の前奏曲の翌年にサティが作曲したのは、全然乾いた感じがしない「干からびた胎児(Embryons desseches)」(1913)である(「胎児の干物」と訳される場合があるが、これはちょっと怖い)。

 こんなタイトルをつけるかね、フツー。
 いや、フツーじゃないからつけたんだけど。  

17721693.jpg  曲は3曲からなり、楽譜には各曲ごとに作曲者による注釈が記されている(秋山邦治氏によるバルビエ盤(ビクター)の解説より引用)。

 1. ナマコの胎児(d'Holothurie)
 《無学な者はこれを“海のキュウリ”などと呼ぶ。ナマコはいつも岩場によじのぼっている。
 この海の動物はまるで猫のように喉をごろごろ鳴らす。おまけに嫌らしい糸を引く。どうやら日光の作用を嫌うようだ。 私はサン・マロ湾で1匹のナマコを観察した》

 この曲では演奏者への指示として、「歯痛のウグイスのように」といった言葉が書かれているという。

 2. 無柄眼類の胎児(d'Edriophthalma)
 《柄のない眼をもった甲殻類。つまり、眼はのびないし、また動かない。この甲殻類は生来悲しい性質をもっていて、この世界から引き篭もって、断崖にうがった横穴のなかに住んでいる》

 この曲の途中に出てくるフレーズの箇所で、サティは「シューベルトの有名なマズルカからの引用」と注釈を添えているが、シューベルトは「マズルカ」を作曲していない。つまりギャグ。
 その代わり(?)、有名なショパンの「葬送行進曲」(ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調Op.35(1839)の第3楽章)のパロディが挿入されている。

 3. 柄眼類の胎児(de Poldolphthalma)
 《動く柄に眼がついている甲殻類。こいつは身のこなしが巧みで、疲れをしらない猟師のようだ。こいつらにはどこの海でもお目にかかれる。この柄眼類の肉は風味のよいものである》

 「作曲者による強制的な終止形」と記された箇所で、ffで終始和音が鳴らされる。……が、そう簡単には終わらない。古典の終止形へのパロディ。

 さて、この「干からびた胎児」、決して干からびたような音楽ではない。

 今日ご紹介するCDは、作曲家でありピアニストでもある高橋悠治(1938- )の演奏によるもの。1979録音、DENON。
 でも、廃盤のよう。
 あれぇ、私がこのCDを買ったの、1週間ほど前のことだったんだけど……
 たまたま店頭在庫があったのか……

 文中に出てきたバルビエ盤も廃盤です(ただし、どっちにしろこのCDは録音が悪い)。

 昨日の記事の最後、誤植(植えてないけど)があると某読者様からのご指摘。
 う~ん、チェックしているつもりでも、焦って書くとだめだな(昨日の朝は時間がなくてちょいと焦っていた。起床時間はいつもと一緒だったんだけど、バラの花柄摘みに時間を要してしまったのだ)。
 でも、こうやってミスを指摘してもらえるのはとってもありがたい。
 恥はできるだけ速やかに闇に葬りたいから。