b2b9b753.jpg  私にはいま、不安がある(もちろん、持病もある)。
 不安というよりも心配だ。

 心配と不安は一緒じゃないか、とクレームをつける人がいそうだが、心配と不安は違う。
 心配というのは「これからどうなるか、わるいことがおこりはしないかと不安に思い、心をなやませること」と、辞典にかいてある。
 じゃあ不安は、というと、「悪い結果になるのではないかと思って、心がおちつかないこと」とある。
 三省堂の「霊界 新国語辞典」にそう書いてあるのだ(*)。

 ほら、こんなに心配と不安は意味が違うのだ。
 あまりに違いすぎてよくわからないくらいだ。

 しかも、なぜ心配のところでは「わるいこと」と書いてあるのに、不安では「悪い結果」と、“わるい”の扱いに差があるのかも不思議だ。
 心配という、“さ行”のときはまだ最初の方のページだから、編著者が気を使ったのだろうか?“は行”まで読み進むころには、「悪い」って読めるだろ?っていう試練を課しているようにも受け取れる。

 ちなみにこの辞典、中学生向けである。
 息子が昔、捨てようとしていたのを頭を下げて譲ってもらったのだが、あいつが蛍光ペンで線を引いている語句が変だ。
 最初から見ていくと、アウトオブデート、アウトロー、アセスメント、アップツーデート、アドホック、アパルトヘイト、アブノーマル……である。あいつ、どんな国語を習っていたのだろう?

 そんな人のことはどうでもいい。
 私の心配ごとのことだった。

 極めて個人的な話だが、このブログがもうすぐ1,000回目を迎えることは、ごく一部のカルト的マニアにはよく知られていることだ。

 順調に行けば、それは7月23日付の記事に当たる。
 不順に行けば、それはいつになるか予測がつかない。
 不順の原因として想定されるのは、「何らかの事情で毎日更新がストップする」「ボケてしまって朝に投稿したのを忘れてしまい、1日のうちに2度か3度投稿してしまう」「更年期で不順になる(何かが)」といったことである。

 で、ここでは話をわかりやすくするために順調にいった場合を前提としよう。
 物理学のテスト問題で、ご親切にも「この場合、空気抵抗はないものと仮定する」という類の親切な前提条件に似ている。私の場合は空気抵抗がないものと仮定しても、点数はとれないものと仮定されたが……

 その1,000回目を迎える日の前日、つまり順調に地球の自転が行なわれれば、7月22日。この日から私は研修を受けなくてはならない。
 研修所に缶詰、つまり宿泊しなければならないのだ。
 そこに自由に利用できるPCがあるかどうか不明。
 最悪の場合は携帯から投稿するが、携帯からの投稿では、多少の、でも致命的な機能制約がある。

 というのが、私の「これからどうなるか、わるいことがおこりはしないかと不安に思い、心をなやませること」なのである。

 こういうときに聴いていてしっくりするのが、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第6番イ短調(1903-05,改訂'06)だ。なんせ通称「悲劇的」だから。

1e6c44d6.jpg  で、昨日の日曜日の夕方、この文章を書きながら聴いているのはエッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏によるCD。

 エッシェンバッハといえば、昨年のPMFでマーラーの交響曲第2番をすさまじくすばらしい演奏で聴かせてくれた。彼が指揮する第2番のCDをすぐに買っちゃったほどだ。

 この6番はどうか。
 いつもいつも同じフレーズで恐縮だが、良いです。

 ショルティの金属製のような、そして悲劇の中でもけっこうはしゃいじゃってるような演奏ではなくて、悲しいことは悲しいの、逃れられないの、でも投げやりにはならないの、というとても表情豊かな演奏(もちろん、私はショルティの演奏もすごく好き)。
 ヘルデングロッケンの音がちょっぴり不満だけど。

 このCDには、ピアノ四重奏曲イ短調(断片。1876)も収められている。

 ここではエッシェンバッハがピアノを弾いているが、この演奏、最初のうちはクールな寂しさが、そして後半にはしっとりした物悲しさが、研修所に送り込まれる私のイヤイヤ心にこれまたマッチする(私は研修を受けるのがとても嫌いなのだ)。

 交響曲第6番は2005年、ピアノ四重奏曲は2006年の録音。ライヴ。オンディーヌ(輸入盤でオープン価格)。


 昨日は、芝刈りやら雑草取りやら、アブラムシ虐待やら、コガネムシ虐殺を行なった。ついでに投票にも行った。

3f3ee0d1.jpg  バラも第1弾のピークを終え、花柄摘みに結構時間がかかった。
 私がいちばん最初に買ったバラは、上の写真のニュー・アヴェマリアという品種で、今でも元気に育っているが、その花柄を切っていたときのこと。

 おや、カエルくんが開ききった花の中でお休みしているではないか!

 実は毎年のことなのだが、ニュー・アヴェマリアの花にカエルくんがいるということがしばしばある。
 なぜか、このバラの花なのだ。

 ニュー・アヴェマリアがカエルくんを引き寄せる何らかの魅力を備えているのか、カエルくんが聖母マリアを讃えるカトリック信者なのか(アヴェ・マリアとは「めでたしマリア」の意味で、ローマ・カトリック教会の聖母マリアを讃える歌の代表的な祈祷文である)、あるいはこの株のあたりの磁場が狂っているのか知らないが、とても不思議である。

 でも、実は毎年この光景を見るのが密かな楽しみだったりする。

 注*) もちろん、“霊界”は嘘っぱちで、“例解”が正しい。